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きのうから京都に来ている。民主党の代表選挙があったので家に引きこもっていたかったが前々から決めていたので仕方なかった。テレビの偏向報道を見るのもそれなりに楽しいので。
私の移動の宿命かもしれないが、「雨」だ。これまでずっとそうだったというほどでもないが、何もこんな日にという時に限って雨のことが多い。今回は、趣向を変えてレンタルサイクルを考えていたのだが、雨の可能性もあるので取りやめにした。京都は、車を使うほどのことはないが、歩くと遠いという場面が多い。それでいて、地下鉄やバスではかゆいところに手が届かないのだ。歩くと健康にいいのだろうが、疲れてしまい余裕が無くなる。
きのうなどは、午後2時にはまったくフリータイムだったが、笛を吹いたり、パソコンをさわったりで極上の時間だった。ただ、それまでに移動とかで疲れてしまっているのでつい、うたた寝をしてしまった。そうこうしているともう夜だった。もったいない過ごし方だ。
ただ、私は満足している。というのは、私にとって京都という街は「厳しい」街だった。20代の若き日の大半を過ごした街であったが、楽しいことはあまり無かったから。京都の街もほとんど知らなかった。これは、現在の東京での生活と同じで、すみかと仕事場の往復の毎日だからだった。仕事場とアパートまでのルート以外はほとんど知らないのだ。あれから20数年経っているが、こんな道があったのかということも少なくない。そして、京都時代のもっとも強い印象というのは、日々生活に追われていた、ということ。生活費にも事欠くという毎日だったのだ。ホームレスを余儀なくされた人々にくらべればいい気なもんだという意見もあるが、私には厳しく必死な毎日だったのだ。
そんな、暗い記憶のある京都に来て、生活の心配をせずに過ごせる時間は、何もしなくても贅沢なのだ。去年は来たくともチャンスに恵まれなかった。今年も無理だと思われていたのだが、偶然、ホテルがとれたこともあり、俄然やる気になって2年ぶりの京都詣でになったのだった。今日は雨で、しかも人と会うこともあって、どこかへ行くということは不可能かもしれない。時間がもしあれば、決めていたところへ行ってみたい。
京都は観光地でもあるし、さぞかし活発な街と思っている人も多いだろう。しかし、街は岡山と同じく死んだようだ。よく行った本屋は照明も暗くしていて買いたい本もあまり無いという悲惨な状態だった。おまけに懐かしいと思って入った私をコソ泥と思ったのか、店長らしき人物が私の側まで来てそうじを始める始末だった。これは、「ちゃんと監視しているぞ」という合図だそうだ。
近所には、何でも屋というか何でも安く売っている店があったのだが、今では某有名家電店が入っている。ipodの周辺機器があれば買いたいと思って入ったのだが、当然のように無かった。品揃えもいいとは言えず、店が続いていることの方が驚異的だと思った。書店とこの店は、次に来る時は無いかもしれない。京都で生活している人もいるわけだが、決して繁盛はしていない。20数年前からそれはほとんど変わっていないように思える。
まるで、はかったかのように帰りは「快晴」だった。平日なので席もがら空き、これでは気分も悪くなりようがなく「いきものがかりのオールナイトニッポン」を聞きながら帰った。うたた寝をしたりしていると2時間半は、あっという間だった。東京駅に出るといきなりの喧噪と臭い匂い。東京に帰ってきたのだなあと思わせる。京都は静かで臭さもあまりない。ただし、仕事も無い。どっちがいいのかというと、やはり、仕事をしなければ生きて行けず、今は東京を選択するしかない。
私が京都で、あるいは岡山で仕事を始められる可能性はあるだろうか。常識的には、無理なのだが仕事の無い所に有益な仕事を作るようにという動きがあれば一気にできてしまう。要するにスポンサーが必要だということだ。私が命を賭けて売り込むことしかないのだろう。10数年前、私は仕事を求めて東京に出てきた。あの時も、奇跡のような出会いとかがあって今の仕事が始まった。大きかったのは、私の「やる気」だった。今もやる気満々なのだが、時代が縮小しつつある。通常のやり方では「新しく始める」ことなど無理だ。何か考えなければ。
私の移動の宿命かもしれないが、「雨」だ。これまでずっとそうだったというほどでもないが、何もこんな日にという時に限って雨のことが多い。今回は、趣向を変えてレンタルサイクルを考えていたのだが、雨の可能性もあるので取りやめにした。京都は、車を使うほどのことはないが、歩くと遠いという場面が多い。それでいて、地下鉄やバスではかゆいところに手が届かないのだ。歩くと健康にいいのだろうが、疲れてしまい余裕が無くなる。
きのうなどは、午後2時にはまったくフリータイムだったが、笛を吹いたり、パソコンをさわったりで極上の時間だった。ただ、それまでに移動とかで疲れてしまっているのでつい、うたた寝をしてしまった。そうこうしているともう夜だった。もったいない過ごし方だ。
ただ、私は満足している。というのは、私にとって京都という街は「厳しい」街だった。20代の若き日の大半を過ごした街であったが、楽しいことはあまり無かったから。京都の街もほとんど知らなかった。これは、現在の東京での生活と同じで、すみかと仕事場の往復の毎日だからだった。仕事場とアパートまでのルート以外はほとんど知らないのだ。あれから20数年経っているが、こんな道があったのかということも少なくない。そして、京都時代のもっとも強い印象というのは、日々生活に追われていた、ということ。生活費にも事欠くという毎日だったのだ。ホームレスを余儀なくされた人々にくらべればいい気なもんだという意見もあるが、私には厳しく必死な毎日だったのだ。
そんな、暗い記憶のある京都に来て、生活の心配をせずに過ごせる時間は、何もしなくても贅沢なのだ。去年は来たくともチャンスに恵まれなかった。今年も無理だと思われていたのだが、偶然、ホテルがとれたこともあり、俄然やる気になって2年ぶりの京都詣でになったのだった。今日は雨で、しかも人と会うこともあって、どこかへ行くということは不可能かもしれない。時間がもしあれば、決めていたところへ行ってみたい。
京都は観光地でもあるし、さぞかし活発な街と思っている人も多いだろう。しかし、街は岡山と同じく死んだようだ。よく行った本屋は照明も暗くしていて買いたい本もあまり無いという悲惨な状態だった。おまけに懐かしいと思って入った私をコソ泥と思ったのか、店長らしき人物が私の側まで来てそうじを始める始末だった。これは、「ちゃんと監視しているぞ」という合図だそうだ。
近所には、何でも屋というか何でも安く売っている店があったのだが、今では某有名家電店が入っている。ipodの周辺機器があれば買いたいと思って入ったのだが、当然のように無かった。品揃えもいいとは言えず、店が続いていることの方が驚異的だと思った。書店とこの店は、次に来る時は無いかもしれない。京都で生活している人もいるわけだが、決して繁盛はしていない。20数年前からそれはほとんど変わっていないように思える。
まるで、はかったかのように帰りは「快晴」だった。平日なので席もがら空き、これでは気分も悪くなりようがなく「いきものがかりのオールナイトニッポン」を聞きながら帰った。うたた寝をしたりしていると2時間半は、あっという間だった。東京駅に出るといきなりの喧噪と臭い匂い。東京に帰ってきたのだなあと思わせる。京都は静かで臭さもあまりない。ただし、仕事も無い。どっちがいいのかというと、やはり、仕事をしなければ生きて行けず、今は東京を選択するしかない。
私が京都で、あるいは岡山で仕事を始められる可能性はあるだろうか。常識的には、無理なのだが仕事の無い所に有益な仕事を作るようにという動きがあれば一気にできてしまう。要するにスポンサーが必要だということだ。私が命を賭けて売り込むことしかないのだろう。10数年前、私は仕事を求めて東京に出てきた。あの時も、奇跡のような出会いとかがあって今の仕事が始まった。大きかったのは、私の「やる気」だった。今もやる気満々なのだが、時代が縮小しつつある。通常のやり方では「新しく始める」ことなど無理だ。何か考えなければ。
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