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永井龍雲のライブに急遽行ってきた。有楽町という目と鼻の先でのライブだけに無視することはイケナイことのように思われた。折も折、今朝たまたま「流れよ」を仕事中に2度続けて聴いた。普段は、あまり聴かない曲なのだが、季節柄、聴きたくなる曲ではあった。オールナイトニッポンのエンディングテーマに使われていたからだ。1981年の3月頃に龍雲のオールナイトニッポンは終了したのだが、その2ヶ月前くらいから使われていた。
この日の私は、体調も良くなく、場所がイマジンスタジオというニッポン放送の地下にあるスタジオだというのもひっかかった。体調の悪い時にそんなところへ行けば、閉所恐怖の症状が出やすいことがわかっているからだ。今回は、たまたまチケットの購入をミスり、諦めていた。しかし、直前になりまだ若干空きがあり、当日券が残っているというメルマガが届いていた。気にはなるけど、この体調ではな、とダンマリを決め込むつもりだった。
しかし、「流れよ」を聴いていると段々と意欲がわいて来るのを感じた。確かに、パニック症状を起こすかもしれない、それでも行くべきではないか?という心の声が聞こえてくるのであった。それというのも、30年近く前、「流れよ」が、まさに消えようとしていた私の命の灯火を再度、ともしたからだった。今の私があるのも龍雲があの時、「流れよ」を歌ってくれたからだった。龍雲は私の命の恩人でもあるのだ。それを体調が悪いからと言って無視するのか?
私は、燃えるものを感じて行く決意をしたのだった。ただし、それでもチケットが売り切れならしゃーないな、などと弱気なことを思っていた。現地に着くと、ファンクラブの代表の方をおみかけした。あいさつの前に当日券を買いに走った。幸か不幸か、チケットはあったのだった。外に出てから代表の方と少し話をした。五木ひろしの公演に龍様が出演しているのだが、それにも行ったという。今日は、パスの予定だったが、近くなので無視するわけにもいかなかったと「言い訳」した私だった。
実際、スタジオは狭苦しくていかにもパニックが来そうな雰囲気だった。幾分、脈もドクドク鳴り始めた。ここで、アンケートを先に書くことで気を静めることにしたのだが、これが正解だった。後は、少しの深呼吸で大したパニックも出なかった。それよりも「アジテーター」として参加してくれた富澤一誠氏と龍様の話がためになり、そちらで癒されてしまったようだ。「行くべきだ」という心の声の導くままに行動したのだが、行って良かったという思いが強い。今度の新曲は、この富澤氏の詩に龍雲が曲をつけたものなのだが、龍雲の集中力がすごかったのだ。オールナイトニッポンのオープニングで使われた「季節の便りに」も歌ってくれ余計に癒された。
龍雲自身もニッポン放送がなつかしかったようだ。建物は当時とは違うようだったが、当時の雰囲気を思い出すようだ。私も浪人の始まりで、まだまだなんとかなると思っていた時期を思い出し、いつものモードに戻ったようだった。永六輔が言っていたのだが、慣れた観劇なのに「悪酔い」することがあるのだという。せっかくの日なのにこういう時は、廊下に出て休憩するのだそうだ。私もここ何回かのライブは「悪酔い」ばかりする。恐らくは、「いい席」を買うことになるので私が落ち着かないからだと思う。今日のように段々とリラックスできればいいのだが、胃が痛いと思うくらい緊張することが続いている。わりと広々としたホールの最後尾に陣取るのが私の「落ち着く」態勢なのだ。
フルコースでサイン会にも出たが、龍雲は笛のことを覚えてくれていて顔を見ただけで「笛、ありがとね。」と言っていた。実は、今日持って行けたのだが、私がこんな状況なのでできなかったのだ。しかし、ちゃっかり、自分の笛を持ち歩いていた。代表の方からは、「あ、笛持ってきてくれたんですか。」と言われたのだが、これはあげるわけには行かなかった。8月に再会できると思うのでチャンスはこの時だろう。この時は、ケーナも持って行きそうだ。
龍雲は、今日のために沖縄を朝8時に出てきたそうだ。私が無視していたら、この気持ちを裏切っていたところだ。今度の新曲を、「フリー・エイジ・ソング」として売って行くのだそうだ。ユニバーサルという会社もけっこう本気でキャンペーンビデオをも作っていて、それも一部見せてくれた。龍雲自身も最近の自分に満足しているわけではなく、あくまでも「やるからには、大ヒットを出したい」と思うそうだ。その心意気を聞けただけでも意義のあるライブだった。行って良かったと心から思えるライブだった。
この日の私は、体調も良くなく、場所がイマジンスタジオというニッポン放送の地下にあるスタジオだというのもひっかかった。体調の悪い時にそんなところへ行けば、閉所恐怖の症状が出やすいことがわかっているからだ。今回は、たまたまチケットの購入をミスり、諦めていた。しかし、直前になりまだ若干空きがあり、当日券が残っているというメルマガが届いていた。気にはなるけど、この体調ではな、とダンマリを決め込むつもりだった。
しかし、「流れよ」を聴いていると段々と意欲がわいて来るのを感じた。確かに、パニック症状を起こすかもしれない、それでも行くべきではないか?という心の声が聞こえてくるのであった。それというのも、30年近く前、「流れよ」が、まさに消えようとしていた私の命の灯火を再度、ともしたからだった。今の私があるのも龍雲があの時、「流れよ」を歌ってくれたからだった。龍雲は私の命の恩人でもあるのだ。それを体調が悪いからと言って無視するのか?
私は、燃えるものを感じて行く決意をしたのだった。ただし、それでもチケットが売り切れならしゃーないな、などと弱気なことを思っていた。現地に着くと、ファンクラブの代表の方をおみかけした。あいさつの前に当日券を買いに走った。幸か不幸か、チケットはあったのだった。外に出てから代表の方と少し話をした。五木ひろしの公演に龍様が出演しているのだが、それにも行ったという。今日は、パスの予定だったが、近くなので無視するわけにもいかなかったと「言い訳」した私だった。
実際、スタジオは狭苦しくていかにもパニックが来そうな雰囲気だった。幾分、脈もドクドク鳴り始めた。ここで、アンケートを先に書くことで気を静めることにしたのだが、これが正解だった。後は、少しの深呼吸で大したパニックも出なかった。それよりも「アジテーター」として参加してくれた富澤一誠氏と龍様の話がためになり、そちらで癒されてしまったようだ。「行くべきだ」という心の声の導くままに行動したのだが、行って良かったという思いが強い。今度の新曲は、この富澤氏の詩に龍雲が曲をつけたものなのだが、龍雲の集中力がすごかったのだ。オールナイトニッポンのオープニングで使われた「季節の便りに」も歌ってくれ余計に癒された。
龍雲自身もニッポン放送がなつかしかったようだ。建物は当時とは違うようだったが、当時の雰囲気を思い出すようだ。私も浪人の始まりで、まだまだなんとかなると思っていた時期を思い出し、いつものモードに戻ったようだった。永六輔が言っていたのだが、慣れた観劇なのに「悪酔い」することがあるのだという。せっかくの日なのにこういう時は、廊下に出て休憩するのだそうだ。私もここ何回かのライブは「悪酔い」ばかりする。恐らくは、「いい席」を買うことになるので私が落ち着かないからだと思う。今日のように段々とリラックスできればいいのだが、胃が痛いと思うくらい緊張することが続いている。わりと広々としたホールの最後尾に陣取るのが私の「落ち着く」態勢なのだ。
フルコースでサイン会にも出たが、龍雲は笛のことを覚えてくれていて顔を見ただけで「笛、ありがとね。」と言っていた。実は、今日持って行けたのだが、私がこんな状況なのでできなかったのだ。しかし、ちゃっかり、自分の笛を持ち歩いていた。代表の方からは、「あ、笛持ってきてくれたんですか。」と言われたのだが、これはあげるわけには行かなかった。8月に再会できると思うのでチャンスはこの時だろう。この時は、ケーナも持って行きそうだ。
龍雲は、今日のために沖縄を朝8時に出てきたそうだ。私が無視していたら、この気持ちを裏切っていたところだ。今度の新曲を、「フリー・エイジ・ソング」として売って行くのだそうだ。ユニバーサルという会社もけっこう本気でキャンペーンビデオをも作っていて、それも一部見せてくれた。龍雲自身も最近の自分に満足しているわけではなく、あくまでも「やるからには、大ヒットを出したい」と思うそうだ。その心意気を聞けただけでも意義のあるライブだった。行って良かったと心から思えるライブだった。
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