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「お彼岸」と称して、岡山に戻っていた。今年は、戻る予定になかったのだが、兄貴が帰るというので私も合わせて帰ることにしたのだった。2日しか滞在しないのに数万もかけるのが損か得かということだろうが、私は、「得だ」という考え方だ。いい気分転換になるからだ。
庭の楓
最新のケーナをはじめ、いっぱい笛を持って帰ったのだが、私の出番はあまりなかった。兄貴は、会社の催しとかで、篠笛をやった経験があるのだという。ケーナも尺八もそれなりに吹けるのだ。さすがに、マイケルの笛は無理だったが、私も練習不足で音が裏返っていてお手本を示せなかった。
兄貴と私の違いは、その肺活量だろう。明らかに馬力が違う。私の吹く尺八は、「へ」のようだ。ただし、音のキレには多少の自負があった。これは私の方が長くやっているというだけのことかもしれない。興味を示していたのでプラスチック製の尺八を進呈した。これで、尺八人口が1増えたかもしれない。
さすがに、面と向かっては話すこともあまり無く少々気まずい思いもした。もともと犬猿の仲だった私たちだった。今は、仕事のことで話を聞いてもらったりしているくらいだ。兄貴の会社は、けっこう進歩的で、職場のパソコンを入れ替えるのだと言っていた。企業ユーザーは、Vistaを使わないのかと思っていたのだが、当たり前のように5年に1度は切り替えるらしい。しかも、ThinkPadのけっこういいやつを導入するという。レノボにはおいしい話だろうと思った。
最近、兄貴の仕事場では昼間に音楽を流しているのだという。癒しの効果を考えているそうだ。自分の好みでやっていたら非難囂々だったらしい。音楽そのものはいいのだが、個人の癒し体験と連動しているものが、「癒し」と感じるので皆一緒にはならないわけだ。マイケルの『RAIN BIRD』も進呈したのだが、これをそのまま流すということをしなければいいのだが。私と同じように兄貴も気に入ったようだが、恐いと感じる女性もいるようなのだ。このあたりが難しいのだ、音楽は。
帰りに琵琶湖周辺の田んぼをボヤーと見ながら帰ったのだが、既に刈り取っている田んぼもあった。既に秋の気配だ。ボーッとするのが好きな私は、帰りに何も考えず風景を見るのが楽しみなのだ。今回のようにわりと空いていて隣に誰もいないことが非常にうれしい。
できれば、兄貴もこんな風に年に何回か帰省するようになって欲しいのだが。年に数回でも戻っていれば雰囲気というものがわかるからだ。私が家を継ぐわけではないので、本当ならば私が頻繁に帰っても意味が無いのだ。私は、使命感というより、親友やクラスメートと会いたいので帰っている。今回は誰にも会えなかったのだが、基本は誰かと会うのが目的だ。
岡山の行く末を注目しているし、岡山で起業できればうれしいことだ。秋になっても岡山は厳しい様子だった。景気は良くなりそうもない。前に書いたように、新しい世代を育てようという気概も無いからだ。ここでソフト開発などしていたのがウソのように思える。あの頃は、本当にこのままずっとこの地で仕事を続けることができるのだろうか、と思って心配だった。残念なことにその心配は的中してしまった。
岡山の零細企業には身の丈の合ったシステムが必要だったと思う。しめて1千万なりといったドンブリ勘定のシステム導入は、やがて行き詰まるのも目に見えていたかもしれない。今は、元同僚などが隙間に潜り込んでおいしい商売をやっているかもしれない。10数年前の私にはそのノウハウも無く東京に出稼ぎに出る他なかったのだった。
特に仕事があるわけでもないのだが、今後、岡山には毎月のように帰ってもいいと思っている。実家の片付けもあるし、畑の手伝いもある。私も行き帰りにぼやーとできるので嫌いではないから。体を移動させることは疲れるというマイナスもあるのだが、現実に気分転換にもなる。私としては、こちらの方をプラスに評価して行きたいと思う。
最新のケーナをはじめ、いっぱい笛を持って帰ったのだが、私の出番はあまりなかった。兄貴は、会社の催しとかで、篠笛をやった経験があるのだという。ケーナも尺八もそれなりに吹けるのだ。さすがに、マイケルの笛は無理だったが、私も練習不足で音が裏返っていてお手本を示せなかった。
兄貴と私の違いは、その肺活量だろう。明らかに馬力が違う。私の吹く尺八は、「へ」のようだ。ただし、音のキレには多少の自負があった。これは私の方が長くやっているというだけのことかもしれない。興味を示していたのでプラスチック製の尺八を進呈した。これで、尺八人口が1増えたかもしれない。
さすがに、面と向かっては話すこともあまり無く少々気まずい思いもした。もともと犬猿の仲だった私たちだった。今は、仕事のことで話を聞いてもらったりしているくらいだ。兄貴の会社は、けっこう進歩的で、職場のパソコンを入れ替えるのだと言っていた。企業ユーザーは、Vistaを使わないのかと思っていたのだが、当たり前のように5年に1度は切り替えるらしい。しかも、ThinkPadのけっこういいやつを導入するという。レノボにはおいしい話だろうと思った。
最近、兄貴の仕事場では昼間に音楽を流しているのだという。癒しの効果を考えているそうだ。自分の好みでやっていたら非難囂々だったらしい。音楽そのものはいいのだが、個人の癒し体験と連動しているものが、「癒し」と感じるので皆一緒にはならないわけだ。マイケルの『RAIN BIRD』も進呈したのだが、これをそのまま流すということをしなければいいのだが。私と同じように兄貴も気に入ったようだが、恐いと感じる女性もいるようなのだ。このあたりが難しいのだ、音楽は。
帰りに琵琶湖周辺の田んぼをボヤーと見ながら帰ったのだが、既に刈り取っている田んぼもあった。既に秋の気配だ。ボーッとするのが好きな私は、帰りに何も考えず風景を見るのが楽しみなのだ。今回のようにわりと空いていて隣に誰もいないことが非常にうれしい。
できれば、兄貴もこんな風に年に何回か帰省するようになって欲しいのだが。年に数回でも戻っていれば雰囲気というものがわかるからだ。私が家を継ぐわけではないので、本当ならば私が頻繁に帰っても意味が無いのだ。私は、使命感というより、親友やクラスメートと会いたいので帰っている。今回は誰にも会えなかったのだが、基本は誰かと会うのが目的だ。
岡山の行く末を注目しているし、岡山で起業できればうれしいことだ。秋になっても岡山は厳しい様子だった。景気は良くなりそうもない。前に書いたように、新しい世代を育てようという気概も無いからだ。ここでソフト開発などしていたのがウソのように思える。あの頃は、本当にこのままずっとこの地で仕事を続けることができるのだろうか、と思って心配だった。残念なことにその心配は的中してしまった。
岡山の零細企業には身の丈の合ったシステムが必要だったと思う。しめて1千万なりといったドンブリ勘定のシステム導入は、やがて行き詰まるのも目に見えていたかもしれない。今は、元同僚などが隙間に潜り込んでおいしい商売をやっているかもしれない。10数年前の私にはそのノウハウも無く東京に出稼ぎに出る他なかったのだった。
特に仕事があるわけでもないのだが、今後、岡山には毎月のように帰ってもいいと思っている。実家の片付けもあるし、畑の手伝いもある。私も行き帰りにぼやーとできるので嫌いではないから。体を移動させることは疲れるというマイナスもあるのだが、現実に気分転換にもなる。私としては、こちらの方をプラスに評価して行きたいと思う。
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