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科学の原典を世界中から蒐集し、デジタル化して邦訳し、誰でも、いつでも参照できるようにするという事業が私の次の夢だ。「次」というのは、一番の夢があるからだ。実際には、一番の夢は、本当の夢に終わりそうなので、こちらが現実的な「夢」あるいは、未来の目標ということになるかもしれない。
私のかなり昔からの疑問で、「なぜ、そう考えたかを知らずして勉強したと言えるのか?」というものがある。まさに、その疑問を解決しようとするのが科学の原典邦訳デジタル化事業だ。なぜ、原子があると言えるのか、なぜ地球が太陽を中心に回っていると言えるのか、なぜパストゥールは免疫という概念を思いついたのか。これだけのことであっても、誰にでもわかるような説明ができる大学教授はいるだろうか。
近代化以降、日本人は西洋の学問を「果実」としてしか輸入していない。大切に育てればやがて花開き、実を結ぶ「種」として認識していないのだ。これは、明治の時代に「お雇い外国人」として日本に来ていた、エルウィン・ベルツという人が指摘していることだ。だが、それを理解できたとしても行動に移せなかった日本人は、愚かにも太平洋戦争まで突き進み、東南アジア近隣諸国民に甚大な被害を与えた。自らの失政を他国のせいにする姿勢は、今の北朝鮮にそっくりだ。
日本人が、海外の技術なり思想なり、学問なりを「果実」としてのみ受け入れる様は、現在の中国が全世界からそのアイデアなり、キャラクターなりを盗むのと似ている。私が中国の行く末を危ういと思うのは、その点だ。工業の発展は結構だが、労働問題とか公害についての知識まで受け入れようとはしないのだ。既にその進歩的な解決方法がわかっているにもかかわらず。
百年以上前の日本人が、今の中国人が根本的なことから理解しようとしないのは、手間がかかるからだ。化学をやるのに「なぜ原子があると言えるのか」ということから入ると、とても今のような発展は望めなかったかもしれない。しかし、国家が破滅して近隣諸国民に大迷惑をかけるということは避けることができたのではないかと思う。どこまでも理屈で考える発想が発達していれば、「堪忍袋の緒が切れた」と称して大戦争を始めるなどあり得ない話だからだ。ひょっとすると今の北朝鮮にもそのような愚かな発想は無いのではないか。
むろん、すべてを理屈で割り切ろうとすると別の弊害が生まれかねない。そういう姿勢について行けない人々も出てくることだろう。ただし、私が言うのは、対外的なことでの「発想」だ。ここで理屈で動けないとなると個々人のコミュニケーションと同じく、たちまちトラブルを起こすことになるだろう。大学卒業程度の頭があった人間が、大戦争を引き起こしていることを重視しなければならない。大学の勉強が意味を無していないことを知るべきだろう。
外交でまともな「頭」を育てることができるようになれば、対内的にも人を育てる仕事につく人間の「頭」も根本的な理論を中心に育てるようにしなければならない。自由や人権など、言葉だけを輸入するのではなく、その理念まで根こそぎ学ぶことがなければ勉強ではない。今の大学のあり方は根本的に変革しなければならないと思う所以だ。大学は、何か「卒業」が権威のように思っているようだが、その中身が危ういものだけに大学側も、卒業者も空虚な威厳は捨て去るべきだと思う。実力を持って初めてその学問が生きるのであって、「卒業」では「素人」を売りにしているようなもので愚かなことなのだ。
科学の原典を邦訳し、デジタル化し誰でもいつでも閲覧できるサービスを開始できるようにしてみたいものだ。大赤字になることが予想されるのでこれは、国家の事業でなければならないが、実際の作業は私がやってもおかしいことではない。むしろ、これまでの実績を考えれば適任と言えるのではないかと自賛している。
なぜ、そのようなものが必要なのかが明確でなければならないのだが、それは、考える力を育てるためだ。基礎的な疑問を持たずに学問をやった気になることで、この国は崩壊しつつある、というのが私の認識だ。大学を、高卒程度の学力があれば誰にで行ける研究機関とし、資料は全国民が平等に利用できるようデジタル化する。そして、考える頭が育つことを期待するわけだ。100年はかかると思うが、それだけかけてもやる価値はあると思う。100年というのは、頭が育つまでにという意味だ。デジタル化作業そのものは、皆でかかれば、そう時間はかからないと思う。もちろん、それで終わるわけではなく、頭を育てるシステムを今後、永遠に続けるようにしていけば、この国もなかなかの国になるのではないかと思うのだが。
私のかなり昔からの疑問で、「なぜ、そう考えたかを知らずして勉強したと言えるのか?」というものがある。まさに、その疑問を解決しようとするのが科学の原典邦訳デジタル化事業だ。なぜ、原子があると言えるのか、なぜ地球が太陽を中心に回っていると言えるのか、なぜパストゥールは免疫という概念を思いついたのか。これだけのことであっても、誰にでもわかるような説明ができる大学教授はいるだろうか。
近代化以降、日本人は西洋の学問を「果実」としてしか輸入していない。大切に育てればやがて花開き、実を結ぶ「種」として認識していないのだ。これは、明治の時代に「お雇い外国人」として日本に来ていた、エルウィン・ベルツという人が指摘していることだ。だが、それを理解できたとしても行動に移せなかった日本人は、愚かにも太平洋戦争まで突き進み、東南アジア近隣諸国民に甚大な被害を与えた。自らの失政を他国のせいにする姿勢は、今の北朝鮮にそっくりだ。
日本人が、海外の技術なり思想なり、学問なりを「果実」としてのみ受け入れる様は、現在の中国が全世界からそのアイデアなり、キャラクターなりを盗むのと似ている。私が中国の行く末を危ういと思うのは、その点だ。工業の発展は結構だが、労働問題とか公害についての知識まで受け入れようとはしないのだ。既にその進歩的な解決方法がわかっているにもかかわらず。
百年以上前の日本人が、今の中国人が根本的なことから理解しようとしないのは、手間がかかるからだ。化学をやるのに「なぜ原子があると言えるのか」ということから入ると、とても今のような発展は望めなかったかもしれない。しかし、国家が破滅して近隣諸国民に大迷惑をかけるということは避けることができたのではないかと思う。どこまでも理屈で考える発想が発達していれば、「堪忍袋の緒が切れた」と称して大戦争を始めるなどあり得ない話だからだ。ひょっとすると今の北朝鮮にもそのような愚かな発想は無いのではないか。
むろん、すべてを理屈で割り切ろうとすると別の弊害が生まれかねない。そういう姿勢について行けない人々も出てくることだろう。ただし、私が言うのは、対外的なことでの「発想」だ。ここで理屈で動けないとなると個々人のコミュニケーションと同じく、たちまちトラブルを起こすことになるだろう。大学卒業程度の頭があった人間が、大戦争を引き起こしていることを重視しなければならない。大学の勉強が意味を無していないことを知るべきだろう。
外交でまともな「頭」を育てることができるようになれば、対内的にも人を育てる仕事につく人間の「頭」も根本的な理論を中心に育てるようにしなければならない。自由や人権など、言葉だけを輸入するのではなく、その理念まで根こそぎ学ぶことがなければ勉強ではない。今の大学のあり方は根本的に変革しなければならないと思う所以だ。大学は、何か「卒業」が権威のように思っているようだが、その中身が危ういものだけに大学側も、卒業者も空虚な威厳は捨て去るべきだと思う。実力を持って初めてその学問が生きるのであって、「卒業」では「素人」を売りにしているようなもので愚かなことなのだ。
科学の原典を邦訳し、デジタル化し誰でもいつでも閲覧できるサービスを開始できるようにしてみたいものだ。大赤字になることが予想されるのでこれは、国家の事業でなければならないが、実際の作業は私がやってもおかしいことではない。むしろ、これまでの実績を考えれば適任と言えるのではないかと自賛している。
なぜ、そのようなものが必要なのかが明確でなければならないのだが、それは、考える力を育てるためだ。基礎的な疑問を持たずに学問をやった気になることで、この国は崩壊しつつある、というのが私の認識だ。大学を、高卒程度の学力があれば誰にで行ける研究機関とし、資料は全国民が平等に利用できるようデジタル化する。そして、考える頭が育つことを期待するわけだ。100年はかかると思うが、それだけかけてもやる価値はあると思う。100年というのは、頭が育つまでにという意味だ。デジタル化作業そのものは、皆でかかれば、そう時間はかからないと思う。もちろん、それで終わるわけではなく、頭を育てるシステムを今後、永遠に続けるようにしていけば、この国もなかなかの国になるのではないかと思うのだが。
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