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連日のように有名企業が工場を閉鎖したとか、派遣社員を削減したとかのニュースが続いている。これを見ていて私が思うのは、大企業に経営は不要だということだ。苦しくなったら「人切り」というのであれば、誰でもできる。経営者は、いらないのではないか。仕事もせずに高給をとる経営陣がいるから会社が傾いてきているのではないか。
ソニーの人切りは、1万人を超える桁外れなものだった。ここまで来ると、α(デジタル一眼レフカメラ)の事業打ち切りも現実的になったと見るべきではないのか。事業本部長の勝本は、絶対に止めないとかつて、言ってはいたが、しょせん企業の一社員に過ぎず、上から「止める」と言われれば、あっさり従う他ないのだと思う。私も早めにα900を買っておかなければ、今度こそ本当にαの終焉を見ることになる。
私も「会社、会社した」企業と付き合うようになってかれこれ10数年だが、まだ、この企業の真の「顔」を見たことが無い。よく言われる企業の顔とは、今、現実の世界で行われているように血も涙もない無機質なものではないかと思う。数年前に、仕事で、もめたことがあったのだが、その時の担当者の態度も似たようなものだった。しかし、運良く、役員と話をすることができて印象は変わってしまった。開口一番、「友好的にやりましょうや。」とくるのだった。
もちろん、それはよくある外交辞令に過ぎないものかもしれない。しかし、具体的に私の質問にも答えてくれ、今の私たちの仕事をどう持って行きたいのかも話してくれた。もっとも、これとて会社という組織の中での「調子のいい発言」かもしれない。私が好感を持てたのは、それでも経営の一端を担う人の頭は確かだなと感じたことだった。問題なのは、その姿勢が末端まで届いていないことなのだ。
どこの組織でもそうなのだが、現場で働く者たちは、「現場を知らない人たちは何でも言える」「あの人も、もう何年かしたらいなくなる」という発想をしがちだ。その結果、現場では常に力の強弱に基づいた諍いが絶えることがない。私の今の悩みもまさに同じことなのだ。今の仕事の未来性を信じるだけにどうしても発展させてみたい。また、それとともに自分の会社もそこそこには育ててみたい。利益は一致するように思えるのだが。
デジタルデータをコンピュータで扱うことは常に難しいことだと思う。私は、数字を扱ったこともあるのだが、これとてなかなか難しい。今は、文字が相手なのだが、数字ではないだけで慎重を要するのにいささかの違いもないのだ。多くの覚醒した人の頭脳が欲しいと思っているし、現実にもそうだ。一人でやってしまうとどうしても間違うし、間違いを発見しづらい。
請け負う側の私と企業の担当者の意見が食い違うのは、要するに私たちの仕事をやったことが無いからだと言うことができる。全く同じ事ができるのであれば、私を雇う必要も無いのだ。できないから私たちの存在があるわけだ。しかし、やってやれないことはないと思うのだが、それには企業側の給与査定が追いついていないのではないか。技術的な査定も必要だと思うが、誰が査定するのかという問題もあるからだ。
私の経験では、それでは、と社員に私たちと同じ仕事を同じノルマでやらせると企業は今より数倍の費用を払うことになると思う。「うつ」の問題が発生すると思われるからだ。出版に関する仕事しかやったことのない人間がいきなりプログラミングなどを始めると間違いなくそうなると思う。わからなくても誰にも聞けない、責任はヒシヒシと降りかかってくる。締め切りはあっという間に迫ってくる。すぐに音を上げることだろう。経験が無ければ何もできないのがこの世界の掟なのだ。
私のこれまでを思うと、仕事をするということと同時に仕事を通じた楽しみとか、リラックス方法も同時に見いださなければ持続は困難だ。企業に就職することがゴールだと思っていた社員がいたとすると、もうここでアウトになるだろう。企業に進めたことは、スタートに過ぎないのだから。私の悩みは、まだある。それは、一族の経営する会社の場合の評価についてだ。世襲で経営最高責任者が維持されている場合、会社がどうなるのかということだ。
政治の世界では、キム・ジョンイルを見る限りでは破綻することがほぼ明白と言える。営利企業ではどうなのか。よく見かけるのは、同族で固められた経営陣による食品偽装だ。しかし、「山一証券」のような場合もある。当時の山一の社長は、「社員が悪いのではなく、自分が悪い」と泣いて釈明していたのだが、私は違った意見を持っている。社員が悪いのだと思うのだ。従って今も生き延びている元社員は、所属する企業で同じ害悪を垂れ流していることだろう。
60数年前のこの国の将来も同じような運命をたどった。戦争を回避するための確かな意見が誰からも出なかったのがそれだ。これほど大切なことがたいした議論も無く決まっているわけだ。現代の企業でも同じようなことが行われているとは、何かを暗示しているのではないか。
私は、何も私こそ覚醒した人間だと言うつもりはないのだが、すべては、一人一人の力ない市民のための政治が達成されなければ、この国は滅びると思っている一人だ。政治に企業に、官僚に、学問、医療と激変しなければならないことが山のようにある。私は、できることを仕事を通じてやるだけのことなのだが、できれば企業の中枢と話がしてみたい。私の考えと大きくは違わないだけに必ず協業は可能だと思う。残念ながら、企業が育てて来た社員は、危機の時代には役立たないと思う。守ることしか頭にない以上、先が見えている。
では、企業の方に私のような人間を「認める」余地はあるのかというと相手にもよるのだが、ほとんどその見込みは無いのではないかというのが私の予想だ。どうか、はずれて欲しいと思うのだがぴったりと的中してしまうだろう。「認める」とは、私の主張を聞いて仕事を進めていくということなので結果的に我が社に仕事を依頼することになる。仕事に対する対価だと思うのだが、なぜか「仕事の保障はしない」と何度聞かされてきたことか。
幕末の時代、身分制度は無意味になっていて、やる気のある下級武士が台頭してきたことを思い出す。下級武士の中にかえって、今こそ変えなければならないという気概を持っていたと思う。やる気のある人間が「家柄が悪い」ので何もできないという世の中はおかしいからだ。果たして、現代の「家柄の悪い下級武士」たる私は、情熱を結実させることができるだろうか。もちろん、私は挑戦するつもりだ。
ソニーの人切りは、1万人を超える桁外れなものだった。ここまで来ると、α(デジタル一眼レフカメラ)の事業打ち切りも現実的になったと見るべきではないのか。事業本部長の勝本は、絶対に止めないとかつて、言ってはいたが、しょせん企業の一社員に過ぎず、上から「止める」と言われれば、あっさり従う他ないのだと思う。私も早めにα900を買っておかなければ、今度こそ本当にαの終焉を見ることになる。
私も「会社、会社した」企業と付き合うようになってかれこれ10数年だが、まだ、この企業の真の「顔」を見たことが無い。よく言われる企業の顔とは、今、現実の世界で行われているように血も涙もない無機質なものではないかと思う。数年前に、仕事で、もめたことがあったのだが、その時の担当者の態度も似たようなものだった。しかし、運良く、役員と話をすることができて印象は変わってしまった。開口一番、「友好的にやりましょうや。」とくるのだった。
もちろん、それはよくある外交辞令に過ぎないものかもしれない。しかし、具体的に私の質問にも答えてくれ、今の私たちの仕事をどう持って行きたいのかも話してくれた。もっとも、これとて会社という組織の中での「調子のいい発言」かもしれない。私が好感を持てたのは、それでも経営の一端を担う人の頭は確かだなと感じたことだった。問題なのは、その姿勢が末端まで届いていないことなのだ。
どこの組織でもそうなのだが、現場で働く者たちは、「現場を知らない人たちは何でも言える」「あの人も、もう何年かしたらいなくなる」という発想をしがちだ。その結果、現場では常に力の強弱に基づいた諍いが絶えることがない。私の今の悩みもまさに同じことなのだ。今の仕事の未来性を信じるだけにどうしても発展させてみたい。また、それとともに自分の会社もそこそこには育ててみたい。利益は一致するように思えるのだが。
デジタルデータをコンピュータで扱うことは常に難しいことだと思う。私は、数字を扱ったこともあるのだが、これとてなかなか難しい。今は、文字が相手なのだが、数字ではないだけで慎重を要するのにいささかの違いもないのだ。多くの覚醒した人の頭脳が欲しいと思っているし、現実にもそうだ。一人でやってしまうとどうしても間違うし、間違いを発見しづらい。
請け負う側の私と企業の担当者の意見が食い違うのは、要するに私たちの仕事をやったことが無いからだと言うことができる。全く同じ事ができるのであれば、私を雇う必要も無いのだ。できないから私たちの存在があるわけだ。しかし、やってやれないことはないと思うのだが、それには企業側の給与査定が追いついていないのではないか。技術的な査定も必要だと思うが、誰が査定するのかという問題もあるからだ。
私の経験では、それでは、と社員に私たちと同じ仕事を同じノルマでやらせると企業は今より数倍の費用を払うことになると思う。「うつ」の問題が発生すると思われるからだ。出版に関する仕事しかやったことのない人間がいきなりプログラミングなどを始めると間違いなくそうなると思う。わからなくても誰にも聞けない、責任はヒシヒシと降りかかってくる。締め切りはあっという間に迫ってくる。すぐに音を上げることだろう。経験が無ければ何もできないのがこの世界の掟なのだ。
私のこれまでを思うと、仕事をするということと同時に仕事を通じた楽しみとか、リラックス方法も同時に見いださなければ持続は困難だ。企業に就職することがゴールだと思っていた社員がいたとすると、もうここでアウトになるだろう。企業に進めたことは、スタートに過ぎないのだから。私の悩みは、まだある。それは、一族の経営する会社の場合の評価についてだ。世襲で経営最高責任者が維持されている場合、会社がどうなるのかということだ。
政治の世界では、キム・ジョンイルを見る限りでは破綻することがほぼ明白と言える。営利企業ではどうなのか。よく見かけるのは、同族で固められた経営陣による食品偽装だ。しかし、「山一証券」のような場合もある。当時の山一の社長は、「社員が悪いのではなく、自分が悪い」と泣いて釈明していたのだが、私は違った意見を持っている。社員が悪いのだと思うのだ。従って今も生き延びている元社員は、所属する企業で同じ害悪を垂れ流していることだろう。
60数年前のこの国の将来も同じような運命をたどった。戦争を回避するための確かな意見が誰からも出なかったのがそれだ。これほど大切なことがたいした議論も無く決まっているわけだ。現代の企業でも同じようなことが行われているとは、何かを暗示しているのではないか。
私は、何も私こそ覚醒した人間だと言うつもりはないのだが、すべては、一人一人の力ない市民のための政治が達成されなければ、この国は滅びると思っている一人だ。政治に企業に、官僚に、学問、医療と激変しなければならないことが山のようにある。私は、できることを仕事を通じてやるだけのことなのだが、できれば企業の中枢と話がしてみたい。私の考えと大きくは違わないだけに必ず協業は可能だと思う。残念ながら、企業が育てて来た社員は、危機の時代には役立たないと思う。守ることしか頭にない以上、先が見えている。
では、企業の方に私のような人間を「認める」余地はあるのかというと相手にもよるのだが、ほとんどその見込みは無いのではないかというのが私の予想だ。どうか、はずれて欲しいと思うのだがぴったりと的中してしまうだろう。「認める」とは、私の主張を聞いて仕事を進めていくということなので結果的に我が社に仕事を依頼することになる。仕事に対する対価だと思うのだが、なぜか「仕事の保障はしない」と何度聞かされてきたことか。
幕末の時代、身分制度は無意味になっていて、やる気のある下級武士が台頭してきたことを思い出す。下級武士の中にかえって、今こそ変えなければならないという気概を持っていたと思う。やる気のある人間が「家柄が悪い」ので何もできないという世の中はおかしいからだ。果たして、現代の「家柄の悪い下級武士」たる私は、情熱を結実させることができるだろうか。もちろん、私は挑戦するつもりだ。
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