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いつも満たされて、悩みの無い生活を夢見て生きてきた私なのだが、最近では、むしろそういう生活の方が異常だと思えてきた。性格上、完璧を求めるのは仕方がないとしても、どこかで「見直し」をしなければ誤ることを知った。薬だ。最近の医者は、知識もろくに無いのに薬を飲ませるのだから。
仕事や日々の生活でも趣味でもむろん同じことだ。大事なことは、完璧ではなく、ほどほどにつき合うことが重要だ。コンピュータにも同じ事が言える。うまく行くこともあれば、うまく行かないこともあるということを認めなければコンピュータとは付き合えないのだ。
私が日々、仕事をやっていてシンドイと思うのは、こんな時にパートナーがいてくれたらなあと感じる時だ。しかし、今さらのように反省しているのだが、それは、シンドイ仕事をパートナーに押しつけているだけのことで、お互いに仕事を楽しくやって行こうという試みではないということだ。我が社では、未だ仕事と教育ということがうまくできていなかったということかもしれない。
今も、もちろんシンドイのだが、これは、未知の領域の仕事を抱えていることによる。ちょっと勉強してわかればすかっとするのだが、それができていない。問題は、これを「しこり」ととらえるのではなく、楽しく仕上げる芸術のようにとらえることができるかどうかということなのだろう。そして、やらなければならないのは、そうした考え方を共有することだ。
私は、どうやら去年の暮れから今年の初めにかけてようやく抗不安薬・コンスタンからの離脱に成功したみたいで、仕事をやって行くにはまあまあの体調だ。食品添加物に注意したり、昼食を自然食の店のおにぎりやみそ汁に変えることで、そこそこ仕事のきつさにも耐えられそうな感じだ。これからやることとしては会社の方向性を決めることとか、いかに楽しくやれるかにこだわることだろう。
今でもこの国の企業ときたら、社員をむち打つことしか知らないようだ。本当に仕事ができるような「雰囲気」を作っていない。どこまでも社員の「努力」に任せているようだ。それでうまく行くならば皆うまく行っている。一見、無駄な努力のようなところから雰囲気作りは、始まる。そこを経営者は見抜けるかどうかだろう。
私はどうなのかというと未だわかっていないことも多い。しかし、わかったこともあるのでそれを少しずつでも実践して行きたいと思っている。問題は、それで仲間が集まるかどうかだろう。コンピュータを相手のキツイ仕事なので信念が揺らぐような経営ではすぐに人は離れて行くだろう。
私は、今の仕事は次の大きな仕事の前哨戦のように考えている。「次」があるかどうかは、まさに賭で、無ければ私は負けたということになる。しかし、私はインターネットの広がりとともに発展して行き、次の必要性が望まれるときブレイクするのではないかと思っている。私のやり方がまずくて会社は、足踏み状態だが来年あたり、何とか形が見えてくるのではないかと信じている。
どうやったらまずいのか、どうやったら楽しくできるのかがわかりつつあるからだ。今、大企業であっても楽しくない会社は必ずつぶれると思う。逆に、今、零細企業であっても楽しければ何とかなると思う。これは私の揺るがない信念だ。
仕事や日々の生活でも趣味でもむろん同じことだ。大事なことは、完璧ではなく、ほどほどにつき合うことが重要だ。コンピュータにも同じ事が言える。うまく行くこともあれば、うまく行かないこともあるということを認めなければコンピュータとは付き合えないのだ。
私が日々、仕事をやっていてシンドイと思うのは、こんな時にパートナーがいてくれたらなあと感じる時だ。しかし、今さらのように反省しているのだが、それは、シンドイ仕事をパートナーに押しつけているだけのことで、お互いに仕事を楽しくやって行こうという試みではないということだ。我が社では、未だ仕事と教育ということがうまくできていなかったということかもしれない。
今も、もちろんシンドイのだが、これは、未知の領域の仕事を抱えていることによる。ちょっと勉強してわかればすかっとするのだが、それができていない。問題は、これを「しこり」ととらえるのではなく、楽しく仕上げる芸術のようにとらえることができるかどうかということなのだろう。そして、やらなければならないのは、そうした考え方を共有することだ。
私は、どうやら去年の暮れから今年の初めにかけてようやく抗不安薬・コンスタンからの離脱に成功したみたいで、仕事をやって行くにはまあまあの体調だ。食品添加物に注意したり、昼食を自然食の店のおにぎりやみそ汁に変えることで、そこそこ仕事のきつさにも耐えられそうな感じだ。これからやることとしては会社の方向性を決めることとか、いかに楽しくやれるかにこだわることだろう。
今でもこの国の企業ときたら、社員をむち打つことしか知らないようだ。本当に仕事ができるような「雰囲気」を作っていない。どこまでも社員の「努力」に任せているようだ。それでうまく行くならば皆うまく行っている。一見、無駄な努力のようなところから雰囲気作りは、始まる。そこを経営者は見抜けるかどうかだろう。
私はどうなのかというと未だわかっていないことも多い。しかし、わかったこともあるのでそれを少しずつでも実践して行きたいと思っている。問題は、それで仲間が集まるかどうかだろう。コンピュータを相手のキツイ仕事なので信念が揺らぐような経営ではすぐに人は離れて行くだろう。
私は、今の仕事は次の大きな仕事の前哨戦のように考えている。「次」があるかどうかは、まさに賭で、無ければ私は負けたということになる。しかし、私はインターネットの広がりとともに発展して行き、次の必要性が望まれるときブレイクするのではないかと思っている。私のやり方がまずくて会社は、足踏み状態だが来年あたり、何とか形が見えてくるのではないかと信じている。
どうやったらまずいのか、どうやったら楽しくできるのかがわかりつつあるからだ。今、大企業であっても楽しくない会社は必ずつぶれると思う。逆に、今、零細企業であっても楽しければ何とかなると思う。これは私の揺るがない信念だ。
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