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仕事を始めてからの「勉強」は、なかなかつらい。私がコンピュータのソフトウエア開発会社に勤務したのが30歳だったが、たちまち激しい睡魔に襲われた。頭の中が何かおかしくなっているのではないかというような錯覚を抱いたこともあった。単純に、理解できなかっただけのことだろうが。
ずいぶん若い頃からコンピュータに興味があったものの、仕事で接するオフィス・コンピュータは、まったく理解できないものだった。スイッチの入れ方からしてわからない。そもそもプログラムが何であるかもわからなかった。しかし、年齢も30だし、後には引けなかった。既にバブル崩壊のきざしはあったはずだが、のんびり未経験者でも採用する会社があったのだ。
こうした経験はこれっきりにしたかったのだが、十数年前に私が相手にするデータ対象が数字から「文字」に変わった。そのため、またしてもゼロから勉強するはめになってしまったのだった。救いだったのは、私が数字に弱かったことだった。複雑さにおいてはそんなに変わらないと思うが、どちらかと言えば文字の方が意欲が出る感じだった。
結果は同じ事で、相当な重圧があったことは記しておかないといけない。ただし、ここでも救いがあったのは、わりと余裕をもらえたということだ。押しかけて仕事をもらったにしては条件が良かったと言うべきだろう。当時、35を超えていた私が理解できる速度はそんなに速くはなかったと思うが、それでも通用したのだった。
後にケンカ別れとなる前任者は、私が一人で参考書を買って勉強している姿をほめてくれていた。彼が私をほめたのは後にも先にもこれ一回だったように思う。共通の目標のために動いていた半年間はわりと仲良く仕事をしていたのが、二人の路線の違いは大きすぎた。彼は、自分のプラットホームでしか動けない人だった。勉強もそこまでということだ。私のように余分なこととか、いらんことまでやったりはしないのだ。
自分で経験して思うのだが、コンピュータのように複雑でやっかいなことの勉強は、自分でやるのがいい。やってみると意外にわかりやすかったりするのだ。しかし、同じ事を経験者から教わったらどうか。これが、異常に難しく感じるのだ。教師ほど熟していないただの経験者が教師のまねごとをしてもおっつかないということではないか。しかも、コンピュータは、自分で経験することなくして進歩は絶対に無いのだ。
時間をもらえたことは、私にとって幸運だった。おまけに、最初のうちは参考書も買ってもらっていた。これも当時としては、格別の扱いではなかったかと思う。自分でも買っていたのだが、積極的に勉強するという姿勢が評価されてのことだと思う。まずは、自分で突破してみせるという意気込みはいつの時代でも評価されるわけだ。
そして今、今は、むしろ全く新しいことに出会うことは少なくなっているが、それでもじっくりと取り組まないとわからないことがある。Perlのutfフラグなどだ。参考書も無いし、ネットでの情報も十分ではない。そして、誰も教えてはくれないのだ。今だからこそ、じっくり時間をかかて英文の解説を読んでみようと思ったりできるが、昔はそうではなかった。休みの日によく秋葉原に通ったものだ。まだ、秋葉に本屋があった時代の話だ。答えがあることもあったし、依然わからないままのこともあった。
これからは、難しい問題に出会っても自分で解決するしかないかもしれない。私たちが仕事で使うツール類は、ほとんどがフリーソフトだ。自分で作るしかないからだ。ソースコード以外に情報が無いものもある。こういうのが最も困るのだが、それでも満足のいく仕事をやって行くためには、難しいことを使って行くしかないのだ。
私の場合、少し経験があるので普通なら窮地の今を、そこそこ楽しむこともできるようになっている。パートナーや同僚、そしてまだ見ぬ新人にもそういうことを指導できるようになりたいものだ。それは、そう難しいことではないかもしれない。難しいからやらない、ではなく、なぜ難しいと思っているのかということに疑問を持つことでいい。それから先は、ゆっくりやればいい。問題は、困難のとらえ方なのだ。
ずいぶん若い頃からコンピュータに興味があったものの、仕事で接するオフィス・コンピュータは、まったく理解できないものだった。スイッチの入れ方からしてわからない。そもそもプログラムが何であるかもわからなかった。しかし、年齢も30だし、後には引けなかった。既にバブル崩壊のきざしはあったはずだが、のんびり未経験者でも採用する会社があったのだ。
こうした経験はこれっきりにしたかったのだが、十数年前に私が相手にするデータ対象が数字から「文字」に変わった。そのため、またしてもゼロから勉強するはめになってしまったのだった。救いだったのは、私が数字に弱かったことだった。複雑さにおいてはそんなに変わらないと思うが、どちらかと言えば文字の方が意欲が出る感じだった。
結果は同じ事で、相当な重圧があったことは記しておかないといけない。ただし、ここでも救いがあったのは、わりと余裕をもらえたということだ。押しかけて仕事をもらったにしては条件が良かったと言うべきだろう。当時、35を超えていた私が理解できる速度はそんなに速くはなかったと思うが、それでも通用したのだった。
後にケンカ別れとなる前任者は、私が一人で参考書を買って勉強している姿をほめてくれていた。彼が私をほめたのは後にも先にもこれ一回だったように思う。共通の目標のために動いていた半年間はわりと仲良く仕事をしていたのが、二人の路線の違いは大きすぎた。彼は、自分のプラットホームでしか動けない人だった。勉強もそこまでということだ。私のように余分なこととか、いらんことまでやったりはしないのだ。
自分で経験して思うのだが、コンピュータのように複雑でやっかいなことの勉強は、自分でやるのがいい。やってみると意外にわかりやすかったりするのだ。しかし、同じ事を経験者から教わったらどうか。これが、異常に難しく感じるのだ。教師ほど熟していないただの経験者が教師のまねごとをしてもおっつかないということではないか。しかも、コンピュータは、自分で経験することなくして進歩は絶対に無いのだ。
時間をもらえたことは、私にとって幸運だった。おまけに、最初のうちは参考書も買ってもらっていた。これも当時としては、格別の扱いではなかったかと思う。自分でも買っていたのだが、積極的に勉強するという姿勢が評価されてのことだと思う。まずは、自分で突破してみせるという意気込みはいつの時代でも評価されるわけだ。
そして今、今は、むしろ全く新しいことに出会うことは少なくなっているが、それでもじっくりと取り組まないとわからないことがある。Perlのutfフラグなどだ。参考書も無いし、ネットでの情報も十分ではない。そして、誰も教えてはくれないのだ。今だからこそ、じっくり時間をかかて英文の解説を読んでみようと思ったりできるが、昔はそうではなかった。休みの日によく秋葉原に通ったものだ。まだ、秋葉に本屋があった時代の話だ。答えがあることもあったし、依然わからないままのこともあった。
これからは、難しい問題に出会っても自分で解決するしかないかもしれない。私たちが仕事で使うツール類は、ほとんどがフリーソフトだ。自分で作るしかないからだ。ソースコード以外に情報が無いものもある。こういうのが最も困るのだが、それでも満足のいく仕事をやって行くためには、難しいことを使って行くしかないのだ。
私の場合、少し経験があるので普通なら窮地の今を、そこそこ楽しむこともできるようになっている。パートナーや同僚、そしてまだ見ぬ新人にもそういうことを指導できるようになりたいものだ。それは、そう難しいことではないかもしれない。難しいからやらない、ではなく、なぜ難しいと思っているのかということに疑問を持つことでいい。それから先は、ゆっくりやればいい。問題は、困難のとらえ方なのだ。
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