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その後、「笛」はどうなったのかというとこれが、今でもやっている。飽きっぽい私にしては珍しく身に付いた趣味と成長してくれそうな気がしている。もっとも手にするのは、お手頃サイズのケーナG管だ。竹製、木製をそれぞれ、とっかえひっかえしてほぼ毎日吹いている。
尺八も吹くのだが、どうしても扱いに気をつかう(いつもビニール袋に入れておく必要がある)ので手にする回数が減っている。その代わり、一度手にするとけっこう長い時間遊ぶのが尺八だ。まずは、楽譜を見つつ吹き、次は音だけを楽しむようにしている。この国が生んだ究極の癒し楽器だ。私も日本人のようで、音的には尺八が一番好きだ。
次に手にするのは、マイケルのホピの笛だ。上手に吹けるとこの笛の方が好きなのだが、下手なもので最近は手にしてもすぐにやめてしまう感じだ。しかし、マイケルのCD『RAIN BIRD』は、毎晩、子守歌として聴いている。自然音以外で癒される音は、今のところこれだけだ。私にとっては、眠りを誘うほど癒される音らしい。誰にでも通用するわけではないのが残念なところだ。
昨年の秋頃に集中的に入手したネイティブ・アメリカン・フルートは、ほとんど吹かなくなった。これは、すぐ音が鳴る代わりに鳴らす楽しみに欠けること、音がうるさく感じられること、音域が狭いことなどが考えられる。名手が吹くのは心地良いのだが、私自身が吹く音はイマイチだと思っている。しかし、永遠に吹かないわけではないので大事にしまっている。
この春に仕入れた、横笛のフラウタも最近は吹かなくなった。味わい深い笛ではあるのだが、さすがに無理な姿勢を強いられるので遠ざかってしまう。音そのものを出すのに難しいということもある。フルート形式なので常に吹いていないと唇の形を忘れてしまうのだ。横よりも縦の方が私には楽だというだけのことかもしれない。
ケーナのD管もわりと吹く。こちらも木製・竹製を吹き分けている。低音を出したい時はこちらがいいわけだ。音色の良さという意味では、G管に負けるが独特の響きがある。G管に飽きたらD管をという感じでわりとよく手にする笛だ。
特に趣味を持たない人々に私は笛をすすめているのだが、あまり歓迎はされないようだ。最初興味を持ってもじきに離れてしまう人も多い。これは、音そのものを楽しめていないからだろうと思う。私のように下手の横好きでいい、という割り切りが必要なのではないかと思う。そうなれば、特に構えることもなく音そのものを楽しめる。演奏は二の次なのだ。
ネットを見ると今も「うつ」で夜明けが見えない人々の声がいくつもあることがわかる。彼(彼女)らの特徴は、「うつ」が脳の病気で薬を飲まなければ治らないと信じて疑わないことだ。薬で治るならば、それもいいのだが、薬を蔓延させた責任者でもあるNHKでもSSRIの危険性を放送するような時代になっている。そろそろ、薬神話から抜け出ていいのではないか。
うつに悩む人のほとんどは趣味を持たず、探そうともしていないと想像する。私は、だからダメだというのではなく、「笛」でも吹いてみたらいいのに、と思うわけだ。息を吐くという行為は、歌をうたうことでも得られるが笛となると指も使う。徐々にではあるのだが、精神的にいい影響を与えてくれるのではないかと思う。とにかく、何かを始めること、始める気持ちを持つことが状態を良くする。
最近の私は、笛を健康のバロメーターとして見ている。健康な時は、笛を吹きたくなる。風邪などひいていたら、さすがに吹けない。少し調子が悪いと、笛を吹いたりしたら目が回りそうになる。元気なときには、息を吐くことがたいへん気持ちがいいもので頭もスッキリするのだが、調子が悪くなると笛を吹くことでさらに調子が悪くなる感じがするのだ。ただ、調子の悪いときでも吹くことで段々調子が良くなることも経験している。気持ちの問題なのかもしれない。
ともかく、うつで悩むより笛で悩んで欲しいものだ。音は簡単に鳴らせてもうまく鳴らせるとは限らないから。うまくなろうとする努力もまた、調子を良くすることにつながる。
尺八も吹くのだが、どうしても扱いに気をつかう(いつもビニール袋に入れておく必要がある)ので手にする回数が減っている。その代わり、一度手にするとけっこう長い時間遊ぶのが尺八だ。まずは、楽譜を見つつ吹き、次は音だけを楽しむようにしている。この国が生んだ究極の癒し楽器だ。私も日本人のようで、音的には尺八が一番好きだ。
次に手にするのは、マイケルのホピの笛だ。上手に吹けるとこの笛の方が好きなのだが、下手なもので最近は手にしてもすぐにやめてしまう感じだ。しかし、マイケルのCD『RAIN BIRD』は、毎晩、子守歌として聴いている。自然音以外で癒される音は、今のところこれだけだ。私にとっては、眠りを誘うほど癒される音らしい。誰にでも通用するわけではないのが残念なところだ。
昨年の秋頃に集中的に入手したネイティブ・アメリカン・フルートは、ほとんど吹かなくなった。これは、すぐ音が鳴る代わりに鳴らす楽しみに欠けること、音がうるさく感じられること、音域が狭いことなどが考えられる。名手が吹くのは心地良いのだが、私自身が吹く音はイマイチだと思っている。しかし、永遠に吹かないわけではないので大事にしまっている。
この春に仕入れた、横笛のフラウタも最近は吹かなくなった。味わい深い笛ではあるのだが、さすがに無理な姿勢を強いられるので遠ざかってしまう。音そのものを出すのに難しいということもある。フルート形式なので常に吹いていないと唇の形を忘れてしまうのだ。横よりも縦の方が私には楽だというだけのことかもしれない。
ケーナのD管もわりと吹く。こちらも木製・竹製を吹き分けている。低音を出したい時はこちらがいいわけだ。音色の良さという意味では、G管に負けるが独特の響きがある。G管に飽きたらD管をという感じでわりとよく手にする笛だ。
特に趣味を持たない人々に私は笛をすすめているのだが、あまり歓迎はされないようだ。最初興味を持ってもじきに離れてしまう人も多い。これは、音そのものを楽しめていないからだろうと思う。私のように下手の横好きでいい、という割り切りが必要なのではないかと思う。そうなれば、特に構えることもなく音そのものを楽しめる。演奏は二の次なのだ。
ネットを見ると今も「うつ」で夜明けが見えない人々の声がいくつもあることがわかる。彼(彼女)らの特徴は、「うつ」が脳の病気で薬を飲まなければ治らないと信じて疑わないことだ。薬で治るならば、それもいいのだが、薬を蔓延させた責任者でもあるNHKでもSSRIの危険性を放送するような時代になっている。そろそろ、薬神話から抜け出ていいのではないか。
うつに悩む人のほとんどは趣味を持たず、探そうともしていないと想像する。私は、だからダメだというのではなく、「笛」でも吹いてみたらいいのに、と思うわけだ。息を吐くという行為は、歌をうたうことでも得られるが笛となると指も使う。徐々にではあるのだが、精神的にいい影響を与えてくれるのではないかと思う。とにかく、何かを始めること、始める気持ちを持つことが状態を良くする。
最近の私は、笛を健康のバロメーターとして見ている。健康な時は、笛を吹きたくなる。風邪などひいていたら、さすがに吹けない。少し調子が悪いと、笛を吹いたりしたら目が回りそうになる。元気なときには、息を吐くことがたいへん気持ちがいいもので頭もスッキリするのだが、調子が悪くなると笛を吹くことでさらに調子が悪くなる感じがするのだ。ただ、調子の悪いときでも吹くことで段々調子が良くなることも経験している。気持ちの問題なのかもしれない。
ともかく、うつで悩むより笛で悩んで欲しいものだ。音は簡単に鳴らせてもうまく鳴らせるとは限らないから。うまくなろうとする努力もまた、調子を良くすることにつながる。
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