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政権交代から2週間になろうとしている。各大臣は、いきなり休日出勤して指導したようだが、体調は大丈夫なのだろうか。休みは休みとしてとることはできなかったのだろうか。
新政権についてぼつぼついろんな意見も出てきているようだが、私はまだまだ評価するには情報が少なすぎるように思う。それよりも、永遠に続くと思われた自民党政権が終わったことの方が意義深いように思う。
自民党は、要するに自らは勉強することなく国家公務員に仕事を丸投げしておんぶにだっこを続けてきた「詐欺システム」の集合体だった。マスゴミを上手に利用することにおいては卓越した集団だったので、なかなかそのことが表沙汰にはならなかっただけのことだ。
連中がドジをふんだのは、小沢一郎氏を葬ろうとした西松事件においてであった。これまでの方程式ならば、マスゴミの集中豪雨的なインチキ報道で「小沢死ね!」というイメージを醸成して葬ることができた。しかし、あの時に起こったのは、「小沢、辞めるな」の声だった。少なくともネットではそうだった。民主党員でさえ、「小沢辞めろ!」だったのが信じられないくらいだった。
そう、当の民主党員でさえ西松事件の意味を理解していなかった。共産党も同じで「辞めろ」を繰り返していた。これに対して、社民や国民新党は、むしろ検察の異常さを指摘していた。民主党内では、その後どういう経緯をたどったのかはわからないのだが、小沢氏が5月になって「選挙に影響があるので」辞めた。ちょうど私が京都に行っている時に代表選挙があり、鳩山氏が新代表になった。
この国では、アホー太郎が国会で「推定有罪」と口にするぐらいなので、法律とか裁判とかの知識は全体として少ない方が多いのかもしれない。さらに政治資金規正法もなかなかわかりにくくて、テレビではインチキコメンテーターがいい加減な解説をしてくれていた。そんな中で唯一、これは正しいのではないかという解説をしていたのが郷原信郎氏だった。元検察でありながら、野党側に立った言説をするのが珍しい存在だった。結局、彼の主張をマスゴミも取り上げざるを得ず、その効果は絶大なものがあったと思う。私も含めた国民は、このことをしっかり見ていたのかもしれない。
郷原氏を囲むインターネット討論会などがいくつか流され、私は食い入るように見た。テレビでは見ることのできない内容のある議論だったと思う。立花隆とか森田実といったジャーナリストが反小沢の意見を吐いていたのだが、もはや老害とさえ感じた。意識を変えなければならないと思えた瞬間だった。
自民党は、最後までマスゴミを使って民主党の追い落としに熱心だったように思う。選挙直前には、「民主、300超えも」などと報道させて、自民党の引き締めをはかった。私も民主党が第一党になるのではないかと思うが、勝てるかどうかは自信が無かった。また、勝つにしても微妙な数で辛勝というところかと考えていた。これまでもずっとそうだったからだ。自民党は、永遠に続くように思われた。
ところが、開票速報を見ると民主320とやったところもあったくらいで、民主党の圧倒的な勝利だった。自民は、その後意外に盛り返し100を超えたのが腹立たしかったのは前に書いた通りだ。私は、ずっとこの瞬間を待っていたのだが、うれしさよりもぽかーんとした感じだった。やがては、こうなるとは思うものの、もしかすると私の一生では見られないかもという思いもあった。
日本人は、自民党という詐欺システムではなく、実際にわかっている連中を選ぶようになった。公務員、マスゴミ、自民党が一体になって詐欺を働けば、なんとかうまく回ってきた戦後だった。自民党は、まだまだやる気があるようだが、もう相手にはされないだろう。小泉の詐欺も一時は注目されたのだが、やはり変人にはリーダーは勤まらないことがハッキリしただけのことだった。
おもしろいことに私の母親は自民に入れたのだという。後期高齢者医療制度のことを自民ならば見直すと考えたこととか、ゆくゆくは高齢者の医療費を無料にするのではないかと期待してだという。そんなことは言ってもいないのに!小泉を支持していたようにずっとダマされ続けることも安定なのだろうか。昔の人は、変化を好まないということだろうか。私などは、小泉の人気も信じられないのだが、今でも自民党というのも驚くべきことだ。自分の意見が無いのに何かできると思う方に無理があるのではないか。
現時点では、マスゴミも一発で転覆できると思っているのかなかなか強気の表現が目立つ。また、民主党の中がゴタゴタであるかのような書き方も目立つ。しかし、民主党がひたすら善行を行う限り、当分は政権交代は無理ではないかと思う。自民党では詐欺行為しかできないことがわかったからだ。国民は、実質何をするのかということを見ている。少なくとも、年金を返してもらわないと納得できないのは当たり前だ。
この政権交代は首相の言葉にあったように「誰もが居場所のある社会」の実現でなければいい方向には行かないように思う。そして、その実現は、かなり難しいということ。なぜなら、なぜ小泉で自民党は終わったのかを考えてみれば明らかだろう。小泉に「頭」が無かったことの意味は大きいのだ。彼が多少でも勉強している人間ならば、まだましな社会を残せたかもしれないが、現実には弱者の切り捨て社会だった。
それ故に、我田引水的な表現だが、大学の改革開放を伴う、いろんなバイパスを社会に作ることが次の新しい社会を作ることにつながると思う。やる気があれば仕事につけたり、勉強できる社会というのが、結局は活気もあるし実力も持つことになるのだと思っている。
新政権についてぼつぼついろんな意見も出てきているようだが、私はまだまだ評価するには情報が少なすぎるように思う。それよりも、永遠に続くと思われた自民党政権が終わったことの方が意義深いように思う。
自民党は、要するに自らは勉強することなく国家公務員に仕事を丸投げしておんぶにだっこを続けてきた「詐欺システム」の集合体だった。マスゴミを上手に利用することにおいては卓越した集団だったので、なかなかそのことが表沙汰にはならなかっただけのことだ。
連中がドジをふんだのは、小沢一郎氏を葬ろうとした西松事件においてであった。これまでの方程式ならば、マスゴミの集中豪雨的なインチキ報道で「小沢死ね!」というイメージを醸成して葬ることができた。しかし、あの時に起こったのは、「小沢、辞めるな」の声だった。少なくともネットではそうだった。民主党員でさえ、「小沢辞めろ!」だったのが信じられないくらいだった。
そう、当の民主党員でさえ西松事件の意味を理解していなかった。共産党も同じで「辞めろ」を繰り返していた。これに対して、社民や国民新党は、むしろ検察の異常さを指摘していた。民主党内では、その後どういう経緯をたどったのかはわからないのだが、小沢氏が5月になって「選挙に影響があるので」辞めた。ちょうど私が京都に行っている時に代表選挙があり、鳩山氏が新代表になった。
この国では、アホー太郎が国会で「推定有罪」と口にするぐらいなので、法律とか裁判とかの知識は全体として少ない方が多いのかもしれない。さらに政治資金規正法もなかなかわかりにくくて、テレビではインチキコメンテーターがいい加減な解説をしてくれていた。そんな中で唯一、これは正しいのではないかという解説をしていたのが郷原信郎氏だった。元検察でありながら、野党側に立った言説をするのが珍しい存在だった。結局、彼の主張をマスゴミも取り上げざるを得ず、その効果は絶大なものがあったと思う。私も含めた国民は、このことをしっかり見ていたのかもしれない。
郷原氏を囲むインターネット討論会などがいくつか流され、私は食い入るように見た。テレビでは見ることのできない内容のある議論だったと思う。立花隆とか森田実といったジャーナリストが反小沢の意見を吐いていたのだが、もはや老害とさえ感じた。意識を変えなければならないと思えた瞬間だった。
自民党は、最後までマスゴミを使って民主党の追い落としに熱心だったように思う。選挙直前には、「民主、300超えも」などと報道させて、自民党の引き締めをはかった。私も民主党が第一党になるのではないかと思うが、勝てるかどうかは自信が無かった。また、勝つにしても微妙な数で辛勝というところかと考えていた。これまでもずっとそうだったからだ。自民党は、永遠に続くように思われた。
ところが、開票速報を見ると民主320とやったところもあったくらいで、民主党の圧倒的な勝利だった。自民は、その後意外に盛り返し100を超えたのが腹立たしかったのは前に書いた通りだ。私は、ずっとこの瞬間を待っていたのだが、うれしさよりもぽかーんとした感じだった。やがては、こうなるとは思うものの、もしかすると私の一生では見られないかもという思いもあった。
日本人は、自民党という詐欺システムではなく、実際にわかっている連中を選ぶようになった。公務員、マスゴミ、自民党が一体になって詐欺を働けば、なんとかうまく回ってきた戦後だった。自民党は、まだまだやる気があるようだが、もう相手にはされないだろう。小泉の詐欺も一時は注目されたのだが、やはり変人にはリーダーは勤まらないことがハッキリしただけのことだった。
おもしろいことに私の母親は自民に入れたのだという。後期高齢者医療制度のことを自民ならば見直すと考えたこととか、ゆくゆくは高齢者の医療費を無料にするのではないかと期待してだという。そんなことは言ってもいないのに!小泉を支持していたようにずっとダマされ続けることも安定なのだろうか。昔の人は、変化を好まないということだろうか。私などは、小泉の人気も信じられないのだが、今でも自民党というのも驚くべきことだ。自分の意見が無いのに何かできると思う方に無理があるのではないか。
現時点では、マスゴミも一発で転覆できると思っているのかなかなか強気の表現が目立つ。また、民主党の中がゴタゴタであるかのような書き方も目立つ。しかし、民主党がひたすら善行を行う限り、当分は政権交代は無理ではないかと思う。自民党では詐欺行為しかできないことがわかったからだ。国民は、実質何をするのかということを見ている。少なくとも、年金を返してもらわないと納得できないのは当たり前だ。
この政権交代は首相の言葉にあったように「誰もが居場所のある社会」の実現でなければいい方向には行かないように思う。そして、その実現は、かなり難しいということ。なぜなら、なぜ小泉で自民党は終わったのかを考えてみれば明らかだろう。小泉に「頭」が無かったことの意味は大きいのだ。彼が多少でも勉強している人間ならば、まだましな社会を残せたかもしれないが、現実には弱者の切り捨て社会だった。
それ故に、我田引水的な表現だが、大学の改革開放を伴う、いろんなバイパスを社会に作ることが次の新しい社会を作ることにつながると思う。やる気があれば仕事につけたり、勉強できる社会というのが、結局は活気もあるし実力も持つことになるのだと思っている。
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