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少し前、ライブカメラの話題をしたのだが、これは私のやりたいことを普段から話題にして誰にでもイメージでき、わかるものにしておきたいという願望からであった。そして、私がやりたい理由は特に無く「ただやりたい」だけなのだと書いた。
確かにそうなのだが、国内のライブカメラ情報を調べたり、見たりしているうちに段々とその意味がわかるような気がしてきた。光回線のブロードバンドが発達した今でもライブカメラの品質は良くない。残念ながら、「これはスゴイ!」と思えるようなものは一つもない。私がまだ、見つけていないだけならばいいのだが。その品質の悪いライブ映像を見ていても何か感じるものがあった。それは、「今、生きている」ということだった。ただ、山や川が映るだけのものもあるのだが、人間が忙しく動く姿が映るものもある。あるいは、電車の発着が見えるものもある。ぼんやり見ていて思うのは、「皆、がんばっている。ワシもがんばろう!」という思いだった。
なぜライブカメラなのかというとテレビのような大がかりな施設を必要としないからだと言うことができるのだが、私のやりたいことはテレビよりも大がかりな施設が必要だろうと思う。最初は、個人的に月の姿を細々と発信するくらいだと思うが、やがては太陽系を見せたり、天の川を見せたり、あるいは24時間天体観測ができるようにしてみたくなるだろう。天体こそ動いているようには見えないだけに、そこから「生命力」を感じ取ることは難しいかもしれないが、「癒し」が得られるかもしれない。テレビやラジオだと「番組」に「従う」ことになるのだがインターネットだと、自分が見たい時に見られるという雰囲気がそもそも落ち着く。自然現象なので、いつでもいい状態で天体が見られるわけではないのだが。
目の前の光景ではない遠くの光景が見られることは、私にとっては元気が出るようだ。これは、汚れた心の正反対の考え方だからかもしれない。つまり、ライブ映像を見て「皆がんばっている、ワシもがんばろう。」という心の動きになるということだ。反対に、「わしゃこんなにがんばっとるのおまえらはなんじゃ!」という発想は、心が汚れている。(そのため、人を動かすことはできない。)もちろん、ライブカメラの映像から、そんな発想は出て来るはずがない。
確かにそうなのだが、国内のライブカメラ情報を調べたり、見たりしているうちに段々とその意味がわかるような気がしてきた。光回線のブロードバンドが発達した今でもライブカメラの品質は良くない。残念ながら、「これはスゴイ!」と思えるようなものは一つもない。私がまだ、見つけていないだけならばいいのだが。その品質の悪いライブ映像を見ていても何か感じるものがあった。それは、「今、生きている」ということだった。ただ、山や川が映るだけのものもあるのだが、人間が忙しく動く姿が映るものもある。あるいは、電車の発着が見えるものもある。ぼんやり見ていて思うのは、「皆、がんばっている。ワシもがんばろう!」という思いだった。
なぜライブカメラなのかというとテレビのような大がかりな施設を必要としないからだと言うことができるのだが、私のやりたいことはテレビよりも大がかりな施設が必要だろうと思う。最初は、個人的に月の姿を細々と発信するくらいだと思うが、やがては太陽系を見せたり、天の川を見せたり、あるいは24時間天体観測ができるようにしてみたくなるだろう。天体こそ動いているようには見えないだけに、そこから「生命力」を感じ取ることは難しいかもしれないが、「癒し」が得られるかもしれない。テレビやラジオだと「番組」に「従う」ことになるのだがインターネットだと、自分が見たい時に見られるという雰囲気がそもそも落ち着く。自然現象なので、いつでもいい状態で天体が見られるわけではないのだが。
目の前の光景ではない遠くの光景が見られることは、私にとっては元気が出るようだ。これは、汚れた心の正反対の考え方だからかもしれない。つまり、ライブ映像を見て「皆がんばっている、ワシもがんばろう。」という心の動きになるということだ。反対に、「わしゃこんなにがんばっとるのおまえらはなんじゃ!」という発想は、心が汚れている。(そのため、人を動かすことはできない。)もちろん、ライブカメラの映像から、そんな発想は出て来るはずがない。
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