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私に限らず、今の自民・公明を一掃した新しい政権を望む声は大きくなりつつあると思う。アホウ太郎がいくら選挙をのばしてみても結果は同じなのではないかと思う。この国を壊した責任をどうしてもとってもらわなければ気が済まないのだ。
私も個人的に不平不満はたくさんある。この数年でエライ目にあってきた医療についても声をあげたいことは多い。先頃、飯島愛が急死したのだが、やはりと言うべきか薬の存在が浮上してきた。ある人は、担当医に責任は無いのかと問うている。私もそうだと思った。しかし、根本的な問題は、薬の危険性までわかる医師を育てることができない、この国の限界がある。しくみがおかしいのだから、政治が何とかしなければならなのだが、何もしてこなかった。
薬ほど深刻ではないと思っていたが、タバコの問題も未だ解決の糸口さえ見いだせない。今でも「嗜好品」だと思っている人もいるくらいだ。やめる気持ちがあれば、向精神薬ほど難しくないのではないかと思っていたが、個人差が大きいようだ。つまり、今やめられない人は、ほとんどが自分では無理な人だということ。ニコチンの離脱症状は30分で起きるそうだから、喫煙者は30分間隔で生きていることになる。大事な決めごとが30分で決められてはかなわんと思うのは私だけではないと思うのだが。これも、国家がケチな考えをやめて本気で取り組まなければならない問題だ。
私が、40を超えてもなおそのことを考えると気も狂わんばかりだった、大学と大学受験制度も新しい政権の中で変えなければならないものだと思っている。しかし、ほとんどの人はその必要性を感じていないかもしれない。受験は、それなりに機能していると思われているからだ。私が、受験生時代に読んだ「大学受験制度の教育学的研究」(東京大学出版会)という本は、当時の「共通一次」を「一刻も早く中止すべき」と批判していた。ただ、ではどうすればいいのかという具体的な話は無かったように思う。
自分の経験を通じて私が言えることは、高校の卒業をもって「合格資格」に代えるということだ。言葉をかえれば誰でも「東大」は入れるということになる。しかし、現在のように下駄を履かせて卒業はさせない。いや、もっと正確に表現すると「卒業」は無い。勉強が必要だと思う者は、何年でもやるし、必要と感じない者はすぐに出て行くことになる。大きな変革になると思うが、勉強をしない大学生は、これで排除できると思う。企業も無思慮に「大卒」を募集できなくなり、自分の頭で考え、調べた人間を受け入れることになる。
現状がどうにも動かないのは、恐らく受験産業がこの変革で壊滅するからではないだろうか。しかし、そのために意欲のない「大卒」が毎年量産されてこの国の頭脳が低下することを思えば、この変革も支持されるのではないかと思っている。この国で、こうすればいいということが明らかなのにそうはならないということも頭脳の劣化が原因だと私は思っている。それならば、まず、頭脳を回復することから始めるべきではないか。
マスゴミ問題もあげなければならない。新聞社もテレビ会社も業績が悪化しているという。新聞社は、戦前戦中戦後とウソ情報を垂れ流し続けてけっこう、うまく生き延びてきた。新聞社は、昔も今も真実を伝えてきたわけではないのだ。「売れる」記事を書いてきたに過ぎない。結果、60数年前には国家の破滅にまで至った。経済的な危機に際して、新聞社もその役割を終わりつつある。必要な情報を伝えないメディアは不要なのだ。
テレビも戦後、時の権力に有利な偽情報を垂れ流してきた。インターネットという新しい強敵が現れたために、かつての情報操作が思うようにできなくなってきた。それどころか、テレビを見ない勢力も無視できないほどに増えてきた。新聞と同じく国民が本当に必要な情報を出さないテレビは不要なのだ。テレビの没落もある意味では必然だったと思う。今後もアイドル的な女子アナ、あるいは口の達者な司会者を使っての世論操作の試みは続くのだと思うが、没落の過程での「行事」に過ぎないのではないか。
(つづく)
私も個人的に不平不満はたくさんある。この数年でエライ目にあってきた医療についても声をあげたいことは多い。先頃、飯島愛が急死したのだが、やはりと言うべきか薬の存在が浮上してきた。ある人は、担当医に責任は無いのかと問うている。私もそうだと思った。しかし、根本的な問題は、薬の危険性までわかる医師を育てることができない、この国の限界がある。しくみがおかしいのだから、政治が何とかしなければならなのだが、何もしてこなかった。
薬ほど深刻ではないと思っていたが、タバコの問題も未だ解決の糸口さえ見いだせない。今でも「嗜好品」だと思っている人もいるくらいだ。やめる気持ちがあれば、向精神薬ほど難しくないのではないかと思っていたが、個人差が大きいようだ。つまり、今やめられない人は、ほとんどが自分では無理な人だということ。ニコチンの離脱症状は30分で起きるそうだから、喫煙者は30分間隔で生きていることになる。大事な決めごとが30分で決められてはかなわんと思うのは私だけではないと思うのだが。これも、国家がケチな考えをやめて本気で取り組まなければならない問題だ。
私が、40を超えてもなおそのことを考えると気も狂わんばかりだった、大学と大学受験制度も新しい政権の中で変えなければならないものだと思っている。しかし、ほとんどの人はその必要性を感じていないかもしれない。受験は、それなりに機能していると思われているからだ。私が、受験生時代に読んだ「大学受験制度の教育学的研究」(東京大学出版会)という本は、当時の「共通一次」を「一刻も早く中止すべき」と批判していた。ただ、ではどうすればいいのかという具体的な話は無かったように思う。
自分の経験を通じて私が言えることは、高校の卒業をもって「合格資格」に代えるということだ。言葉をかえれば誰でも「東大」は入れるということになる。しかし、現在のように下駄を履かせて卒業はさせない。いや、もっと正確に表現すると「卒業」は無い。勉強が必要だと思う者は、何年でもやるし、必要と感じない者はすぐに出て行くことになる。大きな変革になると思うが、勉強をしない大学生は、これで排除できると思う。企業も無思慮に「大卒」を募集できなくなり、自分の頭で考え、調べた人間を受け入れることになる。
現状がどうにも動かないのは、恐らく受験産業がこの変革で壊滅するからではないだろうか。しかし、そのために意欲のない「大卒」が毎年量産されてこの国の頭脳が低下することを思えば、この変革も支持されるのではないかと思っている。この国で、こうすればいいということが明らかなのにそうはならないということも頭脳の劣化が原因だと私は思っている。それならば、まず、頭脳を回復することから始めるべきではないか。
マスゴミ問題もあげなければならない。新聞社もテレビ会社も業績が悪化しているという。新聞社は、戦前戦中戦後とウソ情報を垂れ流し続けてけっこう、うまく生き延びてきた。新聞社は、昔も今も真実を伝えてきたわけではないのだ。「売れる」記事を書いてきたに過ぎない。結果、60数年前には国家の破滅にまで至った。経済的な危機に際して、新聞社もその役割を終わりつつある。必要な情報を伝えないメディアは不要なのだ。
テレビも戦後、時の権力に有利な偽情報を垂れ流してきた。インターネットという新しい強敵が現れたために、かつての情報操作が思うようにできなくなってきた。それどころか、テレビを見ない勢力も無視できないほどに増えてきた。新聞と同じく国民が本当に必要な情報を出さないテレビは不要なのだ。テレビの没落もある意味では必然だったと思う。今後もアイドル的な女子アナ、あるいは口の達者な司会者を使っての世論操作の試みは続くのだと思うが、没落の過程での「行事」に過ぎないのではないか。
(つづく)
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