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東京では、ラジオもけっこう聞く生活をしているため岡山では調子が狂う。こちらではネットしていない番組がほとんどだ。オールナイトニッポンをネットするようになっていたのを今日知ったが遅かった。いきものがかりのオールナイトニッポンは、金曜日の深夜なのだ。今日は今日で爆笑問題の生が4時間にわたって流れるのだが、こちらでは聞けない。東京ローカルな番組だったのだと改めて思い知らされた。
こちらにいれば、フジテレビの「キャンパスナイトフジ」が見たかったと思うが、東京ではしょうもない番組だ。録画したものの見る気もしない。こちらの番組がおもしろいのかと言えばそんなことはなく、見たい番組は、ほとんど無い。ニュースもマスゴミなのでそのまま信用できないから見る意味が無い。ドラマも漫画もつまらない。
岡山では、日中に聞けるAMラジオは3局くらいしかない。NHKも含めてだ。これでは、仮に病気でこちらに入院しても夜がなかなか厳しい。テレビを見られないような所ではけっこう今でもラジオを聞いているようなのだが、地方では予算不足なのだろうと思うが、おもしろいと感じられるような番組など作る余地も無いのかもしれない。
この休みの間は、さすがに眠れないということはなく12時前には目がしょぼしょぼしてきて眠たくなる。仕事をしているわけでもなく運動をしているわけでもなくゴロゴロしているだけなのに。ラジオの録音してあるものとかワンセグ、ipodビデオと夜のお供はいっぱい持って帰っているのだが、ipodビデオを少し集中的に見るくらいだ。
テレビは、つまらなくなったのだが皮肉にも画質は良くなった。ケーブルテレビの回線とハイビジョンテレビがあればの話だが、かなりきれいで便利だ。「ザ・テレビジョン」などめくらなくとも「番組表」ボタンで一発検索できる。録画もこの番組表を見ながら一発だ。ただ、録画したいものが無い。
きのうのアシュリーは、久しぶりに泣けた。最初から見ていたのでいつかこの日が来るのを知ってはいたのだが、それでも泣けてしまう。小学校時代の親友クレアも葬式に来ていた。その後、アシュリーとの友情は回復されることは無かったと思うが、それは紹介されていなかった。クレアが「男」の話題で話ができないアシュリーを嫌ったことが離反の原因だったと思う。クレアはその後、アシュリーに電話したがアシュリーは出なかったという。アシュリーも親友だと思って付き合っていただけに悔しかったのだろうか。前回の放送では、まるでブッダのごとく達観した言葉を吐いていたアシュリーなのだが、友人のことは許せなかったようだ。
死と隣り合わせという意味では、アシュリーも私たちも変わることはないと思う。明日にでも事故死する可能性だってあるのだ。ただ、時間の問題なのだが、そこが大きい。アシュリーの盟友タケット君の「いかに長く生きるかではなくて、どう生きるかだ」という言葉が本当に身にしみる。アシュリーの母ロリーは、茫然とした表情だったが、当然だろう。アシュリーの後に3人もの子供に恵まれたとはいえ、アシュリーを失ってもいいとは言えないからだ。せめてプロジェリアの進行を食い止められるようになって欲しいと思う。
こちらにいれば、フジテレビの「キャンパスナイトフジ」が見たかったと思うが、東京ではしょうもない番組だ。録画したものの見る気もしない。こちらの番組がおもしろいのかと言えばそんなことはなく、見たい番組は、ほとんど無い。ニュースもマスゴミなのでそのまま信用できないから見る意味が無い。ドラマも漫画もつまらない。
岡山では、日中に聞けるAMラジオは3局くらいしかない。NHKも含めてだ。これでは、仮に病気でこちらに入院しても夜がなかなか厳しい。テレビを見られないような所ではけっこう今でもラジオを聞いているようなのだが、地方では予算不足なのだろうと思うが、おもしろいと感じられるような番組など作る余地も無いのかもしれない。
この休みの間は、さすがに眠れないということはなく12時前には目がしょぼしょぼしてきて眠たくなる。仕事をしているわけでもなく運動をしているわけでもなくゴロゴロしているだけなのに。ラジオの録音してあるものとかワンセグ、ipodビデオと夜のお供はいっぱい持って帰っているのだが、ipodビデオを少し集中的に見るくらいだ。
テレビは、つまらなくなったのだが皮肉にも画質は良くなった。ケーブルテレビの回線とハイビジョンテレビがあればの話だが、かなりきれいで便利だ。「ザ・テレビジョン」などめくらなくとも「番組表」ボタンで一発検索できる。録画もこの番組表を見ながら一発だ。ただ、録画したいものが無い。
きのうのアシュリーは、久しぶりに泣けた。最初から見ていたのでいつかこの日が来るのを知ってはいたのだが、それでも泣けてしまう。小学校時代の親友クレアも葬式に来ていた。その後、アシュリーとの友情は回復されることは無かったと思うが、それは紹介されていなかった。クレアが「男」の話題で話ができないアシュリーを嫌ったことが離反の原因だったと思う。クレアはその後、アシュリーに電話したがアシュリーは出なかったという。アシュリーも親友だと思って付き合っていただけに悔しかったのだろうか。前回の放送では、まるでブッダのごとく達観した言葉を吐いていたアシュリーなのだが、友人のことは許せなかったようだ。
死と隣り合わせという意味では、アシュリーも私たちも変わることはないと思う。明日にでも事故死する可能性だってあるのだ。ただ、時間の問題なのだが、そこが大きい。アシュリーの盟友タケット君の「いかに長く生きるかではなくて、どう生きるかだ」という言葉が本当に身にしみる。アシュリーの母ロリーは、茫然とした表情だったが、当然だろう。アシュリーの後に3人もの子供に恵まれたとはいえ、アシュリーを失ってもいいとは言えないからだ。せめてプロジェリアの進行を食い止められるようになって欲しいと思う。
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