×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今年後半は、ゴミ屋敷の大掃除を目指していることは前に書いた。ゴミ屋敷を造ってしまう最大の原因は、「物欲」だと思う。読む時間が無いのに買った本、やる時間が無いのに買ったゲーム、見る時間が無いのに購入したDVD。そして、何台ものカメラ。現在では笛の数々。
カメラでも笛でも物そのものが欲しいというわけではない。要するに「腕」が欲しいだけなのだ。それには、まず機材が必要ということでそろえただけのことだ。それなりの意味はあったのだが、あまりに量が増えてくると収拾がつかなくなる。それが、今のゴミ屋敷の起源だ。
一方で物欲は、私の生きる支えでもあった。仕事に疲れた時、やる気を出させてくれるカンフル剤の役目を果たした。常にやる気満々でいるために、物欲の威力を利用したのだった。私がよく周囲の人に、調子が悪くなったらものを買うように、とけしかけるのも同じ理由だ。
笛を買って行く過程では、知らなければならないこともあった。これは、お金をかけることが必ずしも物欲につながらなかった。海外の民族楽器では、「おみやげ品」を「楽器」と称して堂々と売っている場合もあるからだ。1万円以上してもバッタもんのこともある。自分で「本物」と思えるものに出会うまで、相当な月謝を必要とする世界なのだということを知らされた。
ただ、笛については、ここらで一応の区切りはついたような気がする。明日にも届く予定のネイティブ・アメリカンフートは、今年最後の買い物となると思う。今回は、1月という国内通販並の速さだったが、さらに注文すると年内は無理そうな気がする。特に根拠は無いのだが。
笛は、悩みを持つ人が始めることが多い楽器なのかもしれない。私もそうだった。フォルクローレを聴いていて、自分も演奏してみたくなったのだった。だから、悩みそうな人、今がおもしろくない人、現在、悩みを抱えている人に吹いて欲しいと思う。唐突に、「笛」を差し出されても、普通の人はとまどうばかりだろう。しかし、ひとたびそこに踏み入ることができたならば、違った感想を抱くことだろう。
物欲の行使の結果、思いもよらない癒しの道具にたどり着くこともある、私にとって笛は、そんな存在だった。今は、ケーナで一苦労しているのだが、さらにサンポーニャも取り入れて楽器に対する物欲は頂点に達することだろうと思う。その時、新たな癒しの次元に到達できていればうれしいのだが。
カメラでも笛でも物そのものが欲しいというわけではない。要するに「腕」が欲しいだけなのだ。それには、まず機材が必要ということでそろえただけのことだ。それなりの意味はあったのだが、あまりに量が増えてくると収拾がつかなくなる。それが、今のゴミ屋敷の起源だ。
一方で物欲は、私の生きる支えでもあった。仕事に疲れた時、やる気を出させてくれるカンフル剤の役目を果たした。常にやる気満々でいるために、物欲の威力を利用したのだった。私がよく周囲の人に、調子が悪くなったらものを買うように、とけしかけるのも同じ理由だ。
笛を買って行く過程では、知らなければならないこともあった。これは、お金をかけることが必ずしも物欲につながらなかった。海外の民族楽器では、「おみやげ品」を「楽器」と称して堂々と売っている場合もあるからだ。1万円以上してもバッタもんのこともある。自分で「本物」と思えるものに出会うまで、相当な月謝を必要とする世界なのだということを知らされた。
ただ、笛については、ここらで一応の区切りはついたような気がする。明日にも届く予定のネイティブ・アメリカンフートは、今年最後の買い物となると思う。今回は、1月という国内通販並の速さだったが、さらに注文すると年内は無理そうな気がする。特に根拠は無いのだが。
笛は、悩みを持つ人が始めることが多い楽器なのかもしれない。私もそうだった。フォルクローレを聴いていて、自分も演奏してみたくなったのだった。だから、悩みそうな人、今がおもしろくない人、現在、悩みを抱えている人に吹いて欲しいと思う。唐突に、「笛」を差し出されても、普通の人はとまどうばかりだろう。しかし、ひとたびそこに踏み入ることができたならば、違った感想を抱くことだろう。
物欲の行使の結果、思いもよらない癒しの道具にたどり着くこともある、私にとって笛は、そんな存在だった。今は、ケーナで一苦労しているのだが、さらにサンポーニャも取り入れて楽器に対する物欲は頂点に達することだろうと思う。その時、新たな癒しの次元に到達できていればうれしいのだが。
PR
Comment