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菅直人にいくら依頼しても相手にされないこと、それは大学の自由化。そんなことに熱心に取り組んだところで高校生は、選挙権が無いし票にならないということだったのだろうか。

私の通った高校では、「補習科」というクラスがあり予備校の役目をはたしてくれている。いわゆる授業料もあるが私立の予備校にくらべれば激安で面倒を見てくれる。内容はともかく、これは非常に助かる制度だ。私も、まんまと4年間(講義は2年のみ、あと2年は試験のみ)も利用した。私が在籍した30年近く前でも既に10年近く通っているという強者もいた。そう、金さえ出せば、何年でも面倒を見てくれるのが「補習科」なのだった。

初めての浪人の年にその「先輩」を見たことがあるのだが、明らかに異様な光景だった。髪の毛は脂ぎってヌラヌラでそれこそ典型的な牛乳瓶の底メガネをかけていて小太りだ。「補習科」の講師は、高校の3年を担当した教師陣がそのまま、持ち上がりで担当となるが、彼らの中でも有名人だったのか、刺激しないように対応していたようだった。「先輩」は、疑問があったらしく黒板に向かって歩いて行き、しきりと首をひねっていた。「○○君、ええから座られ。」とやんわり諭されていた。噂ではこの時点で10浪していたという。数学の教師に「どこを受けるんで?」と聞かれ「東大です!」と元気よく答えていたのを思い出す。それはまさに、4年後の私の姿だったのだ。

私も直感的に未来の自分ではないかということを当時、感じていたのは確かだった。というのは、私も教員室の中では当時、「有名人」だったからだ。つまり、「実力」とかけ離れた大学を受験する生徒という意味でだ。3年の時の担任は、親切にも「内申書を書かんよ!」とまで言ってくれていたのだが、私は押し切ったのだった。最終的には生徒の意志なので誰も止められないわけだ。もちろん、私としては「いらんお世話だ」とばかりに担任とは感情的に対立していた。3浪の頃、何を間違ったか、誇り高き男の私は同窓会に出席したことがあった。この時は、この担任は元気で私に声をかけてくれたりしていたのだが、ほどなくしてガンで他界したと風の噂で聞いた。私の怒りもそれで消えてしまったことを覚えている。

2浪して、下級生と混じって講義を受けていた1年間は「あいつ何者?」と思われていただろうと思う。私もその目線を痛いほど感じていたが、どうしても合格したいという気持ちが耐えさせた。幸いにも2浪にして優れた教師と出会うことができたのが救いだった。おまけに、私淑する日本史の教師もこの年に再会することができた。少し成績も上がったのだが、「少し」にとどまった。もともと受験勉強には興味など無い私にはここが限界だったと、今にして思う。しかし、さらに京都の予備校に行こうと画策したが、母親に「お金が無い」と言われ断念した。この時の落胆は大きなものだったが、身の程を知るという意味ではいい経験だったように思う。私は、自宅で浪人することを決めた。

3浪からは、さらに自閉の殻の中に閉じこもることになった。補習科には試験のみ受けに行くのだが、さすがに気恥ずかしい思いが強かったと思う。本当ならば、こういう状況には耐えられない私だけに、どんどんと精神的なダメージは進行して行ったと思う。3浪の時ほど大学に行きたい、本物の勉強をしたいと思った時は無かった。そして、それが絶望的なことを思い知る時間でもあった。「行ける大学」ではなく「行きたい大学」を目指す以上は、不合格しかなく何年浪人しようが何の保障も無いのだ。こういう状態になると思いもよらない不安に陥ることを知った。

「合格」が不可能なのに合格が難しい大学受験を止められない理由は、大学がすべてだったからだ。大学という存在が浪人を重ねるにつれて自分の中で純化されて行き、人生のすべてのように思えたのだった。誰の説得も頭に入らない、非常に危険な状態だった。ある時、3年生の頃の英語教師に街で偶然出会ったのだが、「また、高校に来え。」という誘いに対して私は「もう、高校はええ。」と言うのみだった。私にとって高校とは私のやり方を邪魔する存在でしかなかったのだ。2浪の時に出会った教師をそれだけ信頼していたということでもある。

当然のごとく4浪に突入してしまった私だったが、さすがに母親もこれ以上は支援できない様子だった。困惑した顔で訴える母の顔を改めて見て自分が決断すべき時に来ていることをようやく悟るという始末だった。私の決断とは浮世離れしていて、もう一年で諦めるというものだった。父にそのことを訴えると、意外にあっさり承諾してくれた。事情をよく知らなかったと思うのだが、「できるんけえ?」と静かに言っていたのを覚えている。できるもできないも、この一年で諦めるという気持ちはウソではなかった。私自身も、この状態をあと何年も続ける自信は無かったのだ。

4浪の私は、夢遊病者のようだった。3浪の頃がもっとも危険な状態だったと思うが、4浪の時はあれが生きていると言えるのかどうか、そんな状況だったように思う。一年中、舌は真っ白で食事はまずく、下痢気味だった。おまけに痔疾(切れ痔)も患っていた。最後の本番では、書痙(しょけい)という症状も出た。手が震えて文字が書けなくなるという症状だった。誇り高き男の私が、このような状況に耐えられないことは明らかだった。私にしてみれば、刀折れ、矢尽きたという思いだったが一般的には、「いい気なもんだ」というところだろうか。しかし、私としては、ちょうど「悲憤やるかたない」という表現がピッタリする心境だったと思う。泣けるものなら泣きたい気持ちだったが、不思議に涙は出なかった。それよりも、クラスメートが4年で手にした「栄光」を私は40年かけても、やってやるという闘志がメラメラと沸いてくるのを感じていた。

私が訴えたいのは、こういう状況の浪人生を何とか救ってくれということではない。やはり、勉強するということを考えると「受験」という堰き止めが妨げているのはおかしいと思うからだ。勉強を妨げるものは、ただ一つしかなくて、それは「やる気」なのだ。これが無ければ、たとえ大学に合格したとしても勉強は無理だ。それなのに、「卒業」させて「大卒」という免罪符を与えてしまうことにこの国の不幸があると私は思っている。大学で何をするかわからないような人間は、そもそも勉強する意志は無いと私は見なしている。学問をなめてはいけない。やる気も無い人間に修得できるほど甘くは無いのが学問という営為だ。

政治家にはどうもこの辺がぼやけてよくわからないらしい。大学浪人を出さないようにすると言えばわかってもらえるだろうか。実は、浪人生というのはわかりにくい存在なのだ。高校は、通常、卒業までの3年間しか関わりはないし、私の出身校のように卒業の後まで面倒を見てくれる高校もあるにはあるが、それでもこちらが「面倒みてくれ」と行けばの話だ。高校が、浪人生をどれだけ本気で把握しようとしているのかはわからない。

しかし、高校が浪人生に一番近いということを利用して、現時点での「多浪生」の人数の正確な把握、連絡をとることをやらせる。元生徒の希望を聞いて最も適切な大学に送り込む、これが私の「改革」だ。「やる気」のある人間こそが勉強をする資格があるという考えだ。もちろん、希望の大学、学部、学科に行っても学問を成就できなかったということもあるかもしれない。その際は、また違う進路を選べばいいだけのことだ。「大学受験」が進路の妨げにならないのであれば、その判断は楽にできる。

この「改革」で問題は、大学側が拒否することにあると思うが、高校を卒業した者を大学は拒否できないという法律を作る必要がある。そして、同時に大学から「卒業」を無くす必要がある。何年在籍しようが、研究を続けようが、途中から大学へ行こうが自由にする。「大卒」という免罪符を誰にも与えないことが重要だからだ。企業は、「大卒」という肩書きを利用できず困るだろうが、本来それが正しい姿だということに気がつくべきだろう。

大学にも都合があると思うので、「新入生」の受け入れを最長で「1年」は「待ってもらう」ことはできるようにする。時代の要請で、ある大学のある学部、学科に希望が集中することがあるかもしれないからだ。今の時代のように東大、京大のみがもてはやされると当然、この大学への希望が集中するだろうが、それは、大学が解決しなければならない。インターネットを利用して、自宅で講義を聞いてもらうことも可能なのだから、場所を理由に拒否できないことは明らかだ。いくら、「東大」「京大」でも卒業が無いし進学の目的は「学問をすること」のみなので興味本位の「進学」は時間とともに淘汰される。

受験産業がこれによってほぼ壊滅することが考えられるが、学問をいかに修得するのかを研究する企業として生まれ変わることを期待するしかないだろう。これまでが甘い汁を吸い過ぎたことを自覚すべきではないか。受験のみのための「赤本」を出している会社などは、私が受験生であった頃から比べてずいぶんと潤っているように思える。書籍を見ればそれを感じることができる。その余裕は、受験ではなく難しいことの「解説」あるいは、学問に興味の無い人への「教育」のための本作りに費やすべきだろう。

それにしても、こんな「政策」に食いつく政治家などいるだろうか。今、社会の中心にいる50代の人間の劣化を考える時、どうしても頭を育てる研究機関が必要となると思う。これが本来ならば大学だったのだが、結果として機能してこなかった。勉強しなくても何とか過ごせる制度だったからだ。大学を、当たり前のことなのだが、研究機関として機能させることで変われると思う。浪人という無駄な時間をカットしてすぐに大学に行かせることが大切だ。学問を続けられるかどうかは、ひとえに本人の「やる気」にかかっている。
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