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以前、私が職にあぶれていた頃のことを書いたのだが、今もひょっとすると同じ状況なのかもしれない。つまり、先に仕事にありついたものが若者をフリーターや無職に追いやるという図式だ。私の時もそうだったと考えている。いろいろと理由をつけて雇わないし、職についていれば辞めるように誘導するわけだ。もちろん、次世代を育てないやり方に未来は無い。
私が今、こだわっているのはそこだ。仕事についていないならば、多少の居心地の悪さはあるのだが、仕事をやってみないか、ということだ。やはり、我が社でもそうだが、若い世代を育てられないシステムは、終わらざるを得ないのだ。私を受け入れなかった会社はつぶれているのかといえば、そうでもないだろうが、やがてつぶれると確信している。逆に受け入れた会社にはがんばって欲しいし、良い方に変化して欲しい。
楽しく仕事をやりたいという人は、恐らくだがうまく行くと私は思っている。仕事とは、本来楽しいものだと私は思っている。いつも考えることは、では、なぜ楽しくないのかを考えなければならないということ。そこに発展するか没落するかのヒントがある。
仕事には、しなければならないことと、やりたいことがある。最近の私は同僚やパートナーに助けられて「やりたいこと」を重点的にやることができた。従って、不満が無いということはないものの、そこそこ満足して仕事をやってきた。おまけにトロイのでやることなすこと相当に時間がかかる。
役割上仕方なかったとはいえ、ある時点で見極めて複雑な仕事に挑戦する時間を設けて訓練するべきだった。これは、私にしても同じ事で過去、相当に時間をかけて勉強もした。家でもしたが、仕事場でも勉強をした。やりたいことというのは時間がかかるものなのだ。
今の仕事を始めた13年前は、何もできなかった。何かをして欲しいと言われてもほとんど何もできなかった。私は、「できるやつ」になりたかったし、そのための勉強が「やりたいこと」であった。しかし、現実には山ほど積まれた原稿を元にデータ入力をしなければ仕事は前に進まなかったのだ。私はそういう現実を前に「うつ」状態になったのであった。
その状態が解消されたのは、8年前にパートナーが登場したからだった。実際には、パートナーの前に2人の派遣社員が来てくれて手伝ってくれたのだが、なにしろ「きつい」仕事なので無理に体を合わせたために、間違いが激しく増えてしまった。文字データを扱う仕事の場合、やはり、間違いは大問題であった。どうしたものかなと悩んでいるところへパートナーが来てくれたのであった。
パートナーの教育係もやっていたのでその間は、なかなかしんどかったが、1年もすれば私自身の仕事状況は大きく改善した。パートナーが入力をやってくれ、私はプログラミングに専念できたからだ。この時の状況から基本的には私とパートナーの関係はほとんど変わっていなかった。私は、パートナーに私と同じような仕事ができるようになることを望んだのだが、ある時点で断られてしまった。と私は理解している。
ひょっとするとこの理解が間違っていたのかもしれない。つまり、上に書いたようにある時点でさらに上を狙えるように時間をかけた「教育期間」が必要だったのかもしれない。現実の忙しさの前にそれらの計画があっても吹き飛んだことはあったと思うが、それでもどこかの時点でやるべきだったと思う。今年2月の私の敗北は必然的なものだったのだ。
この9月の一月間、私はパートナーにお願いしようと思っていた仕事をやっていてつくづく自分が愚かだと悟った。こんなことをやっていたのでは同じ事の繰り返しなのだ。ここまできてもまだ気がつかない自分のバカさ加減にほとほと、あきれた。最後まで自分がやり、次の仕事の下調べとか、次につながることこそやってもらうべきことだった。
やりたいこと、やらなければならないことが私の頭だけにあって、私はずっとやりたいことだけをやっていたわけだ。それ故、私はそこそこ楽しくやってこれたわけだ。同僚やパートナーの大きな犠牲の上に成り立っていた私の「調子」であった。こういうシステムを変えなければならない、と今さらパートナーのいなくなった会社で言っても始まらない。
それでも私は、自分の10数年前を思い出してみて、次世代を育てることを考えている。できることならパートナーの復活も考えている。キツイ仕事なので、いろんなやり方を考えなければならないのだが、基本は、楽しいことをやってもらうということだ。「やりたいこと」に属することをやってもらうということだ。もちろん、仕事なのでシンドイこともあるのだが、それは「どう分担するのか」を皆で話し合って決めればいいことだ。その案も既にできている。
私のように長く仕事を続けている者が今後もまた仕事をやるというのではなく、若い人、次世代を担う人がどんどん仕事に参加して欲しい。いや、そうでなければおかしいのだ。私のようなおぢさんが段々と仕事場がなくなるというのならわかるのだが、今はその反対なのだ。
今日、印刷会社との打ち合わせがあったが、彼らはどんな雰囲気で仕事をしているのか興味があったので聞いてみたのだが、しーんとした空気の中で仕事をしているのだそうだ。しかもスーツを着てだ。私のように音楽を聴きながらやる人はいないそうだ。仕事柄、そんなことでやれるのだろうかと心配になったくらいだ。
今の仕事場でさえ私は堅苦しいと思っているのだが、他社の事情を聞くにつけ、まだマシな方かとさえ思った。私はいつか実現したいと思っているのだが、基本は、自宅勤務というのが好きだ。我が社に人が増えて状況が許せばすぐにでも断行したいと思う。私の事情というよりも、私が引っ込むような仕事場の方が活気があるような気がするのだ。これは、私の少し前から感じていた直感だ。当面は、週1くらいは、家でやるというのもいい刺激になると思う。私にも同僚にも。
さらに、家でも外でも仕事場でも仕事ができるという環境もいいのではないかと思う。パソコンが重いがその分、自由度も高い。移動があるので考えがまとまりやすい。私がもっとも効率的な仕事場だと思うのは、何と電車の中だ。朝と帰りの通勤時間がかなり、良質な「思考タイム」だったのだ。こういう面からも外で仕事というのも一考の価値はある。
しつこいようだが、自分が仕事を楽しいと感じる環境を自分で作ることも大事だ。人により、その環境は違うので同じものを用意できないのがつらいが、できることならば何でもやりたいと思っている。今さらのようだが、私は、そのことについてもっとパートナーと話しておくべきだったと思う。
私が今、こだわっているのはそこだ。仕事についていないならば、多少の居心地の悪さはあるのだが、仕事をやってみないか、ということだ。やはり、我が社でもそうだが、若い世代を育てられないシステムは、終わらざるを得ないのだ。私を受け入れなかった会社はつぶれているのかといえば、そうでもないだろうが、やがてつぶれると確信している。逆に受け入れた会社にはがんばって欲しいし、良い方に変化して欲しい。
楽しく仕事をやりたいという人は、恐らくだがうまく行くと私は思っている。仕事とは、本来楽しいものだと私は思っている。いつも考えることは、では、なぜ楽しくないのかを考えなければならないということ。そこに発展するか没落するかのヒントがある。
仕事には、しなければならないことと、やりたいことがある。最近の私は同僚やパートナーに助けられて「やりたいこと」を重点的にやることができた。従って、不満が無いということはないものの、そこそこ満足して仕事をやってきた。おまけにトロイのでやることなすこと相当に時間がかかる。
役割上仕方なかったとはいえ、ある時点で見極めて複雑な仕事に挑戦する時間を設けて訓練するべきだった。これは、私にしても同じ事で過去、相当に時間をかけて勉強もした。家でもしたが、仕事場でも勉強をした。やりたいことというのは時間がかかるものなのだ。
今の仕事を始めた13年前は、何もできなかった。何かをして欲しいと言われてもほとんど何もできなかった。私は、「できるやつ」になりたかったし、そのための勉強が「やりたいこと」であった。しかし、現実には山ほど積まれた原稿を元にデータ入力をしなければ仕事は前に進まなかったのだ。私はそういう現実を前に「うつ」状態になったのであった。
その状態が解消されたのは、8年前にパートナーが登場したからだった。実際には、パートナーの前に2人の派遣社員が来てくれて手伝ってくれたのだが、なにしろ「きつい」仕事なので無理に体を合わせたために、間違いが激しく増えてしまった。文字データを扱う仕事の場合、やはり、間違いは大問題であった。どうしたものかなと悩んでいるところへパートナーが来てくれたのであった。
パートナーの教育係もやっていたのでその間は、なかなかしんどかったが、1年もすれば私自身の仕事状況は大きく改善した。パートナーが入力をやってくれ、私はプログラミングに専念できたからだ。この時の状況から基本的には私とパートナーの関係はほとんど変わっていなかった。私は、パートナーに私と同じような仕事ができるようになることを望んだのだが、ある時点で断られてしまった。と私は理解している。
ひょっとするとこの理解が間違っていたのかもしれない。つまり、上に書いたようにある時点でさらに上を狙えるように時間をかけた「教育期間」が必要だったのかもしれない。現実の忙しさの前にそれらの計画があっても吹き飛んだことはあったと思うが、それでもどこかの時点でやるべきだったと思う。今年2月の私の敗北は必然的なものだったのだ。
この9月の一月間、私はパートナーにお願いしようと思っていた仕事をやっていてつくづく自分が愚かだと悟った。こんなことをやっていたのでは同じ事の繰り返しなのだ。ここまできてもまだ気がつかない自分のバカさ加減にほとほと、あきれた。最後まで自分がやり、次の仕事の下調べとか、次につながることこそやってもらうべきことだった。
やりたいこと、やらなければならないことが私の頭だけにあって、私はずっとやりたいことだけをやっていたわけだ。それ故、私はそこそこ楽しくやってこれたわけだ。同僚やパートナーの大きな犠牲の上に成り立っていた私の「調子」であった。こういうシステムを変えなければならない、と今さらパートナーのいなくなった会社で言っても始まらない。
それでも私は、自分の10数年前を思い出してみて、次世代を育てることを考えている。できることならパートナーの復活も考えている。キツイ仕事なので、いろんなやり方を考えなければならないのだが、基本は、楽しいことをやってもらうということだ。「やりたいこと」に属することをやってもらうということだ。もちろん、仕事なのでシンドイこともあるのだが、それは「どう分担するのか」を皆で話し合って決めればいいことだ。その案も既にできている。
私のように長く仕事を続けている者が今後もまた仕事をやるというのではなく、若い人、次世代を担う人がどんどん仕事に参加して欲しい。いや、そうでなければおかしいのだ。私のようなおぢさんが段々と仕事場がなくなるというのならわかるのだが、今はその反対なのだ。
今日、印刷会社との打ち合わせがあったが、彼らはどんな雰囲気で仕事をしているのか興味があったので聞いてみたのだが、しーんとした空気の中で仕事をしているのだそうだ。しかもスーツを着てだ。私のように音楽を聴きながらやる人はいないそうだ。仕事柄、そんなことでやれるのだろうかと心配になったくらいだ。
今の仕事場でさえ私は堅苦しいと思っているのだが、他社の事情を聞くにつけ、まだマシな方かとさえ思った。私はいつか実現したいと思っているのだが、基本は、自宅勤務というのが好きだ。我が社に人が増えて状況が許せばすぐにでも断行したいと思う。私の事情というよりも、私が引っ込むような仕事場の方が活気があるような気がするのだ。これは、私の少し前から感じていた直感だ。当面は、週1くらいは、家でやるというのもいい刺激になると思う。私にも同僚にも。
さらに、家でも外でも仕事場でも仕事ができるという環境もいいのではないかと思う。パソコンが重いがその分、自由度も高い。移動があるので考えがまとまりやすい。私がもっとも効率的な仕事場だと思うのは、何と電車の中だ。朝と帰りの通勤時間がかなり、良質な「思考タイム」だったのだ。こういう面からも外で仕事というのも一考の価値はある。
しつこいようだが、自分が仕事を楽しいと感じる環境を自分で作ることも大事だ。人により、その環境は違うので同じものを用意できないのがつらいが、できることならば何でもやりたいと思っている。今さらのようだが、私は、そのことについてもっとパートナーと話しておくべきだったと思う。
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