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調子の悪い時には考えられない「気持ち」だが、最近、出勤時に「自分は生きている」という実感を感じたりする。疲れていると、これが「また、今日も仕事に行かなければならない」と思い、絶望的な気分になるのに!

一定の時間に電車を乗り降りするようになると、毎日、ほとんど決まった顔ぶれに出会うことになる。出発地点から一緒で、乗り換えも一緒という人も少なくない。いつも私のすぐ前を忙しく歩いているお父さんがいなかったりすると、「病気でもしているのだろうか」と心配になってくる。次の週には、何事も無かったように歩いているのを見かけるとホッとする。

去年、発見したことだが週末でも、この見慣れた顔ぶれと遭遇することはよくある。11時とか午後2時とかに私は出かけることが多いのだが、実はみんな一緒なのかもしれない。平日には一人の人も嫁さんを連れていたり、年老いた母親を伴っていたりする。そして、秋葉原とかに出かけて帰ってくる時間も同じことなどもあった。出かけたい時間、帰りたい時間も大して変わらない、ということなのだろう。

せっかく調子のいい時なので、では、調子が悪くなった時のために何かできないだろうかと思うのだが、実際のところ、そういう時は休むしかないのでは、ということくらいしか思い浮かばない。私の場合、調子が悪いというのは、「胃が痛い」という感覚で来ることが多い。その結果、食べられない→眠れない→起きれないという悪循環となり極度に体調が悪くなるというパターンだ。そういう時に限って、仕事が忙しいことを考えると、やはり、仕事のストレスというものが体調悪化の最大の原因ということになるのだろう。

では、今の好調の原因となるとこれは、正月休みの効果が続いているのではないかというのがまずあげられる。次に、趣味の分野で写真撮影がますますおもしろくなってきたということがある。これは、いいレンズを年末調達した結果だ。そして、年末から新たな分野であるフォルクローレ、ネイティブ・アメリカンフルートに興味を持ったということも大きい。今後、CDや楽器そのものへの購入につながると思うが楽しみだ。最後は、なんと仕事そのものだ。

今、ubuntu(ウブンツ)という名のLinuxに興味津々なのだが、これを育てることに躍起になっている。そうすると、もちろん目の前の仕事はお留守になるのだが、仕事への意欲は極限まで高まる。かつて、FreeBSDに猛然と取りかかっていた頃を思い出すようだ。その日その日の「水揚げ」的な勘定では私の仕事ぶりは評価されないが、一定の長い期間の中での総合的な評価という観点からは意味を持つ。FreeBSDの時もそうだったが、これが役に立たないどころか、今では仕事に欠かせないOSとなっている。

そして、私の場合、好調の際には必ず鎌首をもたげて来る物欲という煩悩だ。写真撮影に凝りだすと当然、もっと性能のいいカメラが欲しくなる。マスコミに踊らされない独自の考察でどのカメラがいいのかを研究しだすと、これはまた一つの学問のようになってしまう。結構な時間がかかるのでボーッとする暇も無いくらいだ。雑誌に本に結構な月謝を払うことにもなる。

仕事に興味を持ってくると、今度はもっといいコンピュータが欲しくなる。OS研究用に1台あってもいいな、とか独自のこじつけを捻出して正当化している自分を発見するのだった。カメラもそうだが、コンピュータもそう簡単に手を出せるものではないので、いつも葛藤があるのだ。最終的には物欲が勝ってしまうのだが、それまでの期間が「おいしい」のだ。もう、何に手を出そうかと無我夢中で不調の時の不眠とか胃痛とか食欲不振とかは完全に忘れてしまっているわけだ。

物欲に常に敗北することがいいとは思わないが、経験上、買わないとわからないこともある。小額の時にはそういう理由付けで買うことになるのだが、高額の際にはためらいがある。ただ、「後ろめたい」買い物ほど幸福感は高い。これは経験的な事実だ。こっそり買って、こっそりと楽しむのだ。この「火遊び」感覚が絶妙な効果を生み、「生きがい」さえ感じることも多い。私が、不調の人に買い物をすすめる理由だ。不調を訴える人にかぎって、質素で節訳家なのだ。欲しいものを買って、また、仕事で取り戻す、という発想が必要なこともある。

好調の原因は、当たり前のようであって、実は「生きる」ということにつながる大きな示唆も含まれているのではないか。健康でありたいと思うあまり、常に病気や体調のことばかりを考えているとこれがストレスとなりガンになりやすいという。『病気になる人、ならない人』の著者はそう言うのだが、経験的にはガンを「病気」と読み替えれば当たっているように思える。ストレスというのは、最強の病因のような気がする。多少の月謝を払うことでストレスを忘れられるならば、そういう生き方もありではないかと思っている。物欲を満たすことだけではなく、人はいろんな「仕掛け」を用意して、無意識のうちに生きている。目の前の困難をそうやって克服しつつ、生きている。できれば、自分も周りの人も楽しくなるような生き方がいい。

例年ならば、来月をピークとして不調に移る。しかし、そんなことは忘れて今は夢中なことに命をかけて生きたい。昔はあまり考えなかったのだが、楽しい生き方は確かにあるような気がしてきた。



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