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民主党小沢代表の去就をめぐり、ネットでも大きく2つの流れが出てきた。小沢に同情的だった人も立花隆の寄稿(奇行?)を読んで転んでしまった場合もあるようだ。数としては圧倒的に朝日新聞の方が多いのでそういうこともあるのだろう。2つの流れとは、最初から、小沢氏の秘書逮捕を不当とする勢力と、それはわかるのだが、選挙に勝つためには代表を交代すべきだという勢力だ。
後者の場合は、現実的な立場にたっているようだ。いくらネットで不当だと訴えても、現実にマスゴミ化した朝日新聞などの情報操作に勝てるわけがないというものだ。立花隆も大病を患っている身だけに、そう詳しい情報を集められずに書いてしまったのだろう。今の時代は、マスゴミ化した新聞、ラジオ、テレビ、雑誌の情報は残念ながら「裏」をとらなければ使えないのだ。同じく、新聞をこよなく愛する森田実氏も小沢氏を攻撃している。間違った情報からの判断は言うまでもなくあてにはならない。
立花隆がここで出てきたことで小沢不支持に回った人々は、「権威」に弱い人々だろうと思う。私も立花隆を敬愛するのだが、間違った判断までは同意できないという立場だ。これは、小田実の時もそうだった。小田実は、晩年、「拉致は、日本が侵略しなければ無かった」というような妄論を吐いたという。私は、これが本当に小田実の口から出たものなのか確かめたかったのだが、そうする時間も無く小田実は昨年、亡くなった。拉致は、北朝鮮が日本を憎んでやったことではない。あくまでも南北統一の工作であった。小田実は、その辺をどう考えていたのだろうか。
検察の組織論について立花隆は、それほど詳しくないのではないだろうか。むしろ、この騒動の中で最初から検察の異常ぶりを訴えていた郷原信郎氏の言説が素人にも説得力に富む内容だったように思う。立花隆が活躍していた時代と異なり、検察はもとより政治家も学者もマスコミも激しく劣化してしまった。おそらく、効率を重視するあまり、手間のかかかる「自分の考え」をまとめることをしなくなったのではないか。今回の騒動でも、検察は正しい、マスコミは正しいという立場で見れば実にわかりやすい。立花隆や森田実のような結論は自然に出てくると思う。つまり、相当な政治的な経験者であると思われる立花隆や森田実は、皮肉なことに経験を通じて「無知」になってしまった。周りが変化してしまったからだ。そのことに気がつかない当人は、悲惨だと思う。
ただし、これからも生きる人々にとってはちょっと慎重にならなければたいへんなことになると思う。つまり、今回のように検察の行動がおかしいと初期の頃からわかっているにもかかわらず、「検察が間違っているはずがない」「立花隆や森田実も小沢辞めろと言っている」という情報から状況判断をするとやがては、自分の身に跳ね返ってくる、ということ。戦前の世の中もこういうしくみで醸成されたのではないかと思う。誰もが自分の頭で考えることをしなくなれば、為政者としてはものすごくやりやすい。後は、法律を作って有無を言わさずに国民を「動かす」だけのことなのだ。
現在、乗り越えなければならない障害はただ1つだろう。「権威」だ。検察やマスコミ、評論家を疑えるかどうかだ。検察は、組織拡大の意志があって、この時期に小沢氏の秘書を逮捕した。検察を取り締まる組織は存在しないだけに、検察に就職すればこの国では最強の権力を持つことになる。勢力を拡大したい誘惑にかられるのも無理もないだろう。マスコミや評論家も自分の生活があるのでその時、その時で「売れる」発言をするだろう。考えてみればマスコミは戦前、戦中、戦後一貫して「売れる」ということを基準に生き延びてきた。しかし、今後はそうも行かなくなるのではないか。インターネットの情報交換があるので、徐々に廃れていく運命にあるのだろう。
検察という外部からのチェック機関を持たない組織は、すぐにでも縮小解体しなければならない。検察組織をも改革しようとする小沢政権が今の検察にとって「非常に危険」なので今回の事件が起きた。アホウ太郎は、積極的に加担したと思われても仕方ないだろう。国民は、自分の頭で現状を判断することだ。そして、それだけが新しい未来を作る道だと思う。
後者の場合は、現実的な立場にたっているようだ。いくらネットで不当だと訴えても、現実にマスゴミ化した朝日新聞などの情報操作に勝てるわけがないというものだ。立花隆も大病を患っている身だけに、そう詳しい情報を集められずに書いてしまったのだろう。今の時代は、マスゴミ化した新聞、ラジオ、テレビ、雑誌の情報は残念ながら「裏」をとらなければ使えないのだ。同じく、新聞をこよなく愛する森田実氏も小沢氏を攻撃している。間違った情報からの判断は言うまでもなくあてにはならない。
立花隆がここで出てきたことで小沢不支持に回った人々は、「権威」に弱い人々だろうと思う。私も立花隆を敬愛するのだが、間違った判断までは同意できないという立場だ。これは、小田実の時もそうだった。小田実は、晩年、「拉致は、日本が侵略しなければ無かった」というような妄論を吐いたという。私は、これが本当に小田実の口から出たものなのか確かめたかったのだが、そうする時間も無く小田実は昨年、亡くなった。拉致は、北朝鮮が日本を憎んでやったことではない。あくまでも南北統一の工作であった。小田実は、その辺をどう考えていたのだろうか。
検察の組織論について立花隆は、それほど詳しくないのではないだろうか。むしろ、この騒動の中で最初から検察の異常ぶりを訴えていた郷原信郎氏の言説が素人にも説得力に富む内容だったように思う。立花隆が活躍していた時代と異なり、検察はもとより政治家も学者もマスコミも激しく劣化してしまった。おそらく、効率を重視するあまり、手間のかかかる「自分の考え」をまとめることをしなくなったのではないか。今回の騒動でも、検察は正しい、マスコミは正しいという立場で見れば実にわかりやすい。立花隆や森田実のような結論は自然に出てくると思う。つまり、相当な政治的な経験者であると思われる立花隆や森田実は、皮肉なことに経験を通じて「無知」になってしまった。周りが変化してしまったからだ。そのことに気がつかない当人は、悲惨だと思う。
ただし、これからも生きる人々にとってはちょっと慎重にならなければたいへんなことになると思う。つまり、今回のように検察の行動がおかしいと初期の頃からわかっているにもかかわらず、「検察が間違っているはずがない」「立花隆や森田実も小沢辞めろと言っている」という情報から状況判断をするとやがては、自分の身に跳ね返ってくる、ということ。戦前の世の中もこういうしくみで醸成されたのではないかと思う。誰もが自分の頭で考えることをしなくなれば、為政者としてはものすごくやりやすい。後は、法律を作って有無を言わさずに国民を「動かす」だけのことなのだ。
現在、乗り越えなければならない障害はただ1つだろう。「権威」だ。検察やマスコミ、評論家を疑えるかどうかだ。検察は、組織拡大の意志があって、この時期に小沢氏の秘書を逮捕した。検察を取り締まる組織は存在しないだけに、検察に就職すればこの国では最強の権力を持つことになる。勢力を拡大したい誘惑にかられるのも無理もないだろう。マスコミや評論家も自分の生活があるのでその時、その時で「売れる」発言をするだろう。考えてみればマスコミは戦前、戦中、戦後一貫して「売れる」ということを基準に生き延びてきた。しかし、今後はそうも行かなくなるのではないか。インターネットの情報交換があるので、徐々に廃れていく運命にあるのだろう。
検察という外部からのチェック機関を持たない組織は、すぐにでも縮小解体しなければならない。検察組織をも改革しようとする小沢政権が今の検察にとって「非常に危険」なので今回の事件が起きた。アホウ太郎は、積極的に加担したと思われても仕方ないだろう。国民は、自分の頭で現状を判断することだ。そして、それだけが新しい未来を作る道だと思う。
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