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1月前に注文した笛がもう届いた。今回は1ヶ月という超スピードだった。こんなことは珍しいのではないかと思う。在庫一掃で送ってきたのかと思ったが、どれも丁寧な作りだった。包装も1本1本包んでいて皮のひもで結んである。小さな笛には、マイケルの直筆で絵とサインと「Thank You」の文字があった。これは、うれしい「贈り物」だった。
バックパッキングフルート
上の絵入り、EKey
GKey
バード部分の拡大
リトル・フルート
マイケルの絵
バックパッキングフルートというのは、外に連れ出すため用だと読んだので購入したのだった。安いのだが、作りはかなりいいと思う。これは私のものだと思うので吹いてみた。アナサジフルートやホピフルートと違い、あまり小さい音では吹けないので練習が難しそうだ。
その他のフルートは、早晩、私の元から旅立つことになるだろう。できれば、絵入りのきれいなやつを吹きたかったのだが、また来年でも注文したい。アナサジフルートやホピフルートなどは、もう1本ずつ持っていてもいいと思う。
おもしろいことに尺八が吹きたいと思う時とアナサジフルート、ホピフルートが吹きたいと思う時がある。今、尺八の藤巻がちょっとほころびたので、尺八が面倒になってきている。音はいいのだが、なかなか管理が難しい。下手をすると割れてしまうし。その点、マイケルの笛は強い。
さらに南米の楽器、ケーナも加わったのでこれらを順に吹いて行けば、相当に持つような気がする。飽きることが無いという意味でだ。それぞれに得意とする音、雰囲気が違うのでケンカをすることがないからいい。
昨年末におもちゃのサンポーニャをつかまされた時には今日のこの状態を想像することはできなかった。やはり、本物にこだわって良かったと思う。
少し前に買っていて放置していた本を少し読んだ。『イーグルに訊け―インディアンに学ぶ人生哲学』(ソフトバンククリエイティブ )という本だ。「もしかしたら、パニック症候群の人たちは、まともな神経の持ち主なのかもしれない」という記述が出てきて、ギョッとしたのだ。東京のようにコンクリートで固められた場所で暮らしていると、閉塞感を感じるのが当たり前だと著者は言う。大地の鼓動を感じられないからだ。
私は、田舎で育ったのだが、小3の時、転校した小学校は同じ田舎でも少し都会的(木造ではなかった!)で違和感を感じた。以来、40年以上もパニック障害に悩まされている。ずっと自分の方がおかしい、異常体質だと思ってきたのだが、ひょっとすると私の感覚の方が断然「正常」だったのかもしれない。
事実、「大地の鼓動」を感じている時には、少しもパニックにはなっていない。ボーイスカウトでキャンプに行った時、家族で山に行った時、中学時代、テニス部で暴れていた時代がそうだ。ボーイスカウト時代は、田舎の池のそばとか神社の境内とかで野営をやっていたのを覚えている。「宵の明星」や「明けの明星」を現実に見たのもこの頃だった。大地の音、虫の声、水の流れる音、触れるものすべてが新鮮だった。
マザコンの私がよく小学校時代にキャンプなど行ったものだと思うが、兄貴が一緒だったことを思い出した。ほとんど常に兄貴が一緒だったので家族でキャンプに行くような感覚だったのだろうと思う。自分たちで火をおこして炊事をしたりしたのが異様に楽しかった。
私にとって、マイケルの笛は大地の鼓動を感じるという行為を象徴しているものなのだと思う。笛だけ出すと唐突なのだが、その裏には自分で大地を感じるということが隠されている。笛だけでも十分に癒されてしまうことを実感してもらえると思うが、これをきかっけにキャンプをしてみるとか、山を歩いてみるとかしてみればなおいい。私もはるか昔を思い出し、テントを張ってみたいと思うようになった。
太古の昔は、うつやパニックは無かったのだろう。そういう暇も無かったかもしれない。何をやっても気分が晴れないという人は、要するに自然を感じることをやるというのが解決のヒントかもしれない。キャンプ場などでテントを張っても気分が出ないかもしれないが、物騒な時代なのでそれも仕方ないことだろう。夜露が降りてテントが濡れるような場所で暮らしてみる経験は、大きく気分を変えてくれることだろう。
バックパッキングフルートというのは、外に連れ出すため用だと読んだので購入したのだった。安いのだが、作りはかなりいいと思う。これは私のものだと思うので吹いてみた。アナサジフルートやホピフルートと違い、あまり小さい音では吹けないので練習が難しそうだ。
その他のフルートは、早晩、私の元から旅立つことになるだろう。できれば、絵入りのきれいなやつを吹きたかったのだが、また来年でも注文したい。アナサジフルートやホピフルートなどは、もう1本ずつ持っていてもいいと思う。
おもしろいことに尺八が吹きたいと思う時とアナサジフルート、ホピフルートが吹きたいと思う時がある。今、尺八の藤巻がちょっとほころびたので、尺八が面倒になってきている。音はいいのだが、なかなか管理が難しい。下手をすると割れてしまうし。その点、マイケルの笛は強い。
さらに南米の楽器、ケーナも加わったのでこれらを順に吹いて行けば、相当に持つような気がする。飽きることが無いという意味でだ。それぞれに得意とする音、雰囲気が違うのでケンカをすることがないからいい。
昨年末におもちゃのサンポーニャをつかまされた時には今日のこの状態を想像することはできなかった。やはり、本物にこだわって良かったと思う。
少し前に買っていて放置していた本を少し読んだ。『イーグルに訊け―インディアンに学ぶ人生哲学』(ソフトバンククリエイティブ )という本だ。「もしかしたら、パニック症候群の人たちは、まともな神経の持ち主なのかもしれない」という記述が出てきて、ギョッとしたのだ。東京のようにコンクリートで固められた場所で暮らしていると、閉塞感を感じるのが当たり前だと著者は言う。大地の鼓動を感じられないからだ。
私は、田舎で育ったのだが、小3の時、転校した小学校は同じ田舎でも少し都会的(木造ではなかった!)で違和感を感じた。以来、40年以上もパニック障害に悩まされている。ずっと自分の方がおかしい、異常体質だと思ってきたのだが、ひょっとすると私の感覚の方が断然「正常」だったのかもしれない。
事実、「大地の鼓動」を感じている時には、少しもパニックにはなっていない。ボーイスカウトでキャンプに行った時、家族で山に行った時、中学時代、テニス部で暴れていた時代がそうだ。ボーイスカウト時代は、田舎の池のそばとか神社の境内とかで野営をやっていたのを覚えている。「宵の明星」や「明けの明星」を現実に見たのもこの頃だった。大地の音、虫の声、水の流れる音、触れるものすべてが新鮮だった。
マザコンの私がよく小学校時代にキャンプなど行ったものだと思うが、兄貴が一緒だったことを思い出した。ほとんど常に兄貴が一緒だったので家族でキャンプに行くような感覚だったのだろうと思う。自分たちで火をおこして炊事をしたりしたのが異様に楽しかった。
私にとって、マイケルの笛は大地の鼓動を感じるという行為を象徴しているものなのだと思う。笛だけ出すと唐突なのだが、その裏には自分で大地を感じるということが隠されている。笛だけでも十分に癒されてしまうことを実感してもらえると思うが、これをきかっけにキャンプをしてみるとか、山を歩いてみるとかしてみればなおいい。私もはるか昔を思い出し、テントを張ってみたいと思うようになった。
太古の昔は、うつやパニックは無かったのだろう。そういう暇も無かったかもしれない。何をやっても気分が晴れないという人は、要するに自然を感じることをやるというのが解決のヒントかもしれない。キャンプ場などでテントを張っても気分が出ないかもしれないが、物騒な時代なのでそれも仕方ないことだろう。夜露が降りてテントが濡れるような場所で暮らしてみる経験は、大きく気分を変えてくれることだろう。
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