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朝から、人足として百貨店に行ってきた。20年ほど前に、そこでバッタリ出会った人のことを思い出すのが常となっている百貨店だ。特別な人ではないのだが、私が今でもこだわっている、ということなのだろう。
その人とは、浪人時代に通っていた、補習科の事務員だ。といっても今時の予備校のような若い人ではなくおばちゃんだった。兄貴とも面識があるので私には親しくしようとしてくれたのかもしれないが、私には終始ストレスとなる存在だった。1浪の頃はそうでもなかったのだが、二浪、三浪ともなると目立つのでお互いに意地になっていたのかもしれない。
ある時、試験の成績を受け取るときに、「まだまだ理想がたけーな。」と言ってくれるのであった。これ以上、浪人を重ねないように心配して言ってくれたのだろうが、私も必死な時だけに気持ちが萎えるようなことを言われるとムカッと来るのも当然だった。担当の教師に言われても同じくむかつくのだが、より関係の無い人に言われるとますます腹に据えかねる気持ちだった。当時、戦争の歴史の研究をしていたので私は、「精神力で入るわ。」と言い返した。おばさんも親身になって言っているのを攻撃的な言葉で返されたのがカチンときたのだろう。「精神力で入られよう。」と憎々しげに言い放った。
数年後、今日行った百貨店で偶然出会ったのだが、さすがにこの時には丁寧にあいさつをしてくれていた。あの憎々しげな言葉を吐いていたおばさんとのギャップに違和感を感じたくらいだ。たぶん、私の受験問題も一段落して、京都で働いていた時代の頃ではないかと思う。当時はまだ、私もふっきれていない時期だし、ムッとしても良かったのだが私もよそよそしいあいさつをしたのではないか。高校の関係者とはもう、関わりたくない、そんな気分だったということもある。実際、3浪か4浪の時代に現役時代の英語教師に街で出会ったことがあったのだが、その教師は「また、高校に来んせい。」と好意的な言葉をかけてくれていた。私は、高校の進路指導というやつに失望していたので「もう、高校はいいです。」と拒絶したのだった。
もう、20年も前の話なのでいい加減忘れたいのだが、この百貨店に行くと必ず思い出すエピソードだ。最近は、気にせず出かけているのは、私の年代になると、知り合いに出会うことが少ないからだ。本当は出会っていてもお互いにわからないということも多い。はげていたり、太っていたり、髪が白くなっていたりでわからないのだ。しかし、それでも例外はあるもので、今日は久しぶりに元クラスメートと偶然、出会った。お互いに名乗りはしなかったのだが、おそらくお互いに気がついていることだろう。
レジに並んでいると前方から視線を感じた。ボーと見ているとなかなか相手も視線をそらさないのだ。私も誰か知り合いかと思いもう一度見てみると今度は、相手が視線をそらす。はるか昔の記憶をたぐり寄せてみると、3年の時のクラスメートではないかと思えた。そして、その目で見ると確かにそうだとわかった。彼が10代の頃の姿しか記憶に無いので時間がかかったのだった。この20年間というもの彼のイメージに似た人間を見たこともあり、その度に、そういえばあんな人間もいたなあと思うくらいだった。要するにヤンキー風のしゃべり方をするやつだった。
彼は、私とは違い成績は良かった。だから、浪人するのも以外だったし、2浪したのはもっと以外だった。今日の出会いと似ていて。高校の近くで出くわし、ちぐはくな話をしたことがあるので覚えているわけだ。何やら、ぶつかって歯が欠けたと言って欠けた歯を見せていた。そして、お父さんとの確執があるような口ぶりの話をしていたように思う。仲間のグループも違うのでそれほど親しい相手ではなかった。
懐かしいのでgoogleしてみると、なんと岡山でも有名な病院に勤めているようだ。今時珍しい、婦人科の医者だという。徳島大学に行ったと思っていたのだが、経歴は違っていた。私も他人の合否は気になるみたいでしっかりチェックしてのだが、記憶違いなのだろうか。たぶん、嫁さんと一緒だったと思うが、田舎のおっさん風の格好だったので医者のイメージが感じられなかった。
それにしても彼と再会することで頭がぐわーんと1970年の後半に戻るのが苦しいところだ。あの頃は、大学がすべてだったので大学合格こそが夢の実現だった。クラスメートのように首尾良く合格すればいいのだが、私のように4浪の末に行くところも無いというのは、非常に暗い未来を暗示していたのだ。だから、私は同窓会的なものは避けていた。
おもしろいことに3浪の時代に3年の時の同窓会に出ている。この時は、まだあきらめていないという意味では対等だったが、私の敗色は濃厚だった。ただ一人「おめえは偉いのう、どこまでも夢をあきらめんのんじゃもんのう。わしら、あっさりとあきらめたのに。」という話をしてくれたクラスメートがいた。結局、私も同じように夢を中断してしまったのだが。
この20年というのをまた振り返ることになり、いろんなことを考えてしまった。私は、今も一人であり、夢を追いかけているでもない。自分の人生を生きているつもりなのだが、こういうことがあるとどうしても比較の上で物事を考えてしまう。今日バッタリ会ったクラスメートのように充実して生きているかどうか、そんなことを考えてしまう。もちろん、自分の生き方にゆらぎは無いつもりだが、20数年前の思いと比べるとさすがにゆらいでしまう。
いつか、パートナーに私の浪人時代のことを書いて欲しいと言われたことがあるのだが、今も書けないでいる。まだ、ふっきっれてはいないということなのだろうか。
その人とは、浪人時代に通っていた、補習科の事務員だ。といっても今時の予備校のような若い人ではなくおばちゃんだった。兄貴とも面識があるので私には親しくしようとしてくれたのかもしれないが、私には終始ストレスとなる存在だった。1浪の頃はそうでもなかったのだが、二浪、三浪ともなると目立つのでお互いに意地になっていたのかもしれない。
ある時、試験の成績を受け取るときに、「まだまだ理想がたけーな。」と言ってくれるのであった。これ以上、浪人を重ねないように心配して言ってくれたのだろうが、私も必死な時だけに気持ちが萎えるようなことを言われるとムカッと来るのも当然だった。担当の教師に言われても同じくむかつくのだが、より関係の無い人に言われるとますます腹に据えかねる気持ちだった。当時、戦争の歴史の研究をしていたので私は、「精神力で入るわ。」と言い返した。おばさんも親身になって言っているのを攻撃的な言葉で返されたのがカチンときたのだろう。「精神力で入られよう。」と憎々しげに言い放った。
数年後、今日行った百貨店で偶然出会ったのだが、さすがにこの時には丁寧にあいさつをしてくれていた。あの憎々しげな言葉を吐いていたおばさんとのギャップに違和感を感じたくらいだ。たぶん、私の受験問題も一段落して、京都で働いていた時代の頃ではないかと思う。当時はまだ、私もふっきれていない時期だし、ムッとしても良かったのだが私もよそよそしいあいさつをしたのではないか。高校の関係者とはもう、関わりたくない、そんな気分だったということもある。実際、3浪か4浪の時代に現役時代の英語教師に街で出会ったことがあったのだが、その教師は「また、高校に来んせい。」と好意的な言葉をかけてくれていた。私は、高校の進路指導というやつに失望していたので「もう、高校はいいです。」と拒絶したのだった。
もう、20年も前の話なのでいい加減忘れたいのだが、この百貨店に行くと必ず思い出すエピソードだ。最近は、気にせず出かけているのは、私の年代になると、知り合いに出会うことが少ないからだ。本当は出会っていてもお互いにわからないということも多い。はげていたり、太っていたり、髪が白くなっていたりでわからないのだ。しかし、それでも例外はあるもので、今日は久しぶりに元クラスメートと偶然、出会った。お互いに名乗りはしなかったのだが、おそらくお互いに気がついていることだろう。
レジに並んでいると前方から視線を感じた。ボーと見ているとなかなか相手も視線をそらさないのだ。私も誰か知り合いかと思いもう一度見てみると今度は、相手が視線をそらす。はるか昔の記憶をたぐり寄せてみると、3年の時のクラスメートではないかと思えた。そして、その目で見ると確かにそうだとわかった。彼が10代の頃の姿しか記憶に無いので時間がかかったのだった。この20年間というもの彼のイメージに似た人間を見たこともあり、その度に、そういえばあんな人間もいたなあと思うくらいだった。要するにヤンキー風のしゃべり方をするやつだった。
彼は、私とは違い成績は良かった。だから、浪人するのも以外だったし、2浪したのはもっと以外だった。今日の出会いと似ていて。高校の近くで出くわし、ちぐはくな話をしたことがあるので覚えているわけだ。何やら、ぶつかって歯が欠けたと言って欠けた歯を見せていた。そして、お父さんとの確執があるような口ぶりの話をしていたように思う。仲間のグループも違うのでそれほど親しい相手ではなかった。
懐かしいのでgoogleしてみると、なんと岡山でも有名な病院に勤めているようだ。今時珍しい、婦人科の医者だという。徳島大学に行ったと思っていたのだが、経歴は違っていた。私も他人の合否は気になるみたいでしっかりチェックしてのだが、記憶違いなのだろうか。たぶん、嫁さんと一緒だったと思うが、田舎のおっさん風の格好だったので医者のイメージが感じられなかった。
それにしても彼と再会することで頭がぐわーんと1970年の後半に戻るのが苦しいところだ。あの頃は、大学がすべてだったので大学合格こそが夢の実現だった。クラスメートのように首尾良く合格すればいいのだが、私のように4浪の末に行くところも無いというのは、非常に暗い未来を暗示していたのだ。だから、私は同窓会的なものは避けていた。
おもしろいことに3浪の時代に3年の時の同窓会に出ている。この時は、まだあきらめていないという意味では対等だったが、私の敗色は濃厚だった。ただ一人「おめえは偉いのう、どこまでも夢をあきらめんのんじゃもんのう。わしら、あっさりとあきらめたのに。」という話をしてくれたクラスメートがいた。結局、私も同じように夢を中断してしまったのだが。
この20年というのをまた振り返ることになり、いろんなことを考えてしまった。私は、今も一人であり、夢を追いかけているでもない。自分の人生を生きているつもりなのだが、こういうことがあるとどうしても比較の上で物事を考えてしまう。今日バッタリ会ったクラスメートのように充実して生きているかどうか、そんなことを考えてしまう。もちろん、自分の生き方にゆらぎは無いつもりだが、20数年前の思いと比べるとさすがにゆらいでしまう。
いつか、パートナーに私の浪人時代のことを書いて欲しいと言われたことがあるのだが、今も書けないでいる。まだ、ふっきっれてはいないということなのだろうか。
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