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今朝、忙しく出て行く前にちょっと笛を吹いてからと思い吹いてみた。まず、ケーナを鳴らし、次にマイケルのホピフルートを。こんな時になんでと思うのだが、これがよく鳴りずっと吹き続けてみたいとさえ思った。時間が来たので仕事へ出かけたが、ものすごく心残りだった。
要するに私の生き方は、「下手の横好き」の連続だったと思う。基本は、「熱い」男なので何でも興味を持ってやるのだが、なにせ下手くそだ。運動をやってもギターをやってもゲームをやっても。しかし、そんなことではあきらめない、「しつこい性格」なので何でも続けてしまい、場合によっては大きなキズを残すこともある。
間違いなく、下手の横好きで始めた笛だが、何度も書くように私の趣味として定着しそうだ。今朝のようなときめきがあれば十分だ。この喜びのために趣味はあるのだからそれが感じられれば言うことは無い。
私が、何かを始めてもなかなか上達しないのは、教わろうとしないからだろう。経験的に教わると難しく感じることを知っているからかもしれない。コンピュータも同じことが言える。自分でやれば楽しいのだが、人に聞くと異様に難しく感じる。場合によっては、やる気を失うかもしれないので慎重さを必要とする。この点をいい加減に扱う人が多いのには驚くばかりだ。コンピュータは、繊細に慎重に一人で学ばなければ、上達は難しいのだ。
テニスも型を教えられるのが非常に嫌だった。しかし、我流で覚えたやり方でそこそこ強くなっていた。ただ、精神的にもろかったのである程度まで行けたが、そこを超えることはできなかった。駆け引きくらいは、教わった方が良かったのかもしれない。中2の時、インフルエンザにかかり、市の大会をキャンセルして以来、ケチがついたかのように私は没落して行った。
自分一人でできないことは、確かに悲惨な結末をたどることが多かった。しかし、カメラとかコンピュータとか笛は、一人ででもできる。これが大きかった。ギターで大失敗したら、やめておけば良かったのだが、また笛に手を出した。ここが運の尽きであったかもしれないのだが、逆に道が開けてしまった。自分は、音痴で歌も下手だが、音楽は好きだったので何か自分でやれる楽器が欲しかった。その気持ちがここで満たされるのが良かったのだと思う。
私が最もやりたかった勉強は、この先やれるかどうかはわからない。国家の考え方が変わり、やる気のある人間をどんどん吸い上げようということになれば、私も遅ればせながら大学へ行けることになるかもしれない。国家が本当にやる気になれば、インターネットを使って「頭」を育てることも可能だ。やらないのは、やる気が無いからなのだ。
私も本当は、無能なのかもしれない。高校まではなんとか受験を突破したのだが、大学は無理だった。いろいろと問題はあるのだろうが、多くの人は、それを突破して来ている。私は、それができなかったわけだ。しかし、熱い人間なので自分はやる気があると言いながら、今を生きているだけだ。大学へ行くことになれば、その点をシロクロつけられると思う。問題は、そういう時代を作ることができるかどうかだろう。
私としては、下手の横好きであってもコンピュータに興味を持ち、わからないことをわかるようにしてきたことは、結果として社会に何らかの貢献をしているのではないかと思っている。いつか、ではなくこれまで、そしてこれからもそれは続けるつもりだ。私がコンピュータを理解することで楽しくなれる人々がいる、それでいいのではないかと思っている。
要するに私の生き方は、「下手の横好き」の連続だったと思う。基本は、「熱い」男なので何でも興味を持ってやるのだが、なにせ下手くそだ。運動をやってもギターをやってもゲームをやっても。しかし、そんなことではあきらめない、「しつこい性格」なので何でも続けてしまい、場合によっては大きなキズを残すこともある。
間違いなく、下手の横好きで始めた笛だが、何度も書くように私の趣味として定着しそうだ。今朝のようなときめきがあれば十分だ。この喜びのために趣味はあるのだからそれが感じられれば言うことは無い。
私が、何かを始めてもなかなか上達しないのは、教わろうとしないからだろう。経験的に教わると難しく感じることを知っているからかもしれない。コンピュータも同じことが言える。自分でやれば楽しいのだが、人に聞くと異様に難しく感じる。場合によっては、やる気を失うかもしれないので慎重さを必要とする。この点をいい加減に扱う人が多いのには驚くばかりだ。コンピュータは、繊細に慎重に一人で学ばなければ、上達は難しいのだ。
テニスも型を教えられるのが非常に嫌だった。しかし、我流で覚えたやり方でそこそこ強くなっていた。ただ、精神的にもろかったのである程度まで行けたが、そこを超えることはできなかった。駆け引きくらいは、教わった方が良かったのかもしれない。中2の時、インフルエンザにかかり、市の大会をキャンセルして以来、ケチがついたかのように私は没落して行った。
自分一人でできないことは、確かに悲惨な結末をたどることが多かった。しかし、カメラとかコンピュータとか笛は、一人ででもできる。これが大きかった。ギターで大失敗したら、やめておけば良かったのだが、また笛に手を出した。ここが運の尽きであったかもしれないのだが、逆に道が開けてしまった。自分は、音痴で歌も下手だが、音楽は好きだったので何か自分でやれる楽器が欲しかった。その気持ちがここで満たされるのが良かったのだと思う。
私が最もやりたかった勉強は、この先やれるかどうかはわからない。国家の考え方が変わり、やる気のある人間をどんどん吸い上げようということになれば、私も遅ればせながら大学へ行けることになるかもしれない。国家が本当にやる気になれば、インターネットを使って「頭」を育てることも可能だ。やらないのは、やる気が無いからなのだ。
私も本当は、無能なのかもしれない。高校まではなんとか受験を突破したのだが、大学は無理だった。いろいろと問題はあるのだろうが、多くの人は、それを突破して来ている。私は、それができなかったわけだ。しかし、熱い人間なので自分はやる気があると言いながら、今を生きているだけだ。大学へ行くことになれば、その点をシロクロつけられると思う。問題は、そういう時代を作ることができるかどうかだろう。
私としては、下手の横好きであってもコンピュータに興味を持ち、わからないことをわかるようにしてきたことは、結果として社会に何らかの貢献をしているのではないかと思っている。いつか、ではなくこれまで、そしてこれからもそれは続けるつもりだ。私がコンピュータを理解することで楽しくなれる人々がいる、それでいいのではないかと思っている。
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