×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
私の最悪の時代というのは浪人時代だった。今から30年近く前のことになる。他人から見れば、親のすねかじりをしてお気楽な身分のように思えるのだが、当人には厳しい時代であった。私の心の癒しといえば、それまでに見たことのある青春ドラマで勇気づけられたり、新しいドラマで一瞬、今を忘れることだった。
現在と違い、古き良き時代の牧歌的な青春ドラマが30年近く前は、まだ価値があって再放送もされていた。私が同時代に見ていたものが20歳の頃にも放送されていたのだ。アニメでも、「タイガーマスク」のような懐かしいものがごく普通に再放送されていた。これらの価値も高かったのだが、当時の新しいテレビドラマもなかなかのもので、つらい日々を忘れるのには十分なものだったように思う。今のドラマではとても現実を忘れるほど引き込まれることはない。
私も今のように「笛」とかカメラとかの道具が無くとも十分に気分転換はできたくらいの、ある意味ではいい時代だった。それでも、クラスメートに何年も遅れをとったという焦燥感は大きく、イライラはつのるばかりだった。しかし、あせる気持ちとはうらはらに、大学合格は、ままならなかった。浪人すれどもすれども、不合格の嵐だった。最近書いたように、事務員のおばさんの何気ない言葉にキレる始末だった。今にして思えば、大学受験もけっこう危うい。何年浪人しようが、試験の成績をある程度確保できなければ合格しようがない。何年にもわたって若者を不安に陥らせるに十分な制度だった。
最近、青い三角定規の「青春の旅」をじっくりと聴く時間があった。ベストアルバムを全部聴いてしまうほどの余裕があった。昔は簡単だったのか、この歌が優れているのか聴けば、元気になるという歌だ。とりわけ、
君にはあるか、幸せの地図が
答えられるか、なぜそこへ行くか
あてもないのに顔を上げ歩く
そうさ、そいつが若さのしるしだ
という歌詞にほれている。30年前も、同時代もこの部分にもっとも感動していたのではないかと思う。ドラマの中で問題が起き、そして解決するという単純なシナリオの後に決まってこの曲が流れるのであった。暗い気持ちもこれですっきりという具合だ。浪人時代の私の心まで癒したというのは、ものすごいことだと思う。
私は、その後も浪人を続け、さすがに「青春の旅」では間に合わず、永井龍雲の「流れよ」という癒しのメッセージに出会うことになった。当時の私には、「原寸大」のメッセージが必要だったのだ。去年知ったことだが、龍雲はたまたま中国のガイドブックが身近にあったので大陸の匂いのする曲を作ったまでのことだそうだ。しかし、それだけのことが大きなメッセージとなった。1970年代という時代に乗り遅れた私は、とにかくあせっていた。
いろんな癒しがあると思うが、誰もが通る青春時代に聴いた歌というものを活用したいものだ。恐らく、何十年経ったとしてもそれを聴くことで勇気づけられることだろう。もし、そんなものが無いとしても他人がいいと言っているものをことごとく試してみるといい。私もそうやっていろんな趣味や遊びを見つけてきた。「青春の歌」は、詩だけでもいいのだが、メロディにのせることで大きな力になるようだ。
現在と違い、古き良き時代の牧歌的な青春ドラマが30年近く前は、まだ価値があって再放送もされていた。私が同時代に見ていたものが20歳の頃にも放送されていたのだ。アニメでも、「タイガーマスク」のような懐かしいものがごく普通に再放送されていた。これらの価値も高かったのだが、当時の新しいテレビドラマもなかなかのもので、つらい日々を忘れるのには十分なものだったように思う。今のドラマではとても現実を忘れるほど引き込まれることはない。
私も今のように「笛」とかカメラとかの道具が無くとも十分に気分転換はできたくらいの、ある意味ではいい時代だった。それでも、クラスメートに何年も遅れをとったという焦燥感は大きく、イライラはつのるばかりだった。しかし、あせる気持ちとはうらはらに、大学合格は、ままならなかった。浪人すれどもすれども、不合格の嵐だった。最近書いたように、事務員のおばさんの何気ない言葉にキレる始末だった。今にして思えば、大学受験もけっこう危うい。何年浪人しようが、試験の成績をある程度確保できなければ合格しようがない。何年にもわたって若者を不安に陥らせるに十分な制度だった。
最近、青い三角定規の「青春の旅」をじっくりと聴く時間があった。ベストアルバムを全部聴いてしまうほどの余裕があった。昔は簡単だったのか、この歌が優れているのか聴けば、元気になるという歌だ。とりわけ、
君にはあるか、幸せの地図が
答えられるか、なぜそこへ行くか
あてもないのに顔を上げ歩く
そうさ、そいつが若さのしるしだ
という歌詞にほれている。30年前も、同時代もこの部分にもっとも感動していたのではないかと思う。ドラマの中で問題が起き、そして解決するという単純なシナリオの後に決まってこの曲が流れるのであった。暗い気持ちもこれですっきりという具合だ。浪人時代の私の心まで癒したというのは、ものすごいことだと思う。
私は、その後も浪人を続け、さすがに「青春の旅」では間に合わず、永井龍雲の「流れよ」という癒しのメッセージに出会うことになった。当時の私には、「原寸大」のメッセージが必要だったのだ。去年知ったことだが、龍雲はたまたま中国のガイドブックが身近にあったので大陸の匂いのする曲を作ったまでのことだそうだ。しかし、それだけのことが大きなメッセージとなった。1970年代という時代に乗り遅れた私は、とにかくあせっていた。
いろんな癒しがあると思うが、誰もが通る青春時代に聴いた歌というものを活用したいものだ。恐らく、何十年経ったとしてもそれを聴くことで勇気づけられることだろう。もし、そんなものが無いとしても他人がいいと言っているものをことごとく試してみるといい。私もそうやっていろんな趣味や遊びを見つけてきた。「青春の歌」は、詩だけでもいいのだが、メロディにのせることで大きな力になるようだ。
PR
Comment