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京都時代から、私はなぜか冤罪に興味を持ってきた。専門書やら弁護士やらの本を集めてみたものの、ほとんどは積ん読で読めているわけではない。今でも興味は失っていないが、この国のあり方にもかかわることのように思うので最近また注目している。

最近では菅谷さんの事件が有名だが、カルト政権によって隠されている、冤罪にもかかわらず、死刑になったという事件も起きている。これが、新政権で暴かれるかどうか見物だ。私の場合は、「免許を見せない」という罪で逮捕されたわけだが、冤罪事件というのは、でっちあげだ。菅谷さんにいたっては、1年間も秘密に尾行された上での不当逮捕だったそうだ。

先の戦争を振り返ってみても思うのだが、この国では人命がいとも簡単に軽んじられる。もちろん、一般の人にとっては家族の誰一人が亡くなってもただごとでは済まされない。しかし、おいしい思いをしてきた政治家とか、官僚の一種である軍人は、数万人単位の「死」も「大したことでは」ないらしい。東京大空襲の経験や広島・長崎の原爆のことを言っている。普通に考えれば、このような大事件を許すようでは国家の運営ができないことだと思うが、この国では「小事件」だった。それよりも、革命の方が恐ろしいのだそうだ。

幸いなことは、私たちの民族は血で血を洗うことを好むものではなかったこと。アメリカのネイティブ・アメリカンもそうらしいのだが、気が狂うようなひどい目にあっても決してやけを起こさず、淡々と生きる。事実私たちの先輩たちもそうして戦後を生きてきた。しかし、そこにつけ込む人間も同時にいることが不幸の始まりだったのだ。冤罪とは、公務員が自己都合で一般市民を罪におとしいれるということ。自己都合といえば私の事件もそうだった。免許を見せないという罪で自分たちの「隠れて取り締まる」という仕事に文句を言わせないようにしたわけだから。菅谷さんの場合は、菅谷さんが真犯人でなくとも自分たちの仕事が進んでいることを示せればそれで良かっただけだった。

最近では、痴漢に仕立て上げられたサラリーマンが苦しい裁判を闘っているというニュースをよく見かける。私は、勤勉な人が多いこの国の人間に対して、ただの一人も冤罪事件など起こしてはならないと考えている。そもそもが、攻撃的な民族ではないのだから、そのエネルギーは純粋に創造や製作など労働・研究に回すことができる。公務員の都合で冤罪事件を頻発していては、もともとはおとなしい人を反社会的な方向に向かわせかねない。そうならなかったとしても、生涯、国家というものに不信感を持って生きることになるだろう。問題は、そのことがこの国にとって得だろうかということだ。

人間同士の信頼関係もそうであるように、信頼を得るにはかなりの時間がかかるが、失うのは一瞬だ。冤罪というか、警察や検察という公務員によるでっちあげ犯罪は、人と国家との信頼関係を一瞬にして奪ってしまう。もちろん、個人が国家に不信感を抱くということだ。私は、これがただの一人であっても、あってはならないことだと思うのだ。十分注意していたにもかかわらず、起こったならその時は、丁重な信頼回復の作業が行われるべきだ。菅谷さんの事件の場合は、冤罪にかかわった警察、検察、裁判官はそれぞれ度合いに応じた罪に問われなければならない。新しい政権は、そこまできめ細かい対応をしてくれるだろうか。私は注目している。謝って済む問題ではないのだ。

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