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さすがの私も「狭心症」という診断をもらったことはないのだが、今、もしかしてその状態なのかもしれない。50も目前になれば、たとえ診察を受けていないからといってそういう病気になっていないとは言い切れないだろう。実際に私は過去同じような経験がある。
もう6年以上も前になるのだが、担当者ともめて蓄積される「怒り」を全部飲み込んでしまった。すると、みるみるうちに胸が苦しくなるのだった。家でも仕事をしていたので心休まる時が無かったのだ。仕事場から病院へ行ったがまさに「死ぬかもしれない」という思いだった。それなのに、心電図は正常だしレントゲンを撮っても正常そのもの。安定剤のようなものをもらって帰ったと記憶している。
現在、決算をかかえているので土日も仕事状態なのでけっこうアブナイ状態だ。おまけに仕事場でもかなり神経を使う段階だ。手に負えないことではないのだが、自分一人でできる仕事ではないので苦しいわけだ。明日からは、できるだけ話しかけないようにお願いするつもりだ。普段ならいいのだが、締め切りが迫ってくると思考の中断はつらい。けっこう疲れるからだ。せめてこの7月だけでも一人でやらせてもらうつもりだ。
それでも、先日まで援軍がいたのでわりと気楽に構えていたのだが、その援軍も本物の狭心症で休みをとらなければならないハメになったのだ。きのうから決算書類とにらめっこなのだが、未知な部分が多すぎる。すぐに不眠に陥り、4時間睡眠で仕事に出たのが今日だった。胸に爆弾をかかえての出社だったので自分でもおかしいなと感じていたのかもしれない。
食事に出る前あたりから、なつかしい胸の鈍痛が訪れたのだった。今日は、曇り空だったのでなんとか歩くことはできた。これは、日頃の「歩き」の成果だろう。しんどくてもどこまで歩けるかなと思いつつ歩くのがおもしろいのだ。本当の病気ではないと思っているのでこんなことができるのかもしれない。しかし、ゆくゆくは病気でもある程度の挑戦ができるような体を作りたいものだ。
そして、今は、ほぼ何ともない。あまり食欲は無かったのだが、ごはんと焼き鳥とブロッコリーという珍妙な組み合わせの食事だった。仕上げは、スイカだ。自分ではこのスイカが効いたような気がした。何かスッキリしたのだ。この狭心症的な症状の難しいところは、リラックスしようとしてもなかなかできないことだ。何らかの心のわだかまりからすぐに発生するのだが、「忘れろ」と言われても難しい。多くの人はここで薬に走る。
単純なことでは、ストレスを無くせばいいのだが、それが簡単にできるなら苦労しない。多くは、難問を前に落城するのだが、そうならないために問題解決することがいい。知識が少なければ、多くすることでストレスを軽減できる。私は、さっそくネットで決算の情報を集め始めた。そこそこ集まるのでもっと早くやれば良かったと思っている。この土日は、少し休み、来週初めにも税務署で教えてもらいつつ、決算を進めて行きたい。
狭心症については、もっと知っておく必要があるので前に買っていた新書を読むつもりだ。「心臓が危ない」といようなタイトルだったと思う。私がかつてなったような症状が書かれていたので興味を持ったのだ。人の痛みをわかるという意味で自分も狭心症的な経験を持つことはいいことだと思っている。ストレスがある程度たまると誰でもなる可能性はあるのだと思う。私は頼りない人間なだけにどうも周囲の人々を病気にしてしまいがちだ。つまり、「自分ががんばらなければ!きゃつに任せていたら、仕事が終わらない!」と思わせてしまうようだ。結果、責任感の強い人が倒れていくという意味だ。
もう6年以上も前になるのだが、担当者ともめて蓄積される「怒り」を全部飲み込んでしまった。すると、みるみるうちに胸が苦しくなるのだった。家でも仕事をしていたので心休まる時が無かったのだ。仕事場から病院へ行ったがまさに「死ぬかもしれない」という思いだった。それなのに、心電図は正常だしレントゲンを撮っても正常そのもの。安定剤のようなものをもらって帰ったと記憶している。
現在、決算をかかえているので土日も仕事状態なのでけっこうアブナイ状態だ。おまけに仕事場でもかなり神経を使う段階だ。手に負えないことではないのだが、自分一人でできる仕事ではないので苦しいわけだ。明日からは、できるだけ話しかけないようにお願いするつもりだ。普段ならいいのだが、締め切りが迫ってくると思考の中断はつらい。けっこう疲れるからだ。せめてこの7月だけでも一人でやらせてもらうつもりだ。
それでも、先日まで援軍がいたのでわりと気楽に構えていたのだが、その援軍も本物の狭心症で休みをとらなければならないハメになったのだ。きのうから決算書類とにらめっこなのだが、未知な部分が多すぎる。すぐに不眠に陥り、4時間睡眠で仕事に出たのが今日だった。胸に爆弾をかかえての出社だったので自分でもおかしいなと感じていたのかもしれない。
食事に出る前あたりから、なつかしい胸の鈍痛が訪れたのだった。今日は、曇り空だったのでなんとか歩くことはできた。これは、日頃の「歩き」の成果だろう。しんどくてもどこまで歩けるかなと思いつつ歩くのがおもしろいのだ。本当の病気ではないと思っているのでこんなことができるのかもしれない。しかし、ゆくゆくは病気でもある程度の挑戦ができるような体を作りたいものだ。
そして、今は、ほぼ何ともない。あまり食欲は無かったのだが、ごはんと焼き鳥とブロッコリーという珍妙な組み合わせの食事だった。仕上げは、スイカだ。自分ではこのスイカが効いたような気がした。何かスッキリしたのだ。この狭心症的な症状の難しいところは、リラックスしようとしてもなかなかできないことだ。何らかの心のわだかまりからすぐに発生するのだが、「忘れろ」と言われても難しい。多くの人はここで薬に走る。
単純なことでは、ストレスを無くせばいいのだが、それが簡単にできるなら苦労しない。多くは、難問を前に落城するのだが、そうならないために問題解決することがいい。知識が少なければ、多くすることでストレスを軽減できる。私は、さっそくネットで決算の情報を集め始めた。そこそこ集まるのでもっと早くやれば良かったと思っている。この土日は、少し休み、来週初めにも税務署で教えてもらいつつ、決算を進めて行きたい。
狭心症については、もっと知っておく必要があるので前に買っていた新書を読むつもりだ。「心臓が危ない」といようなタイトルだったと思う。私がかつてなったような症状が書かれていたので興味を持ったのだ。人の痛みをわかるという意味で自分も狭心症的な経験を持つことはいいことだと思っている。ストレスがある程度たまると誰でもなる可能性はあるのだと思う。私は頼りない人間なだけにどうも周囲の人々を病気にしてしまいがちだ。つまり、「自分ががんばらなければ!きゃつに任せていたら、仕事が終わらない!」と思わせてしまうようだ。結果、責任感の強い人が倒れていくという意味だ。
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