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知り合いの奥さんがうつだという。私にはいろいろと意見があるのだが、求められてもいないので多くを語っていない。既に薬を飲んでいるようなので、ややこしい段階に入っているようだ。もちろん、私に一発で解決できるような処方箋があるわけではない。
とりあえず、そのことばかりに集中しないように、話を聞いてあげることだと言っておいた。私には、意見があるといっても、それは原理主義的なものなので誰にでも通用するものではない。つまり、薬を飲むきっかけになった「原因」を追求することだというものだ。そして、日常の不安や不眠に対して薬は必要ないということだ。抗うつ薬SSRIは、「効く」という証拠が無いし、自殺願望を引き起こすことがわかっている。
結局、うつを病気としてとらえるのもいいのだが、それに対して処方する薬など無いということが明らかになってきている。必要だと言うのは、薬で儲けたい医者とその関係者だけだ。人間、生きていると不条理なことに何度となく出会う。その度にうつになることもあるだろう。だからといって、わけのわからない処方箋にすがるのはどうだろうか。医者が自分よりも詳しく自分を知ってくれているのなら別だが、医者は保護者ではないのだ。自分を知っているのは他ならぬ自分しかいない。
何か、自分で楽しいことを発見することから気分を治していくことが大切だと今の私ならば答えるだろう。私は、今も病的に買い物をしているのだが、私自身は楽しい。仕入れるためにネットを中心に調べ上げることも楽しみだ。今年の初めからのめり込んだ「笛」も今では私の立派な「趣味」になっている。これに、カメラなどのデジタル機器が脇を固める。楽しいこと、というよりも気分転換のための「趣味」を20代の前半から必死で探してきただけのことだ。
私の趣味の基本は、「調べること」だ。だから、本は必須の持ち物だ。コンピュータのことだけではなく、歴史、中国語、ガン、政治、病気を納得するまで調べることが私の趣味であり、「楽しい」ことなのだ。調子が悪いと思ったら、基本的に、楽しいことをすることにしている。高い月謝を払った趣味は、それなりに報われると私は信じている。
うつの基本は、「楽しくない」ことにあると私は考えている。仕事や私生活で、どうしようもなく「楽しくない」ことが生じる。あっさり解決するものならば、もちろん気分の落ち込みは無いのだが、なかなか解決しそうもない、自分の努力でどうにもならないこと、そんなことに出くわすとうつ状態に陥るのだと思う。
考え込んでうつになる人のほとんどは、まじめな人たちなので基本的に医者に行こうとする。しかし、上に書いたようにうつ状態に対して今の医者は役に立たない。実態を把握していないというか、自らもうつで薬をやっているのではないかとさえ思うからだ。だから、第一の関門として、医者の言いなりにならないことが大切だ。意見を聞くことは大事なのだが、あくまでも自分で調べて行動することだ。必要とあらば、医者を切ることも必要だ。
私が浪人時代にうつに陥った時にやっていたことというのは、なんと磁石遊びだった。小学生の頃に下敷きで坂を作って、タイヤ型の磁石をころがす。転がる途中で別の磁石を近づけるといろいろな方向に変化する。その様がおもしろく一日中やっていたように思う。たとえば、こういうことだって、役に立つということだ。ただ単に休むというよりも、ぼーっとしながらもやれることがあれば最もいいように思う。今ならば、ゲームをやれるのだが時代が時代なので仕方のないことだっと思う。
今の時代であれば、ゲーム以外にもいろんなものがあると思うが、難しいのは、「楽しいこと」は千差万別で、自分が楽しいことを見つけなければならないことだ。私の楽しいことは、他人には楽しいことではないのだ。しかし、「買う」という行為には何らかのヒントがあると私は思っている。何をするにしても、買うことから始まる。DVDを見るにしても、まず買うことから始まる。
そして、これは最近の思いつきなのだが、「気を散らす」ことがいいのではないかということ。うつに陥る人というのは、集中力が高い人がほとんどだと思う。どんどん気が散る人がうつ状態になることは、あまりないと思える。何かをしながら、他のことをやるということをやってみるのがいいのではないか。具体的には、ラジオを聴きながら、パソコンで調べごとをするとかだ。集中力の高い人ならば、ラジオがうるさいはずだが、この状態に慣れることが重要だ。この過程で、気を散らす、あるいは、気をそらすということができる。
慣れるとさらにDVDを見るという行為も加えてみる。どんどん増やして行って、これ以上さばききれないという状態を体験してみることだ。私は、ラジオとDVDくらいまででせいいっぱいだが、ラジオと何か別なことをするという組み合わせが好きだ。もちろん、音楽でもいいのだが。集中していないようだが、適度な気分転換ができているような気がする。あくまでも主観なので自分で試してみることを強く勧める。
心配しなくとも、「うつ」は治るのだが、これも主観による。今の狂った精神科医にかかれば、一生治らないと言われるだろう。永遠に薬を飲むことをすすめられるのであれば、そういうことになる。医者に惑わされず、自分の気持ちを大切にしていけば、「治った」と思える状態に持って行くことはできる。うつは、惑わされないことが大事だ。そのためにも、自分で徹底的な研究が望まれる。薬がいいと言う人間の本も読んでみることだし、私のような原理主義的な人間の話も聞いてみることだ。自分で客観的と思えるような判断が下せるならば、それはもう、まったく問題ないと言うべきだろう。
とりあえず、そのことばかりに集中しないように、話を聞いてあげることだと言っておいた。私には、意見があるといっても、それは原理主義的なものなので誰にでも通用するものではない。つまり、薬を飲むきっかけになった「原因」を追求することだというものだ。そして、日常の不安や不眠に対して薬は必要ないということだ。抗うつ薬SSRIは、「効く」という証拠が無いし、自殺願望を引き起こすことがわかっている。
結局、うつを病気としてとらえるのもいいのだが、それに対して処方する薬など無いということが明らかになってきている。必要だと言うのは、薬で儲けたい医者とその関係者だけだ。人間、生きていると不条理なことに何度となく出会う。その度にうつになることもあるだろう。だからといって、わけのわからない処方箋にすがるのはどうだろうか。医者が自分よりも詳しく自分を知ってくれているのなら別だが、医者は保護者ではないのだ。自分を知っているのは他ならぬ自分しかいない。
何か、自分で楽しいことを発見することから気分を治していくことが大切だと今の私ならば答えるだろう。私は、今も病的に買い物をしているのだが、私自身は楽しい。仕入れるためにネットを中心に調べ上げることも楽しみだ。今年の初めからのめり込んだ「笛」も今では私の立派な「趣味」になっている。これに、カメラなどのデジタル機器が脇を固める。楽しいこと、というよりも気分転換のための「趣味」を20代の前半から必死で探してきただけのことだ。
私の趣味の基本は、「調べること」だ。だから、本は必須の持ち物だ。コンピュータのことだけではなく、歴史、中国語、ガン、政治、病気を納得するまで調べることが私の趣味であり、「楽しい」ことなのだ。調子が悪いと思ったら、基本的に、楽しいことをすることにしている。高い月謝を払った趣味は、それなりに報われると私は信じている。
うつの基本は、「楽しくない」ことにあると私は考えている。仕事や私生活で、どうしようもなく「楽しくない」ことが生じる。あっさり解決するものならば、もちろん気分の落ち込みは無いのだが、なかなか解決しそうもない、自分の努力でどうにもならないこと、そんなことに出くわすとうつ状態に陥るのだと思う。
考え込んでうつになる人のほとんどは、まじめな人たちなので基本的に医者に行こうとする。しかし、上に書いたようにうつ状態に対して今の医者は役に立たない。実態を把握していないというか、自らもうつで薬をやっているのではないかとさえ思うからだ。だから、第一の関門として、医者の言いなりにならないことが大切だ。意見を聞くことは大事なのだが、あくまでも自分で調べて行動することだ。必要とあらば、医者を切ることも必要だ。
私が浪人時代にうつに陥った時にやっていたことというのは、なんと磁石遊びだった。小学生の頃に下敷きで坂を作って、タイヤ型の磁石をころがす。転がる途中で別の磁石を近づけるといろいろな方向に変化する。その様がおもしろく一日中やっていたように思う。たとえば、こういうことだって、役に立つということだ。ただ単に休むというよりも、ぼーっとしながらもやれることがあれば最もいいように思う。今ならば、ゲームをやれるのだが時代が時代なので仕方のないことだっと思う。
今の時代であれば、ゲーム以外にもいろんなものがあると思うが、難しいのは、「楽しいこと」は千差万別で、自分が楽しいことを見つけなければならないことだ。私の楽しいことは、他人には楽しいことではないのだ。しかし、「買う」という行為には何らかのヒントがあると私は思っている。何をするにしても、買うことから始まる。DVDを見るにしても、まず買うことから始まる。
そして、これは最近の思いつきなのだが、「気を散らす」ことがいいのではないかということ。うつに陥る人というのは、集中力が高い人がほとんどだと思う。どんどん気が散る人がうつ状態になることは、あまりないと思える。何かをしながら、他のことをやるということをやってみるのがいいのではないか。具体的には、ラジオを聴きながら、パソコンで調べごとをするとかだ。集中力の高い人ならば、ラジオがうるさいはずだが、この状態に慣れることが重要だ。この過程で、気を散らす、あるいは、気をそらすということができる。
慣れるとさらにDVDを見るという行為も加えてみる。どんどん増やして行って、これ以上さばききれないという状態を体験してみることだ。私は、ラジオとDVDくらいまででせいいっぱいだが、ラジオと何か別なことをするという組み合わせが好きだ。もちろん、音楽でもいいのだが。集中していないようだが、適度な気分転換ができているような気がする。あくまでも主観なので自分で試してみることを強く勧める。
心配しなくとも、「うつ」は治るのだが、これも主観による。今の狂った精神科医にかかれば、一生治らないと言われるだろう。永遠に薬を飲むことをすすめられるのであれば、そういうことになる。医者に惑わされず、自分の気持ちを大切にしていけば、「治った」と思える状態に持って行くことはできる。うつは、惑わされないことが大事だ。そのためにも、自分で徹底的な研究が望まれる。薬がいいと言う人間の本も読んでみることだし、私のような原理主義的な人間の話も聞いてみることだ。自分で客観的と思えるような判断が下せるならば、それはもう、まったく問題ないと言うべきだろう。
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