×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
正月休みの貯金も使い果たしたようで、ぼちぼち疲れが出るようになった。今週は、非常に寒かったこともあり、疲れも大きかったように思う。結局、寒くて動けないので大した食事も作れずに栄養が偏ったということだ。睡眠時間も短くなり、仕事も眠気のため調子が悪いという最悪のパターンだった。
やる事はたくさんあるので気分的にへこんだということではない。OSの研究も続いている。趣味やゲームに大して興味が無くなったのはちょっとマイナスかもしれない。こういうものにも興味があってこその毎日なのだから。しかし、ちゃっかりこんなものに興味を広げているのでいいということか。ネイティブ・アメリカンフルートの音色に魅せられてCDも注文したりしている。フォルクローレとはまた違った良さがあるのだ。
これはあくまでも私の「やり方」なのだが、何かをやりながら他のことに熱中するというのが「いい形」なのだ。「ラジオを聞きながらOSの研究」とか「ネイティブ・アメリカンフルートのことを調べつつ、カメラの購入を検討」とかだ。常に何かをやりつつ、別のことをやるというのが良いようだ。自分でも好調と感じることが多い。単なる躁状態かもしれないが、それにしても「抑制的」なのでいいのではないか。
今日のように金曜日の夜は楽しい。夜は、「朝まで生テレビ」があるので眠れなくとも大丈夫だ。実際には、こういう日ほどすぐに眠気が襲ってくる。OSの研究もやっていたらあっという間に12時が来てしまう。この場合も、「何かをやりつつ」が基本だ。漫画を読みつつというのもアリだ。
今週のような寒い日はまだ続くようだが、さすがにこういう日々は、在宅で仕事をしたいと思う。今朝、感じたことだが、それでもはりきって仕事へ向かう自分はいったい何を考えているのか。そう、「仕事へ行くこと」がペースメーカーになっているのだと思う。仕事場へ行っても能率が上がるわけではない。しかし、一方で決まった時間に動くというのが絶妙なペースとして機能しているのだろう。全く自由になるとどんどん怠けてくるかもしれない。寒くとも、睡眠不足でも何とか日々の仕事の中で修正しつつ生きる術を身につければいいだけのことなのだろうと思った。
私と同じくらいか、少し年上くらいの「おぢさん」も金曜日となると相当疲れているようだ。電車の中で屈強そうなおぢさんであってもいすにどっかりと座っている。見た感じもクタビレている。大あくびをするのだが、周りにも異臭が漂うくらいのひどい口臭だ。私も疲れた時に自分でも感じるニオイだ。おぢさんが臭いというのは人ごとではないのだ。彼らもこんな日々を繰り返しながら、いつか定年を迎え、やがて命の終わりを迎えるのだろう。そういう意味で、今、毎日のように出くわす人々を観察していると興味は尽きない。
(つづく)
やる事はたくさんあるので気分的にへこんだということではない。OSの研究も続いている。趣味やゲームに大して興味が無くなったのはちょっとマイナスかもしれない。こういうものにも興味があってこその毎日なのだから。しかし、ちゃっかりこんなものに興味を広げているのでいいということか。ネイティブ・アメリカンフルートの音色に魅せられてCDも注文したりしている。フォルクローレとはまた違った良さがあるのだ。
これはあくまでも私の「やり方」なのだが、何かをやりながら他のことに熱中するというのが「いい形」なのだ。「ラジオを聞きながらOSの研究」とか「ネイティブ・アメリカンフルートのことを調べつつ、カメラの購入を検討」とかだ。常に何かをやりつつ、別のことをやるというのが良いようだ。自分でも好調と感じることが多い。単なる躁状態かもしれないが、それにしても「抑制的」なのでいいのではないか。
今日のように金曜日の夜は楽しい。夜は、「朝まで生テレビ」があるので眠れなくとも大丈夫だ。実際には、こういう日ほどすぐに眠気が襲ってくる。OSの研究もやっていたらあっという間に12時が来てしまう。この場合も、「何かをやりつつ」が基本だ。漫画を読みつつというのもアリだ。
今週のような寒い日はまだ続くようだが、さすがにこういう日々は、在宅で仕事をしたいと思う。今朝、感じたことだが、それでもはりきって仕事へ向かう自分はいったい何を考えているのか。そう、「仕事へ行くこと」がペースメーカーになっているのだと思う。仕事場へ行っても能率が上がるわけではない。しかし、一方で決まった時間に動くというのが絶妙なペースとして機能しているのだろう。全く自由になるとどんどん怠けてくるかもしれない。寒くとも、睡眠不足でも何とか日々の仕事の中で修正しつつ生きる術を身につければいいだけのことなのだろうと思った。
私と同じくらいか、少し年上くらいの「おぢさん」も金曜日となると相当疲れているようだ。電車の中で屈強そうなおぢさんであってもいすにどっかりと座っている。見た感じもクタビレている。大あくびをするのだが、周りにも異臭が漂うくらいのひどい口臭だ。私も疲れた時に自分でも感じるニオイだ。おぢさんが臭いというのは人ごとではないのだ。彼らもこんな日々を繰り返しながら、いつか定年を迎え、やがて命の終わりを迎えるのだろう。そういう意味で、今、毎日のように出くわす人々を観察していると興味は尽きない。
(つづく)
PR
Comment