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いろんなことがあったが、年末を落ち着いた気持ちで過ごせることを感謝している。自分自身のことでは特に何も無い。金儲けをしたわけではないのだが、楽しく過ごせた一年だったと思う。精神的な充実が大きかったように思う。恋をしたわけでもなく、諍いが無かったわけでもないのだが、にもかかわらず平静な気持ちでいられたことは大きい。たぶん、我が社の社員の頑張りによるものが大きいように思う。仲間のいる有り難さを身にしみて感じた一年でもあった。
忘れていたが、中国語を春から再開したことも大きかった。仕事には役に立つのだが、実生活という意味ではあまり役に立たない。しかし、私は少なからぬお金をかけて勉強してきた。おかげで日々の生活にリズムができた。水曜日が授業だが、木金と復習し、週末から週明けにかけて予習をする。そんなペースが心地よかった。来年もまた同じペースでやることだろう。普通なら、おもしろくも何ともない中国語を興味をもってやることができるのは、仕事で接しているからだ。これは大きいと思う。
年末に龍雲のコンサートに行って具合が悪くなった私だったが、そのコンサートの中でも感じた。音楽は、それ自体がパワーを持っていると。龍雲の声が私を癒してくれていることがよくわかった。同じような感覚を、モーツァルトを聴いた時に感じた。私は、普通は敬遠されるオペラが好きなのだが、「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」といった有名なもののフィナーレを聴くと鳥肌が立つほどの感動を覚える。同時に気持ちが最高潮に高まることを感じる。モーツァルトの音楽の持つパワーではないかと思っている。
ただ、今年は去年の年末からの流れでフォルクローレとかマイケルの笛の世界に多くの癒しを感じた。そして、幸運にもケーナやアナサジフルート、ホピフルート、尺八に興味を持てた。興味を持つということは、なかなか難しいことなのだが、今年はさして苦労もせずにすんなりと入り込めた。このことが奇跡のようなことなのだ。ゲームやDVDへの興味が薄らぐのと並行するように楽器の世界にのめり込むことができたのであった。
来年は、引き続きこれらの楽器を極める時期だと思うが、決して多くを望んでいない。いつも書くように、これらの楽器は、音を鳴らすこと自体が魅力的なことであり、癒される行為だ。演奏とかは二の次でいいのだ。そのことを一人でも多くの人に布教したいものだ。頑ななパートナーの心をも、とかすことができるかもしれない。本物が入手できるのであれば、サンポーニャにも再挑戦してみるつもりだ。鼻笛とかサンポーニャのように楽器らしくないものから攻めるのも入り方の一つかもしれない。
まったく新しい分野への興味も広げてみたいと思う。今、具体的にあるわけではないのだが、それこそ従来の私では思いつかなかったようなことに興味が持てたらうれしいと思う。そう、私の好奇心は、「笛」では終わらないのだ。できれば、私だけが癒されるのではなく、周囲の人も根こそぎ癒されるものが見つかれば驚喜するだろう。これまで当たり前のように存在していて、なかなか入り込めないもの、そんなものがまだまだあると思っている。
今年後半の目標は、まったく果たせなかったことは気がかりだ。ひざの調子が悪いのは仕方ないが、何か運動をやるべきだったと思う。水泳とかジム通いができれば良かったのだが。しかし、できないことをやろうとしてもだめかもしれない。当面は、自分でできる基礎体操を続けることにしたい。
2009の目標は、やはり、コンピュータにおけるレベルアップだろう。この面では、少し進歩が止まっているように思う。ここで止めると単なるおっさんになってしまい、コンピュータをやって来た自信も揺らいでしまいかねない。歳を重ねても理解し、熟練することがなければ先には進めないと思う。具体的には、ubuntu LinuxとかFreeBSDに近づくことだろうと思う。これまでは、あまりに時間をかけなさ過ぎた。
マイクロソフトはまだまだすぐにつぶれることはないと思うが、ubuntuなどを見ていると、本当にWindowsは、いらないと思える。後は、企業人が自己の能力を磨くのにどれだけのお金をかけられるかによるだろう。私の見るところ、どの企業も中途半端だ。結果的には、マイクロソフトもジリ貧というところか。覚悟を決めて、Windowsを捨てることがどの企業にも幸福をもたらすと思うのだが。
あと1時間で2008年が終わる。2008年、ありがとう。
忘れていたが、中国語を春から再開したことも大きかった。仕事には役に立つのだが、実生活という意味ではあまり役に立たない。しかし、私は少なからぬお金をかけて勉強してきた。おかげで日々の生活にリズムができた。水曜日が授業だが、木金と復習し、週末から週明けにかけて予習をする。そんなペースが心地よかった。来年もまた同じペースでやることだろう。普通なら、おもしろくも何ともない中国語を興味をもってやることができるのは、仕事で接しているからだ。これは大きいと思う。
年末に龍雲のコンサートに行って具合が悪くなった私だったが、そのコンサートの中でも感じた。音楽は、それ自体がパワーを持っていると。龍雲の声が私を癒してくれていることがよくわかった。同じような感覚を、モーツァルトを聴いた時に感じた。私は、普通は敬遠されるオペラが好きなのだが、「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」といった有名なもののフィナーレを聴くと鳥肌が立つほどの感動を覚える。同時に気持ちが最高潮に高まることを感じる。モーツァルトの音楽の持つパワーではないかと思っている。
ただ、今年は去年の年末からの流れでフォルクローレとかマイケルの笛の世界に多くの癒しを感じた。そして、幸運にもケーナやアナサジフルート、ホピフルート、尺八に興味を持てた。興味を持つということは、なかなか難しいことなのだが、今年はさして苦労もせずにすんなりと入り込めた。このことが奇跡のようなことなのだ。ゲームやDVDへの興味が薄らぐのと並行するように楽器の世界にのめり込むことができたのであった。
来年は、引き続きこれらの楽器を極める時期だと思うが、決して多くを望んでいない。いつも書くように、これらの楽器は、音を鳴らすこと自体が魅力的なことであり、癒される行為だ。演奏とかは二の次でいいのだ。そのことを一人でも多くの人に布教したいものだ。頑ななパートナーの心をも、とかすことができるかもしれない。本物が入手できるのであれば、サンポーニャにも再挑戦してみるつもりだ。鼻笛とかサンポーニャのように楽器らしくないものから攻めるのも入り方の一つかもしれない。
まったく新しい分野への興味も広げてみたいと思う。今、具体的にあるわけではないのだが、それこそ従来の私では思いつかなかったようなことに興味が持てたらうれしいと思う。そう、私の好奇心は、「笛」では終わらないのだ。できれば、私だけが癒されるのではなく、周囲の人も根こそぎ癒されるものが見つかれば驚喜するだろう。これまで当たり前のように存在していて、なかなか入り込めないもの、そんなものがまだまだあると思っている。
今年後半の目標は、まったく果たせなかったことは気がかりだ。ひざの調子が悪いのは仕方ないが、何か運動をやるべきだったと思う。水泳とかジム通いができれば良かったのだが。しかし、できないことをやろうとしてもだめかもしれない。当面は、自分でできる基礎体操を続けることにしたい。
2009の目標は、やはり、コンピュータにおけるレベルアップだろう。この面では、少し進歩が止まっているように思う。ここで止めると単なるおっさんになってしまい、コンピュータをやって来た自信も揺らいでしまいかねない。歳を重ねても理解し、熟練することがなければ先には進めないと思う。具体的には、ubuntu LinuxとかFreeBSDに近づくことだろうと思う。これまでは、あまりに時間をかけなさ過ぎた。
マイクロソフトはまだまだすぐにつぶれることはないと思うが、ubuntuなどを見ていると、本当にWindowsは、いらないと思える。後は、企業人が自己の能力を磨くのにどれだけのお金をかけられるかによるだろう。私の見るところ、どの企業も中途半端だ。結果的には、マイクロソフトもジリ貧というところか。覚悟を決めて、Windowsを捨てることがどの企業にも幸福をもたらすと思うのだが。
あと1時間で2008年が終わる。2008年、ありがとう。
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