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少し前からパートナーが復活してくれてまた一緒に仕事をしている。私としては、ほぼ、あきらめていたことなので夢でも見ているような感じだ。もちろん、うれしいのだが、まだ、それが実感できないでいるらしい。
私たちがやってきた仕事は、辞典や事典のデータ作成だ。複雑な仕事であることに変わりない。一人でも多くの手が欲しいというのが私でなくとも感じていることではないかと思う。私も途中までよくわかっていなかったのだが、今年の初めにパートナーに去られてそのことが今さらのように身にしみてわかったのであった。
つまり、この仕事を続けて行くためには、それなりの「やり方」があるということだ。それは、そんなに複雑なことではなく、「いかに楽しさを持続させるか」にこだわることだ。これまでの私は、自分の楽しさを追求していたのだが、同僚の「楽しさ」にまで思いが至らなかった。経営者なら、そこまで考えてしかるべきだろうと思うのだが。
かつて、NECの傘下で働かされ、さんざんな目に遭ってきた私にとって、コンピュータを自分のものにするということが目標だった。マイクロソフトやアップルのOSに支配されている間は、本物ではないと思ってきた。東京に出てきてからの数年間は、コンピュータやインターネットの発展と重なっていて、目にすること全てがおもしろいことの連続だった。仕事にもフリーなOSを導入してどちらかと言えばこれがメインのマシンだった。ひとまずは、目標を達成できていたのだった。
これまでの間、私自身もしんどかったと思うが、正直なところ落ち着いて考えることがあまりなかったように思う。この仕事をどうやって育てるのか、自分たちがまともに生きられるような「やり方」とはどんなものなのかを考えていかなければならなかったのだ。愚かな私は、そういうこともなく過ごしてきたために段々と会社は傾いて行き、とうとう今年の初め、パートナーの離脱という大事件に発展してしまったのだった。
フリーのOS、フリーのソフトウエアにこだわって仕事をしてきた私の方針は、間違いではなかったと思うが、同僚にそのやり方を伝えるという意味でうまく行かなかったように思う。場合によっては、フリーソフトウエアの理念を説明することもやらなければならなかったのではないかと思う。これまでの仕事は、フリーソフト抜きでは考えられなかったくらいフリーソフトに依存していたのだ。
今後もそれは変わらないと思うのだが、それらを教育していくシステムは大いに変わらなければならないと思う。私だけがわかっていたのではいけない、という意味だ。何のためにフリーソフトがあるのか、フリーソフトとユーザーの関係はどうあるべきなのか、そんなことを楽しい会話の中で話すことができれば最高だと思う。フリーソフトがどこかの国の貧しいおぢさんが出しているという発想があるならば、改めて欲しいという思いだ。
確かにフリーソフトは、マイクロソフト等、有料改変不許可ソフトを販売している会社のものに比べてインストールや運用が難しい。私もそこが弱点と思っていたのだが、XPにやられて以来、考えが変わった。つまり、XPのように「使いやすい」OSを使うとコンピュータについての知識がどんどん無くなってくるのだ。プリンタの設定さえも億劫になってしまい、ユーザーの痴呆化が促進されてしまうのだ。
コンピュータをうまく扱えるようになるためには、エラーをいかに多く経験するかによる。スンナリ行ったのでは進歩は無いのだ。XPの浸透はそこを図らずもあぶりだしてくれたのだと思う。自分が気がついてフリーなOSに回帰しようとしても周りがそれを許さない状況があった。WindowsやMacの蔓延だった。仕事ではWindowsを、家ではFreeBSDをという時代がしばらく続いた。
その後、フリーソフトがWindowsに対応してしまったこともあり、愚かな私は、ままよとばかりにXPに取り込まれてしまった。復帰するのに4年かかったくらいだ。後遺症はまだ続いており、自宅のコンピュータでは、未だFreeBSDが稼働していないのだ。
フリーソフト談義が長く続いてしまったが、この話は結構、重要だということが言いたかったのだった。恐らく、興味を持ってもらえないとは思うのだが、また機会を見ては同僚にもフリーソフトの話をしてみたい。フリーソフトは、使わないで済むならそれでいいなどというものではないのだ。これを使わなければ、自身の進歩は無いと言える程、大切なものなのだ。
もう、8年以上も前の話だが、私が元クラスメートの会社に身を寄せていた時代にパートナーは、応募して来た。一目で気に入った私は、即、採用したのだが、元クラスメートは、「よう、見た方がええで。」と忠告のようなものをしていた。私は、岡山の親友と出会った時のような印象を抱いて、気に入ってしまったのだった。リチャードやラリー、最近では笛のマイケルと同じように、いろいろあるかもしれないが、「好きだ」という感覚だ。もちろん、人間的にということだ。
しばらくは、今年2月までの感覚を思い出すことに時間を使わなければならないと思うのだが、これは、むしろ喜ばしいことだ。きれいすっぱり忘れてしまった方がいいのだ。もちろん、思い出すことが苦しいし、勉強も簡単ではない。しかし、そこに時間をつぎ込むことで確実に大きな進歩があると思う。
私たちがやってきた仕事は、辞典や事典のデータ作成だ。複雑な仕事であることに変わりない。一人でも多くの手が欲しいというのが私でなくとも感じていることではないかと思う。私も途中までよくわかっていなかったのだが、今年の初めにパートナーに去られてそのことが今さらのように身にしみてわかったのであった。
つまり、この仕事を続けて行くためには、それなりの「やり方」があるということだ。それは、そんなに複雑なことではなく、「いかに楽しさを持続させるか」にこだわることだ。これまでの私は、自分の楽しさを追求していたのだが、同僚の「楽しさ」にまで思いが至らなかった。経営者なら、そこまで考えてしかるべきだろうと思うのだが。
かつて、NECの傘下で働かされ、さんざんな目に遭ってきた私にとって、コンピュータを自分のものにするということが目標だった。マイクロソフトやアップルのOSに支配されている間は、本物ではないと思ってきた。東京に出てきてからの数年間は、コンピュータやインターネットの発展と重なっていて、目にすること全てがおもしろいことの連続だった。仕事にもフリーなOSを導入してどちらかと言えばこれがメインのマシンだった。ひとまずは、目標を達成できていたのだった。
これまでの間、私自身もしんどかったと思うが、正直なところ落ち着いて考えることがあまりなかったように思う。この仕事をどうやって育てるのか、自分たちがまともに生きられるような「やり方」とはどんなものなのかを考えていかなければならなかったのだ。愚かな私は、そういうこともなく過ごしてきたために段々と会社は傾いて行き、とうとう今年の初め、パートナーの離脱という大事件に発展してしまったのだった。
フリーのOS、フリーのソフトウエアにこだわって仕事をしてきた私の方針は、間違いではなかったと思うが、同僚にそのやり方を伝えるという意味でうまく行かなかったように思う。場合によっては、フリーソフトウエアの理念を説明することもやらなければならなかったのではないかと思う。これまでの仕事は、フリーソフト抜きでは考えられなかったくらいフリーソフトに依存していたのだ。
今後もそれは変わらないと思うのだが、それらを教育していくシステムは大いに変わらなければならないと思う。私だけがわかっていたのではいけない、という意味だ。何のためにフリーソフトがあるのか、フリーソフトとユーザーの関係はどうあるべきなのか、そんなことを楽しい会話の中で話すことができれば最高だと思う。フリーソフトがどこかの国の貧しいおぢさんが出しているという発想があるならば、改めて欲しいという思いだ。
確かにフリーソフトは、マイクロソフト等、有料改変不許可ソフトを販売している会社のものに比べてインストールや運用が難しい。私もそこが弱点と思っていたのだが、XPにやられて以来、考えが変わった。つまり、XPのように「使いやすい」OSを使うとコンピュータについての知識がどんどん無くなってくるのだ。プリンタの設定さえも億劫になってしまい、ユーザーの痴呆化が促進されてしまうのだ。
コンピュータをうまく扱えるようになるためには、エラーをいかに多く経験するかによる。スンナリ行ったのでは進歩は無いのだ。XPの浸透はそこを図らずもあぶりだしてくれたのだと思う。自分が気がついてフリーなOSに回帰しようとしても周りがそれを許さない状況があった。WindowsやMacの蔓延だった。仕事ではWindowsを、家ではFreeBSDをという時代がしばらく続いた。
その後、フリーソフトがWindowsに対応してしまったこともあり、愚かな私は、ままよとばかりにXPに取り込まれてしまった。復帰するのに4年かかったくらいだ。後遺症はまだ続いており、自宅のコンピュータでは、未だFreeBSDが稼働していないのだ。
フリーソフト談義が長く続いてしまったが、この話は結構、重要だということが言いたかったのだった。恐らく、興味を持ってもらえないとは思うのだが、また機会を見ては同僚にもフリーソフトの話をしてみたい。フリーソフトは、使わないで済むならそれでいいなどというものではないのだ。これを使わなければ、自身の進歩は無いと言える程、大切なものなのだ。
もう、8年以上も前の話だが、私が元クラスメートの会社に身を寄せていた時代にパートナーは、応募して来た。一目で気に入った私は、即、採用したのだが、元クラスメートは、「よう、見た方がええで。」と忠告のようなものをしていた。私は、岡山の親友と出会った時のような印象を抱いて、気に入ってしまったのだった。リチャードやラリー、最近では笛のマイケルと同じように、いろいろあるかもしれないが、「好きだ」という感覚だ。もちろん、人間的にということだ。
しばらくは、今年2月までの感覚を思い出すことに時間を使わなければならないと思うのだが、これは、むしろ喜ばしいことだ。きれいすっぱり忘れてしまった方がいいのだ。もちろん、思い出すことが苦しいし、勉強も簡単ではない。しかし、そこに時間をつぎ込むことで確実に大きな進歩があると思う。
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