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『病気になる人ならない人』という本を去年の夏、京都で購入し、東京への帰りに読んだ。西洋医学で成功していた医師による、科学では証明できないことについて書かれた本だ。
著者自身も第一線の外科医をやめて、もっと精神的な分野をも含む治療医になろうとしているらしい。私の日頃の思いと重なることも多く、共感できたのだった。最近、またこの本を読んでいる。私自身、西洋医学への偏った考え方を持っていたこともありもう一度読んでみたいと思ったのだった。
多くの人と同じように、西洋医学というのが私にとって最後の砦だった。パニックになった時には、迷わず精神科に行ったし、眠りが安定しない時にもせっせと医者通いをしたものだった。だから、主治医だった精神科医に裏切られたと感じた時には無性に腹が立ったものだ。医者にも腹が立ったが、あんな安物の医者にあっさりだまされた自分に最も腹が立った。この国では、厚労省と医者、そして薬剤メーカーが談合して「永久機関」とも言えるような自己保身の自動運動をしていることが見えていなかった。
実は、今回書きたかったのは、この本の著者も私と同じような見解を持っていたのだった、ということ。それもそのはず、西洋医学が得意とするのは、けがとかうちみとか、はっきりと見てわかる変化に対する治療なのだ。がんを始めとする慢性的な病気に対して西洋医学はほとんどといっていいほど無力だ。著者は、がんなどの病気に潜む患者自身のそれまでの「生活史」を研究対象として選んでいるのだった。
当然、今の西洋医学では、がんであるという事実が問題なのであって、それまでのことは見ていない。がんがあれば、切り取るなどして「治療」するのが西洋医学だ。激痛が走ろうが、生活が著しく不便であろうがかまわない。極端に言えばそういうことになる。
さらに著者は、今の精神科、心療内科にも触れていて、「科学的見方」に捕らわれていて、真実には近づいていないと考えている。そして、結局、「病気」を治すのは「患者自身」という結論を出している。「今の自分を変えること」が病気を治すことにつながるということなのだ。「うつ」についてもまったく同じ事が言えると思い、私は納得したのだった。
「うつ」の人々のブログを読むと、自分で薬を断って痛い目にあったなどとよく書かれている。確かに、離脱症状が起きるので恐いのは恐いのだが、そこから先が見えていない。薬をやっていればいつか治る、くらいの書き方なのが痛々しい。また、それに対して今の私は、言葉が無いのだ。いくら薬を飲んでも対症療法なので根本的な解決ではないし、怒りを忘れない性格を治さずして、現状が改善するはずがないのだが。
スマナサーラ長老の著書のように、結局、『怒らないこと』が「怒り」への一番の対処方法であるように思う。常に皆が楽しくなるようなことを心がけて生きること。そして、トラブルを楽しむ気持ちが大事だ。仏教用語の「忍耐」が必要だ。つまり、うれしくても、大ピンチでも冷静でいることが必要だ。そうすることで何をすればいいのか、ひとりでに見えてくる。
著者自身も第一線の外科医をやめて、もっと精神的な分野をも含む治療医になろうとしているらしい。私の日頃の思いと重なることも多く、共感できたのだった。最近、またこの本を読んでいる。私自身、西洋医学への偏った考え方を持っていたこともありもう一度読んでみたいと思ったのだった。
多くの人と同じように、西洋医学というのが私にとって最後の砦だった。パニックになった時には、迷わず精神科に行ったし、眠りが安定しない時にもせっせと医者通いをしたものだった。だから、主治医だった精神科医に裏切られたと感じた時には無性に腹が立ったものだ。医者にも腹が立ったが、あんな安物の医者にあっさりだまされた自分に最も腹が立った。この国では、厚労省と医者、そして薬剤メーカーが談合して「永久機関」とも言えるような自己保身の自動運動をしていることが見えていなかった。
実は、今回書きたかったのは、この本の著者も私と同じような見解を持っていたのだった、ということ。それもそのはず、西洋医学が得意とするのは、けがとかうちみとか、はっきりと見てわかる変化に対する治療なのだ。がんを始めとする慢性的な病気に対して西洋医学はほとんどといっていいほど無力だ。著者は、がんなどの病気に潜む患者自身のそれまでの「生活史」を研究対象として選んでいるのだった。
当然、今の西洋医学では、がんであるという事実が問題なのであって、それまでのことは見ていない。がんがあれば、切り取るなどして「治療」するのが西洋医学だ。激痛が走ろうが、生活が著しく不便であろうがかまわない。極端に言えばそういうことになる。
さらに著者は、今の精神科、心療内科にも触れていて、「科学的見方」に捕らわれていて、真実には近づいていないと考えている。そして、結局、「病気」を治すのは「患者自身」という結論を出している。「今の自分を変えること」が病気を治すことにつながるということなのだ。「うつ」についてもまったく同じ事が言えると思い、私は納得したのだった。
「うつ」の人々のブログを読むと、自分で薬を断って痛い目にあったなどとよく書かれている。確かに、離脱症状が起きるので恐いのは恐いのだが、そこから先が見えていない。薬をやっていればいつか治る、くらいの書き方なのが痛々しい。また、それに対して今の私は、言葉が無いのだ。いくら薬を飲んでも対症療法なので根本的な解決ではないし、怒りを忘れない性格を治さずして、現状が改善するはずがないのだが。
スマナサーラ長老の著書のように、結局、『怒らないこと』が「怒り」への一番の対処方法であるように思う。常に皆が楽しくなるようなことを心がけて生きること。そして、トラブルを楽しむ気持ちが大事だ。仏教用語の「忍耐」が必要だ。つまり、うれしくても、大ピンチでも冷静でいることが必要だ。そうすることで何をすればいいのか、ひとりでに見えてくる。
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