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連休明けの2日は、本来ならば休みをとった方がいいように思えた。時節がら、そんなに悠々と休みをとってはいけないような雰囲気だったので、あえて休みをとっていなかった。しかし、仕事場では休みをとっている人も多かった。がらんとしているだけに結局、休みをとった方が良かったと思えたわけだ。
パートナーと私たちの仕事であるデジタル化の未来について少し話をしてみたりした。出版界もいよいよ全体の売り上げが2兆円を下回ったという。出版界というのは、これまでこの2兆円の中でどれだけ儲けるかを競い合うある種のゲームだった。しかし、2兆円を下回ったことで「産業」として成り立つのかどうかという問題が起きるという。全ての産業は、2兆円を超えたところで成り立つというのは本当なのだろうか。
私はもともとデジタル化ということに興味があり、東京にまで進出してきた人間なのだが、最近の見解では辞書とか事典とかのリファレンスものならば、もちろんデジタル化は有効だが、小説とか大部な全集ものを単純にデジタル化しても商売にはならないと思うようになっている。それは、ipod touchなでを使ってみればわかるのだが、辞書を引くには非情に便利だが、長文を読もうとは思わないという事実があるからだ。バックライトが非情に疲れるわけだ。
海外では、kindleとか電子書籍用端末としていくつかの機種が売られていてそこそこ人気があるとされているのだが、本当だろうか。彼らは、目が疲れないのだろうか。この国でも以前は、積極的に端末も売られていたのだが、ついに流行ることなくメーカー側が撤退してしまった。私を東京に呼んでくれた人もかなり推進していた人物だった。私もその流行を願っていたのだが、空しい結果に終わった。
当時は、自分で仕事をしておきながら、その成果をちゃんと見ていなかったのかもしれない。あるいは、私も寄る年波には勝てず、「目が疲れる」という事実にようやく気がついたということなのだろうか。ipod touchで辞書を引くのはとても楽しいのだが、ちょっと大きな文章を読もうとすると非情に疲れる。やはり、電子端末は「リファレンス」ものに限られるのかと思ったわけだ。
午前中に話した結果では、「音声」で表現しては?というものがあった。音声ならば、大部な本でもデータ化する手間は録音だけだ。データが大きくなるのが弱点だ。そして、オーディオブックというのは今でも新潮社を中心にあるにはある。話題にはならないくらいだから売れていないのだろう。音声では魅力無いのだと思う。現実に長時間の録音ものは聞く気がしない。私がラジオの録音を聞くのは、おもしろいからであり、書籍の朗読はキツイかもしれない。「音声」が売れるならば、皆やっているだろう。結果的に売れないのでやらないだけのことだろう。
結局、大部な全集とかちょっとした小説とかノンフィクションとか毎月の文庫・新書、あるいは漫画をデジタル化して有効な受け皿は見いだせなかった。デジタル化の流れは必至かもしれないが、それを専用端末で閲覧ということにはならないような気がする。DSやPSPでも文学ソフトがあるにはあるが、おもしろくないのでそんなに使わない。実際に画面がキレイなPSPで読もうとしても10分ともたない。
今、私がものすごくきれいな画面と思うのはハイビジョンのテレビだ。女優が気の毒なくらいにシワまではっきりくっきりと映る。こういう画面で文字を読むのもどうかと思うが、きれいに映し出すという目的には合っているような気がする。ただ、いちいちテレビの前に行かないと本を読めないという不便さは残ってしまう。本は、機動性が大切でちょっとした所にもひょいと持って行ける手軽さがいいのだ。紙の本はなくなりはしないだろうと思う。
しかし、現実にはどんどん増えていく書籍をなんとかコンパクトにしたいという要求はある。これは、結局のところ出版社がデータ管理して行く他ないのではないかと思っている。万一、出版社が倒産などすれば、引き継ぎのしくみも提示する必要があると思う。私は、国の財産として取り込み、著者には収入が行くようなしくみを考えるのがいいと思っている。
現在のようにデータをダウンロードという形式もしばらくは残ると思うが、書籍に関してはサーバーに接続して必要なものを閲覧という形になるのではないか。ただ、これは新刊については対象外となるだろう。新刊でも何年も経てば売れなくなる。それを、出版社はフリーで公開できるかどうかというところだろう。現在は、本も売り、デジタルデータも売りという体制で、サーバーは持っていない。
パートナーと私たちの仕事であるデジタル化の未来について少し話をしてみたりした。出版界もいよいよ全体の売り上げが2兆円を下回ったという。出版界というのは、これまでこの2兆円の中でどれだけ儲けるかを競い合うある種のゲームだった。しかし、2兆円を下回ったことで「産業」として成り立つのかどうかという問題が起きるという。全ての産業は、2兆円を超えたところで成り立つというのは本当なのだろうか。
私はもともとデジタル化ということに興味があり、東京にまで進出してきた人間なのだが、最近の見解では辞書とか事典とかのリファレンスものならば、もちろんデジタル化は有効だが、小説とか大部な全集ものを単純にデジタル化しても商売にはならないと思うようになっている。それは、ipod touchなでを使ってみればわかるのだが、辞書を引くには非情に便利だが、長文を読もうとは思わないという事実があるからだ。バックライトが非情に疲れるわけだ。
海外では、kindleとか電子書籍用端末としていくつかの機種が売られていてそこそこ人気があるとされているのだが、本当だろうか。彼らは、目が疲れないのだろうか。この国でも以前は、積極的に端末も売られていたのだが、ついに流行ることなくメーカー側が撤退してしまった。私を東京に呼んでくれた人もかなり推進していた人物だった。私もその流行を願っていたのだが、空しい結果に終わった。
当時は、自分で仕事をしておきながら、その成果をちゃんと見ていなかったのかもしれない。あるいは、私も寄る年波には勝てず、「目が疲れる」という事実にようやく気がついたということなのだろうか。ipod touchで辞書を引くのはとても楽しいのだが、ちょっと大きな文章を読もうとすると非情に疲れる。やはり、電子端末は「リファレンス」ものに限られるのかと思ったわけだ。
午前中に話した結果では、「音声」で表現しては?というものがあった。音声ならば、大部な本でもデータ化する手間は録音だけだ。データが大きくなるのが弱点だ。そして、オーディオブックというのは今でも新潮社を中心にあるにはある。話題にはならないくらいだから売れていないのだろう。音声では魅力無いのだと思う。現実に長時間の録音ものは聞く気がしない。私がラジオの録音を聞くのは、おもしろいからであり、書籍の朗読はキツイかもしれない。「音声」が売れるならば、皆やっているだろう。結果的に売れないのでやらないだけのことだろう。
結局、大部な全集とかちょっとした小説とかノンフィクションとか毎月の文庫・新書、あるいは漫画をデジタル化して有効な受け皿は見いだせなかった。デジタル化の流れは必至かもしれないが、それを専用端末で閲覧ということにはならないような気がする。DSやPSPでも文学ソフトがあるにはあるが、おもしろくないのでそんなに使わない。実際に画面がキレイなPSPで読もうとしても10分ともたない。
今、私がものすごくきれいな画面と思うのはハイビジョンのテレビだ。女優が気の毒なくらいにシワまではっきりくっきりと映る。こういう画面で文字を読むのもどうかと思うが、きれいに映し出すという目的には合っているような気がする。ただ、いちいちテレビの前に行かないと本を読めないという不便さは残ってしまう。本は、機動性が大切でちょっとした所にもひょいと持って行ける手軽さがいいのだ。紙の本はなくなりはしないだろうと思う。
しかし、現実にはどんどん増えていく書籍をなんとかコンパクトにしたいという要求はある。これは、結局のところ出版社がデータ管理して行く他ないのではないかと思っている。万一、出版社が倒産などすれば、引き継ぎのしくみも提示する必要があると思う。私は、国の財産として取り込み、著者には収入が行くようなしくみを考えるのがいいと思っている。
現在のようにデータをダウンロードという形式もしばらくは残ると思うが、書籍に関してはサーバーに接続して必要なものを閲覧という形になるのではないか。ただ、これは新刊については対象外となるだろう。新刊でも何年も経てば売れなくなる。それを、出版社はフリーで公開できるかどうかというところだろう。現在は、本も売り、デジタルデータも売りという体制で、サーバーは持っていない。
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