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兄貴がケーナや尺八をそつなく吹いているのを見て、昔を思い出してしまった。私は兄貴とは犬猿の仲だったが、何故か常に意識する相手でもあった。小さい頃の写真を見ると、仲の良かったこともあったのだと認識させられる。しかし、実際には私が18の春に兄貴が大学へ行き、離ればなれになるまでずーっとケンカをしたり、口もきかない状態で反目の日々だった。
理由は、私が「生意気だ」ということだったのだが、これは自覚するところでもあった。私が兄貴だったら、私も自分を毛嫌いするだろう。わかっていてもどうにもならないのだった。にもかかわらず、兄貴のやることを何でもパクって育ってきた。兄貴がソフトボールをやれば私もやり、兄貴がボーイスカウトにはいれば私も入った。中学になって兄貴がテニス部へ入れば私もテニス部へ入った。
中学時代になると、兄貴の仲間達とも反目を続けた私だった。アブナイほど強気だった私は、兄貴たちとの試合に負けると「あいつらー汚ねーことすんじゃもん!」と兄貴のパートナーにぶちまけたものだった。兄貴の手前、そのパートナーは、殴りかかってはこなかったが、鬼のような形相で私をにらみつけていたのを思い出す。
兄貴は何でもそつなくこなす人間だった。勉強も運動も音楽も男女交際も何をやっても私などとは比べものにならないほどだった。私は、そういう意味では真逆で何をやってもド下手で、おまけに負けず嫌いだった。
私は、結局、大学へも行けず、この点でも兄貴に差を付けられっぱなしだった。もちろん、就職においてもそうだった。私は、22歳で京都に出てアルバイトを始めたのだった。兄貴はちゃんとした会社へ就職し、結婚もし、子供もいる。私は、自分で仕事を始めはしたのだが、結婚も子供も今や、「いつあきらめるか」という状態だ。
これまでを振り返ってみると私は、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりを繰り返す人生だった。他人に教わるのが嫌いな私は、勉強でもスポーツでも「先輩」に好かれることはなかった。目上の人間を敵視していたと言ってもいいだろう。仕事を始めても同じ事で決してかわいがられることはなかった。
以上のように、何の取り柄も無かった私なのだが一つだけあった。それは、「しつこい性格」だろう。コンピュータは、才能というよりは、しつこく経験を積むことで上達する世界だった。たまたま、思いついた仕事ではあるが、私の性格を生かせる世界だったのだ。まだ、成功とは言えないのだが、これで自信をつけた私は今さらのようにいろいろと手を出している。マイケルの笛もその一つだ。兄貴にくらべれば迫力に欠けるが、持ち前のしつこさで何とか上達したいと思っている。本来ならば、ド下手であきらめるのだが、しつこくやっているうちにおもしろくなり、それなりに趣味として落ち着いてきそうなのだ。
兄貴と対抗して常に負け続けてきた私は、コンプレックスの固まりだったのだと思う。22歳でようやく社会に出たものの、一人で生きていくにはあまりに無防備であった。京都での仕事もほとんどは、うまく行かなかったと言っていい。ただ、それを補うかのようにしつこくリターンマッチを戦ってきた。しつこく続ける、というのは私の恩師の教えでもあった。
理由は、私が「生意気だ」ということだったのだが、これは自覚するところでもあった。私が兄貴だったら、私も自分を毛嫌いするだろう。わかっていてもどうにもならないのだった。にもかかわらず、兄貴のやることを何でもパクって育ってきた。兄貴がソフトボールをやれば私もやり、兄貴がボーイスカウトにはいれば私も入った。中学になって兄貴がテニス部へ入れば私もテニス部へ入った。
中学時代になると、兄貴の仲間達とも反目を続けた私だった。アブナイほど強気だった私は、兄貴たちとの試合に負けると「あいつらー汚ねーことすんじゃもん!」と兄貴のパートナーにぶちまけたものだった。兄貴の手前、そのパートナーは、殴りかかってはこなかったが、鬼のような形相で私をにらみつけていたのを思い出す。
兄貴は何でもそつなくこなす人間だった。勉強も運動も音楽も男女交際も何をやっても私などとは比べものにならないほどだった。私は、そういう意味では真逆で何をやってもド下手で、おまけに負けず嫌いだった。
私は、結局、大学へも行けず、この点でも兄貴に差を付けられっぱなしだった。もちろん、就職においてもそうだった。私は、22歳で京都に出てアルバイトを始めたのだった。兄貴はちゃんとした会社へ就職し、結婚もし、子供もいる。私は、自分で仕事を始めはしたのだが、結婚も子供も今や、「いつあきらめるか」という状態だ。
これまでを振り返ってみると私は、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりを繰り返す人生だった。他人に教わるのが嫌いな私は、勉強でもスポーツでも「先輩」に好かれることはなかった。目上の人間を敵視していたと言ってもいいだろう。仕事を始めても同じ事で決してかわいがられることはなかった。
以上のように、何の取り柄も無かった私なのだが一つだけあった。それは、「しつこい性格」だろう。コンピュータは、才能というよりは、しつこく経験を積むことで上達する世界だった。たまたま、思いついた仕事ではあるが、私の性格を生かせる世界だったのだ。まだ、成功とは言えないのだが、これで自信をつけた私は今さらのようにいろいろと手を出している。マイケルの笛もその一つだ。兄貴にくらべれば迫力に欠けるが、持ち前のしつこさで何とか上達したいと思っている。本来ならば、ド下手であきらめるのだが、しつこくやっているうちにおもしろくなり、それなりに趣味として落ち着いてきそうなのだ。
兄貴と対抗して常に負け続けてきた私は、コンプレックスの固まりだったのだと思う。22歳でようやく社会に出たものの、一人で生きていくにはあまりに無防備であった。京都での仕事もほとんどは、うまく行かなかったと言っていい。ただ、それを補うかのようにしつこくリターンマッチを戦ってきた。しつこく続ける、というのは私の恩師の教えでもあった。
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