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8日夜のことだが、永井龍雲と杉田二郎のジョイントライブに行ってきた。あまり期待していなかったが、杉田二郎の生は、初めてだったのでそれなりに興奮した。ただ、食事も提供するライブハウスだったこともあり、私には厳しい環境であった。

ただ、前に書いたように一番後ろの席を陣取ったので、閉所恐怖的なパニックにはならず、落ち着いて聴くことができた。むしろ、余裕があったくらいだ。杉田二郎のファンもかなり多かったのではないだろうか。頭もはげて相当な歳の人もいたように思う。

私の中での杉田二郎は、数年前から龍雲とつるんでいて那覇マラソンなんかも一緒に走っている、という情報が新しいものだ。それ以外となると30年くらい前のラジオで聴いた「僕たちの箱船」という青春ソングだ。その当時に、青春ソングの金字塔と言われていたので印象的に覚えている。最近、CDになって出たのでわざわざ買ったくらいだ。この日も当然、歌ってくれると思いきや、歌ってくれなかった。もう、封印しているのかもしれない。

二郎さんの声は、一語一語明瞭ですばらしいのだが、妙なこぶしをきかせているので聴きづらかった。たぶん、声が続かないからなのかもしれない。私が下手な尺八をふるわせるように吹けば、うまいかのように聞こえるのと似ているかもしれない。高い声も出るのでもう少し、普通に歌ってもらえればうれしかったのだが。CDを買えば二郎さんと話ができたのだが、気分が乗らず買わずに帰ってしまった。

どうも、二人に親交があるので急遽決まったライブのようで「掛け合い」の妙は無かった。龍雲はただただ、緊張して言葉があまり出なかったようだ。私たちにはそれがわかるだけに愛おしかった。龍雲は、どこまでいってもまじめな人なのだ。

そんなライブだったが、ライブでもCDでもよく聴いている「ルリカケス」という歌が妙に耳に残った。龍雲の歌はいつもそうだが、わからない言葉があっても何年も放置する。知りたくないというわけではなく、私たち、狂信的な龍雲ファンは心で聴きたい、感じたいという思いがあるからだ。

わからない言葉に「愛加那」というものがあった。奄美の島唄に出てくる人物の名前と思うのだが、調べるなどという無粋なことをやると心で感じることに反するのであえて調べようという気が起きなかった。しかし、ネットでようやく調べてみようという気分になり調べてみると、あっさりわかってしまった。

『十刻通信』という方が「愛加那(ルリカケス)」と題して詳しく解説してくださっている。30年来の龍雲ファンを自認する私よりもずっと龍雲の歌を理解しておられる。もう一つ、歌の題にもなっている「ルリカケス」が何を意味するのか愚かな私は理解できなかったのがわかった。

ルリカケスとは、言うまでもなく奄美の固有の鳥のことだが、なぜ唐突に出てくるのか、頭の固い私には理解できなかったのだ。ルリカケスとは、龍雲にとってお母さんそのものだったわけだ。直感的には、「ルリカケス」という歌は「もう一つの母さんの唄」だと思ったのだが、あくまでも直感であり理由は説明できないものだった。理路整然と説明を読むと、ようやくナルホドと理解する私の鈍さだった。

私がずっと気になったのは、もう一つ、高二の時の母の死がここまで人間をつき動かすのかという思いだった。私の敬愛するパピヨンこと、アンリ・シャリエール氏も自分がやくざの道に入ったのも突き詰めればスペイン風邪で死んだ母の死までさかのぼると翻訳者に話したという。その理不尽さ、不条理を許せなかったのだそうだ。龍雲の場合は、自分の浪人体験や失恋体験が加わって詩を作るという行動に向かわせたのだと思う。

そして、最初は自分を元気づけるための創作だったのだが、私のような人間を本当に死の淵から救うことのできる歌を作るようになったということだ。龍雲にしてみれば、今も昔と変わらず自分の見聞き感じたことを歌にしているに過ぎないのかもしれないのだが、「ルリカケス」にみるようにその影響力は計り知れないくらいだ。これまでのところ、それは龍雲個人には、それほど恩恵をもたらしたわけではなかったが、私を含む少なからぬ人間を励まし、生きる勇気を与えてきた。

この日、「鳥のようなもの」も歌ってくれたのだが、これは年輩の客を意識して選曲したのだと思う。この曲も「輪廻転生」を意識して作ったということだが、私は本当に理解したかどうか疑わしい。ともかく、母やパートナーがピンチだった時、聴いて、たいへん癒された歌なのだ。生きているのではなく、人はそれぞれの使命に基づいて「生かされている」という内容の歌だ。

祖父の懸命な救援が無ければ、私は40数年前に死んでいた。わずか2歳半の一生だったはずだ。しかし、幸か不幸か私は助かり、命を与えられた。これからは、人助けのために生きよと言わんばかりに。現実の私は、そういうことも忘れ、罰当たりにも祖父に悪態をつき、煩悩にまみれて生きてきた。仕事にあぶれたり、不当な差別を受けていると感じることも、当たり前であったような気がする。自分の生き様が反映されていた結果なのだ。

とはいえ、私は聖人君子ではないのでここから劇的に変わることもできないだろうと思う。今後も煩悩にまみれながらも改心すべきところは改心し、私にできる善行もして行くだけだ。恩師に教わったように、龍雲に救われたように他人にもいい影響が与えられたらこれ以上の喜びはないと思う。
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