×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
カルト政権の最終章は、マスゴミを使って民主党をほめごろすことか。週末から30日まで、「300議席を超す勢い」とやるつもりなのだろう。実際にこれをやって野党つぶしに成功したこともあるようだ。しかし、そこまで国民はバカだろうか。60年間もマスゴミと自民党にダマされ続けたのだ、もうそろそろ目を覚まさないといけない。
このままでもいいではないか、としてこれまで通りで行くとして果たしてこの国は持つのだろうか。今後は常にそうなると思うが、不安だがやってみるということを繰り返す他ないことを受け入れるべきだろう。問題が生ずれば、他国の例を参考にしてでも「改善」できるような国家にしなければならない。覚醒剤使用の罪をどれだけ厳罰にしても犯罪は減らない。むしろ、厚生施設を充実させるべきだ。「先進国」のアメリカなどに学べばいいのではないか。そんなことも、この国の現政府には不可能なのだ。
大学受験浪人を放置するのも当たり前のようだが、これはおかしなことだと思う。大学に合格するだけのために時間をつぶすことは1日でも惜しいと考えられないのか。まず、浪人の実態を把握して、一刻も早く浪人ゼロ社会にすべきだ。大学を目指していて、どの大学にも合格できなかった場合には、罰として「希望通りの大学、学部、学科で勉強してもらう」とすればどうか。その代わり、目指していた学問で何らかの成果をあげてもらわなければならない。罰というのは、学問をするということ自体が半端なことではない、ということを意味する。
仮に成果が出ないとしても、意味がある。無駄な時間を過ごすことなく進路を自覚的に選択できる。別の専門的な知識を得たければそちらに変更すればいいだけのことだし、実業に目覚めたならそれに打ち込んでもらえればいいだけのことだ。芸術でもスポーツでもかまわないだろう。個人にとっても、国家にとっても有意義な人生選択がなされるに違いない。
国民一人一人が国家を育てるという観点から今後は、判断することが求められると思う。これまででもそうだったが、なぜか為政者は絶対的に正しいかのような判断がなされていた。これは、戦前の発想にもつながるもので恐るべき思考停止だ。それだけ、国民の生活が苦しいということでもあると思う。政治家になったのなら、政治家はちゃんとしてくれよということなのだ。しかし、政治といういうか国家のあり方というのは、それではうまく行かないことがようやくわかったということだ。
生活が忙しくとも、常に政治家、政治を監視していないとどんどん自分たちの目線からは遠い存在になり、国民は奴隷にされてしまうということだ。他の国々では当然、そのことがわかっていて曲がりなりにもうまくやってきたのだと思う。私も無い知恵をしぼりつつ、この国で生きていきたいし、できることならば良く変わることを見届けてから死にたいと思うようになった。大学が自由化されたら、私はこれからでも勉強してみたいと思う。すべては、「良くする」ためだ。個人のやる気が大きな勢力になれば、この国は良い方向に大化けすると思っている。
このままでもいいではないか、としてこれまで通りで行くとして果たしてこの国は持つのだろうか。今後は常にそうなると思うが、不安だがやってみるということを繰り返す他ないことを受け入れるべきだろう。問題が生ずれば、他国の例を参考にしてでも「改善」できるような国家にしなければならない。覚醒剤使用の罪をどれだけ厳罰にしても犯罪は減らない。むしろ、厚生施設を充実させるべきだ。「先進国」のアメリカなどに学べばいいのではないか。そんなことも、この国の現政府には不可能なのだ。
大学受験浪人を放置するのも当たり前のようだが、これはおかしなことだと思う。大学に合格するだけのために時間をつぶすことは1日でも惜しいと考えられないのか。まず、浪人の実態を把握して、一刻も早く浪人ゼロ社会にすべきだ。大学を目指していて、どの大学にも合格できなかった場合には、罰として「希望通りの大学、学部、学科で勉強してもらう」とすればどうか。その代わり、目指していた学問で何らかの成果をあげてもらわなければならない。罰というのは、学問をするということ自体が半端なことではない、ということを意味する。
仮に成果が出ないとしても、意味がある。無駄な時間を過ごすことなく進路を自覚的に選択できる。別の専門的な知識を得たければそちらに変更すればいいだけのことだし、実業に目覚めたならそれに打ち込んでもらえればいいだけのことだ。芸術でもスポーツでもかまわないだろう。個人にとっても、国家にとっても有意義な人生選択がなされるに違いない。
国民一人一人が国家を育てるという観点から今後は、判断することが求められると思う。これまででもそうだったが、なぜか為政者は絶対的に正しいかのような判断がなされていた。これは、戦前の発想にもつながるもので恐るべき思考停止だ。それだけ、国民の生活が苦しいということでもあると思う。政治家になったのなら、政治家はちゃんとしてくれよということなのだ。しかし、政治といういうか国家のあり方というのは、それではうまく行かないことがようやくわかったということだ。
生活が忙しくとも、常に政治家、政治を監視していないとどんどん自分たちの目線からは遠い存在になり、国民は奴隷にされてしまうということだ。他の国々では当然、そのことがわかっていて曲がりなりにもうまくやってきたのだと思う。私も無い知恵をしぼりつつ、この国で生きていきたいし、できることならば良く変わることを見届けてから死にたいと思うようになった。大学が自由化されたら、私はこれからでも勉強してみたいと思う。すべては、「良くする」ためだ。個人のやる気が大きな勢力になれば、この国は良い方向に大化けすると思っている。
PR
Comment