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夏にクラスメートを撮った写真をプリントしようと思ったのだが、私の部屋がゴミ屋敷と化しているのでプリンターが見つからない。夕べからイライラしていたのだが、今朝ようやく見つかった。1月ぶりにようやく印刷ができることとなった。その代わり、ゴミの山ができてしまい、私が寝る空間が無くなってしまった。私が片付けをしない理由だ。しばらく、別の部屋で布団無しで眠ることになる。
ゴミ屋敷になる原理は、部屋が狭いのにものをたくさん買うからだ。本が最も多いと思うが、発掘してみるとDVDもけっこうある。どれも私には必要なものなのだが、これまでまったく触っていないことを思うと、必要ではないのかもしれない。なんとかしなければならないと思う。今回、山を崩したので片付けを続けざるを得ない。いいことかもしれない。そうでなくとも余裕が無い私としては、イライラがつのるばかりだ。
ただ、これはあくまでもバランスの問題だ。部屋が散らかるのでものを買わないという選択もあると思うのだが、それはできなかった。仕事のせいでもあるのだが、いつもイライラするので気分を変えるためにいろいろ買った結果なのだ。しかし、どれも中途半端に終わっているのには理由があった。ほんの2~3年前だと思うのだが、私のリーダーシップの無さからくる全社的(数人しかいないのだが。)な体調不良の結果だ。私を含む皆が調子悪くなったのだった。
私は、いろいろおもちゃを買い、調子よくやっていたのかもしれないが、その他の人はきつかったに違いない。しわ寄せは、まずお袋に現れたのだった。初の入院を経験したりして驚いたものだった。そして、私がパニックでダウンした。その結果、おもちゃの趣味もDVDの趣味もゲームの趣味も中断して、ピンチに備えたのだった。
仕事のやり方がそんなに異常なものだと実に最近まで自覚が無かった。最近の懺悔的な記事は、その悔悟の念からだと思っている。私が、同じ質問に答えたくないように、他の人も、面白味を感じられない仕事にばかり集中できないのだった。どうしたって変化が必要だったのだ。今ならできるのかと言えば、大したことはできない。しかし、仕事が嫌になるようなことはないようにはできると思っている。
ただ、それは個人の努力によることになると思う。結局の所、おもしろくない仕事(作業)そのものをおもしろくすることは無理だ。そうではなく、時間を区切って使うことである程度は可能なことがわかっている。朝から晩まで同じ事をやるというのは最悪だ。自分の部屋がゴミ屋敷になろうとも、興味を広げていろんなことに手を出す他ないのだ。これをやらないと追い込まれることになる。
子供じみたことでもいい、何でもいいので自分がホッとすることを1つでも多く見つけるか、開発することだと思う。今の私でいう「笛」のようなものを。現在、マイケルの笛、尺八、ケーナ、鼻笛、オカリナとあるのだが、惚れ込んでいるのは尺八だ。楽器としてよくできているというのがその理由だ。マイケルの笛やケーナは、その反対の意味ですばらしいと思っている。おおざっぱなのによく鳴るのだ。鼻笛、オカリナはまだまだ大したことはできていないのだが、非常に興味深い楽器だと思っている。うまくなりたいので少しずつ練習するのが楽しいのだ。
大切なことは、自分で可能性の芽をつまないことだ。すべてを何かのきっかけと思うことだ。私の恩師の言葉で今も感化され続けているのだが、「いらんことをやりんさいよ。いらんことが結局、すべて役に立つのですから。」に尽きる。コンピュータをやるのに、「笛」を吹いても何ら矛盾しない気持ちを持つことだ。やってみれば、実際にスカッとするのだからやめられないのだ。私が自分の趣味を周りの人に押しつける所以だ。それさえも、きっかけになるかもしれないのだ。
年末までにゴミ屋敷を解決したいと思うようになっている。土日しか実質時間は無いので、そんなに時間は無いことがわかる。部屋に空間を作り、常に天体観測ができるよう望遠鏡がスクランブル態勢にあるというのが理想だ。しかし、年末までにさらに興味を広げる方向に走ると、さらにゴミ屋敷が止まらない可能性もある。仕事も忙しくなるのでその可能性も否定できないのだ。ちょっと頭が痛くなる問題だ。
ゴミ屋敷になる原理は、部屋が狭いのにものをたくさん買うからだ。本が最も多いと思うが、発掘してみるとDVDもけっこうある。どれも私には必要なものなのだが、これまでまったく触っていないことを思うと、必要ではないのかもしれない。なんとかしなければならないと思う。今回、山を崩したので片付けを続けざるを得ない。いいことかもしれない。そうでなくとも余裕が無い私としては、イライラがつのるばかりだ。
ただ、これはあくまでもバランスの問題だ。部屋が散らかるのでものを買わないという選択もあると思うのだが、それはできなかった。仕事のせいでもあるのだが、いつもイライラするので気分を変えるためにいろいろ買った結果なのだ。しかし、どれも中途半端に終わっているのには理由があった。ほんの2~3年前だと思うのだが、私のリーダーシップの無さからくる全社的(数人しかいないのだが。)な体調不良の結果だ。私を含む皆が調子悪くなったのだった。
私は、いろいろおもちゃを買い、調子よくやっていたのかもしれないが、その他の人はきつかったに違いない。しわ寄せは、まずお袋に現れたのだった。初の入院を経験したりして驚いたものだった。そして、私がパニックでダウンした。その結果、おもちゃの趣味もDVDの趣味もゲームの趣味も中断して、ピンチに備えたのだった。
仕事のやり方がそんなに異常なものだと実に最近まで自覚が無かった。最近の懺悔的な記事は、その悔悟の念からだと思っている。私が、同じ質問に答えたくないように、他の人も、面白味を感じられない仕事にばかり集中できないのだった。どうしたって変化が必要だったのだ。今ならできるのかと言えば、大したことはできない。しかし、仕事が嫌になるようなことはないようにはできると思っている。
ただ、それは個人の努力によることになると思う。結局の所、おもしろくない仕事(作業)そのものをおもしろくすることは無理だ。そうではなく、時間を区切って使うことである程度は可能なことがわかっている。朝から晩まで同じ事をやるというのは最悪だ。自分の部屋がゴミ屋敷になろうとも、興味を広げていろんなことに手を出す他ないのだ。これをやらないと追い込まれることになる。
子供じみたことでもいい、何でもいいので自分がホッとすることを1つでも多く見つけるか、開発することだと思う。今の私でいう「笛」のようなものを。現在、マイケルの笛、尺八、ケーナ、鼻笛、オカリナとあるのだが、惚れ込んでいるのは尺八だ。楽器としてよくできているというのがその理由だ。マイケルの笛やケーナは、その反対の意味ですばらしいと思っている。おおざっぱなのによく鳴るのだ。鼻笛、オカリナはまだまだ大したことはできていないのだが、非常に興味深い楽器だと思っている。うまくなりたいので少しずつ練習するのが楽しいのだ。
大切なことは、自分で可能性の芽をつまないことだ。すべてを何かのきっかけと思うことだ。私の恩師の言葉で今も感化され続けているのだが、「いらんことをやりんさいよ。いらんことが結局、すべて役に立つのですから。」に尽きる。コンピュータをやるのに、「笛」を吹いても何ら矛盾しない気持ちを持つことだ。やってみれば、実際にスカッとするのだからやめられないのだ。私が自分の趣味を周りの人に押しつける所以だ。それさえも、きっかけになるかもしれないのだ。
年末までにゴミ屋敷を解決したいと思うようになっている。土日しか実質時間は無いので、そんなに時間は無いことがわかる。部屋に空間を作り、常に天体観測ができるよう望遠鏡がスクランブル態勢にあるというのが理想だ。しかし、年末までにさらに興味を広げる方向に走ると、さらにゴミ屋敷が止まらない可能性もある。仕事も忙しくなるのでその可能性も否定できないのだ。ちょっと頭が痛くなる問題だ。
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