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私がコンスタンのことをよく理解していなかったのは多くの経験者と同じだ。私の場合も、単なる不眠から始まり、仕事上の衝突などが重なり、自分の意志で精神科を訪ね、医師からコンスタンの処方を受けたのだった。あまりにも無防備な行動は、今思い出しても身震いがするくらいだ。
私は、コンスタンに限らず、ベンゾジアゼピン誘導体の薬が常用量で依存を引き起こすことを知り、この医師に糺したのだが、帰ってきたのはヒステリックな「無いって!1ヶ月分全部飲んだって安全な薬なんだよ。」と言うばかりだった。確かに、一度に全部飲んでも死ねないかもしれないが、依存や「離脱症状」の問題を忘れている。
このイカレた医師のおかげで私は、医者を「疑う」という視点を持つことができた。むしろ、感謝しなければならないかもしれない。すかさず、それ以降の「診察」は取りやめた。この時点では、コンスタンを安全に止める知識を持っていなかったので不安だったが、インチキ医者を信用するわけにもいかなかった。
離脱症状は、すぐに襲ってくるのだが、ひたすら歩く(つまり、運動すること)ことで切り抜けた。とりあえず漸減法という方法で錠剤を半分にしたり、4分の1にしたりして一度に体に入れる量を少なくして行った。これから一切断つという段階で幸か不幸かA型インフルエンザにかかってしまい、ほぼ1週間寝込んでしまった。
今から思うと恐ろしいのだが、苦しさのあまり「タミフル」を飲んだのだった。まだこの頃は、タミフルが危険だとまでの認識が無かったのでアホな医者の言うままに受け入れたのだった。さすがに、タミフルを飲んでいる最中にコンスタンを飲んでも効かないと思うので結果的にコンスタンを中断できたのだった。幸い、私の場合は、タミフルを飲んでも異常行動を起こすことは無かった。
これ以降は、不安はあったのだがコンスタンを一切、体に入れていない。離脱症状は、薬を飲む前に出ていた不眠やら、パニックやら、イライラ感がそれなりにあったと思う。完全にコンスタンを止めて3ヶ月後に自分で「離脱宣言」をしたのだが、これが甘かった。さらに、1年以上も日和見感染のように体調が弱まるとパニック様の症状はあった。
問題は、私がこれも離脱症状なのだという認識が無かったことだ。薬をやめても個人差により、数年は日和見感染的に症状が出ることもあるということを認識しておくべきだった。こういうことは、経験者しかわからないことだ。個人差があるということも問題を大きくしている。他人と同じではないのだ。
また、医者の言いなりにならないという概念も大切だろう。今でも医者を神様のごとく信心する人もいるようだが、殺されないことを祈るばかりだ。私が子供のころ診てくれていた医者は、確かにその価値はあったが、今の医者は、臨床経験から学んだ者でない限りはヤブ医者と思って間違いない。私に薬を出したアホ医者は、精神科の責任者からなんと、病院長になっていた。それなりに経験を持っているが、その経験から学んでいないと無意味であることがよくわかる。
個人で医学的な知識を得ることは難しいことだが、それでも薬を飲むという段階、手術をするという段階では必ず医者をも凌駕する知識を持った方がいい。殺されるよりはましではないかと思うからだ。今では少数派になってしまったが、本当に優秀な医者もいることは事実だ。そういう医者を頼ることも可能だが、それをあてにするより自分を信じた方がいい。私のケースもそうだったからだ。
私が自分の経験を通じて言えるのは、自分の経験を必ずしもそのまま同じような悩みを持つ人々に伝えられないことだ。まだまだ、医者を信用する人は多いし、薬信仰もやまない。現実に離脱症状は、非常につらいものがある。いつ終わるかもしれない離脱症状に悩み、薬を再開する人もいるという。その際に役立つのが、「期間」だと思う。薬を止めたらすぐに解決するのではなく、一定の期間は離脱症状が間歇的に起こり得るということを知っておくだけでも励みになるだろう。
薬信仰については、自分で勉強してその恐ろしさを知る他ないのではないか。飲んでいい薬はほとんど無い。理由のある不安、不眠に薬は不要だということを自分で調べて確認することが大事だ。他人に聞いたのでは、不信感が伴う上に納得できないと思う。
私もそうだったのだが、「完璧」を目指そうとすると必ず失敗する。睡眠に完璧もいい加減も無いのだ。疲れたら眠たくなる、それだけのことだ。つまり、「努力して」眠ることはできないということだ。運動もやるにこしたことはないと思うが、不眠の原因は、「夜」にあるわけではない。眠れなかったら、これをやろうということがあれば、少しも苦ではない。だから、自分がやれることをどんどん増やすことである意味、不眠は解決する。
普通の人はどうしているのかというと、眠れる日もあるし眠れない日もあるというふうに考えているだけだ。年齢とともに睡眠時間も短くなる。永遠に7時間眠るということは不可能なことだ。「いい加減」に慣れることだ。そして、楽しいことを増やすことだ。すべてはそこに行き着くのではないかと思う。
私は、コンスタンに限らず、ベンゾジアゼピン誘導体の薬が常用量で依存を引き起こすことを知り、この医師に糺したのだが、帰ってきたのはヒステリックな「無いって!1ヶ月分全部飲んだって安全な薬なんだよ。」と言うばかりだった。確かに、一度に全部飲んでも死ねないかもしれないが、依存や「離脱症状」の問題を忘れている。
このイカレた医師のおかげで私は、医者を「疑う」という視点を持つことができた。むしろ、感謝しなければならないかもしれない。すかさず、それ以降の「診察」は取りやめた。この時点では、コンスタンを安全に止める知識を持っていなかったので不安だったが、インチキ医者を信用するわけにもいかなかった。
離脱症状は、すぐに襲ってくるのだが、ひたすら歩く(つまり、運動すること)ことで切り抜けた。とりあえず漸減法という方法で錠剤を半分にしたり、4分の1にしたりして一度に体に入れる量を少なくして行った。これから一切断つという段階で幸か不幸かA型インフルエンザにかかってしまい、ほぼ1週間寝込んでしまった。
今から思うと恐ろしいのだが、苦しさのあまり「タミフル」を飲んだのだった。まだこの頃は、タミフルが危険だとまでの認識が無かったのでアホな医者の言うままに受け入れたのだった。さすがに、タミフルを飲んでいる最中にコンスタンを飲んでも効かないと思うので結果的にコンスタンを中断できたのだった。幸い、私の場合は、タミフルを飲んでも異常行動を起こすことは無かった。
これ以降は、不安はあったのだがコンスタンを一切、体に入れていない。離脱症状は、薬を飲む前に出ていた不眠やら、パニックやら、イライラ感がそれなりにあったと思う。完全にコンスタンを止めて3ヶ月後に自分で「離脱宣言」をしたのだが、これが甘かった。さらに、1年以上も日和見感染のように体調が弱まるとパニック様の症状はあった。
問題は、私がこれも離脱症状なのだという認識が無かったことだ。薬をやめても個人差により、数年は日和見感染的に症状が出ることもあるということを認識しておくべきだった。こういうことは、経験者しかわからないことだ。個人差があるということも問題を大きくしている。他人と同じではないのだ。
また、医者の言いなりにならないという概念も大切だろう。今でも医者を神様のごとく信心する人もいるようだが、殺されないことを祈るばかりだ。私が子供のころ診てくれていた医者は、確かにその価値はあったが、今の医者は、臨床経験から学んだ者でない限りはヤブ医者と思って間違いない。私に薬を出したアホ医者は、精神科の責任者からなんと、病院長になっていた。それなりに経験を持っているが、その経験から学んでいないと無意味であることがよくわかる。
個人で医学的な知識を得ることは難しいことだが、それでも薬を飲むという段階、手術をするという段階では必ず医者をも凌駕する知識を持った方がいい。殺されるよりはましではないかと思うからだ。今では少数派になってしまったが、本当に優秀な医者もいることは事実だ。そういう医者を頼ることも可能だが、それをあてにするより自分を信じた方がいい。私のケースもそうだったからだ。
私が自分の経験を通じて言えるのは、自分の経験を必ずしもそのまま同じような悩みを持つ人々に伝えられないことだ。まだまだ、医者を信用する人は多いし、薬信仰もやまない。現実に離脱症状は、非常につらいものがある。いつ終わるかもしれない離脱症状に悩み、薬を再開する人もいるという。その際に役立つのが、「期間」だと思う。薬を止めたらすぐに解決するのではなく、一定の期間は離脱症状が間歇的に起こり得るということを知っておくだけでも励みになるだろう。
薬信仰については、自分で勉強してその恐ろしさを知る他ないのではないか。飲んでいい薬はほとんど無い。理由のある不安、不眠に薬は不要だということを自分で調べて確認することが大事だ。他人に聞いたのでは、不信感が伴う上に納得できないと思う。
私もそうだったのだが、「完璧」を目指そうとすると必ず失敗する。睡眠に完璧もいい加減も無いのだ。疲れたら眠たくなる、それだけのことだ。つまり、「努力して」眠ることはできないということだ。運動もやるにこしたことはないと思うが、不眠の原因は、「夜」にあるわけではない。眠れなかったら、これをやろうということがあれば、少しも苦ではない。だから、自分がやれることをどんどん増やすことである意味、不眠は解決する。
普通の人はどうしているのかというと、眠れる日もあるし眠れない日もあるというふうに考えているだけだ。年齢とともに睡眠時間も短くなる。永遠に7時間眠るということは不可能なことだ。「いい加減」に慣れることだ。そして、楽しいことを増やすことだ。すべてはそこに行き着くのではないかと思う。
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