×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
この夏は、熱疲労で吐き気を催したことは1度だけだった。体調は、そこそこ良かったということなのだろう。昼食がずっと自然食だったということも幸いしたのだろう。そして、仕事場の雰囲気が少し良くなったこともあるかもしれない。
これは、特に何かが変わったということではない。私の会社では、パートナーがいなくなったということが大きい変化だったのだが。私にはパートナーがあの時、訴えていたことがよくわかっていたので、引き留めることもできなかった。何とか手はあるのではないかと思いつつ、当時は思いつかなかった。
今はどうかというと、ある。やはり、問題は私にあると思える。私がもう少し修行を積み、人が嫌がる仕事をも積極的にやるようにすることだ。パートナーを含む女性にやってもらうべき仕事は多い。彼女たちに一番やって欲しい仕事は、「わかりやすさ」の追求だ。複雑な本をわかりやすく説明できる方法を常に探して欲しいと思う。書籍のデジタル化で最も大事なことは、わかりやすさだからだ。
データベースやプログラミングは、お好みに応じて勉強してもらうとして、まずは、わかりやすさを極めることだ。年内に立ち上がるプロジェクトでは、ぜひパートナーにも加わってもらいたいのだが、タイミングとか条件とかが整うかどうかだ。もちろん、私に迷いは無い。これまでの、「しんどさ」は、私のせいだと思う。ここを改善できれば、私が原因の問題は無くなると思っている。
今日、苦しい仕事をしていてふと思ったのだ。パートナーがいたら、当然、やってもらっていたと思う。まじめなパートナーは、不満を言わずやってくれたと思うが、そのダメージは大きいものだったと思う。仕事は楽しくあるべきだと日頃よく言う私なのに、おもしろくない仕事をパートナーにやらせてしまう矛盾。これが、これまでの失敗の最大のものではないかと悟った。自分が面倒なことをいつも、他人にやってもらうようであれば、確かに仕事場の雰囲気は悪くなるだけだ。
やはり、経験者として、私は私よりも長く生きる人、経験の浅い人に必要な知識や経験を伝授することに専念することを考えた方がいいと思う。私の仕事は、それと、「嫌な仕事」をいかにやるかを考えることだ。もちろん、自分でできることはするし、外注できることは外注することにする。楽しい仕事場の雰囲気を作るのも私の大きな仕事の一つだ。これが無かったから、うまく行かなかったのだと今では思っている。
あと、仕事というものをどうとらえるかという問題も大きい。今の私は、何のために仕事をしているのかというと、特に深い考えは無いように感じる。目の前に仕事があるからとでも言うべきだろうか。といって惰性でもない。目標は、今よりも高い所にあって、書籍のデジタル化ということを大々的に推進して行きたいと思っている。
問題は、目標がハッキリしているにもかかわらず、この仕事のしんどさが共有できていないことにある。それは、仕事の評価につながる。もっとはっきり言うと、もらうお金のことだ。私たちが感じるしんどさに見合う収入は、未だもらっていないということだ。さらに、そのしんどさを分散して実行する体制もできていないことだ。
お金を出す側には、そんなに儲かるアテも無いものに出せるか、ということのようだが、それはメーカーが新製品を出すことと同じと考えてもらう他ない。出版社でも、儲かるかどうかわからないのだが、毎月、本を出している。出さなければ、そもそも「売れない」わけだ。デジタルでも同じで、これまでは売れないと思われていたものでも「形」にしてみれば、「売れた」ということもあり得ると私は思っている。
ただ、そういう状況に移行するためにもこの仕事にあたるスタッフの充実、理念の共有、仕事のやり方の検討・改善が急務だと思っている。この1年に限っても私の頭の中では、いろんな考えが渦巻いている。「どうすれば、皆がおもしろおかしく仕事ができるようになるのか。」についての自問自答だ。
私自身について言えば、仕事そのものから離れ、毎日のように興味ある本を漁っては買い、時折読むことで曲がりなりにも仕事への興味を失わないようにしている。また、趣味を積極的に増やして行き、今でもいろんなことをたくらんでいる。今年に入って、「笛」の趣味は大きく前進したが、笛を買うためにも仕事をがんばろう、ということにつながるのだ。
また、カメラも引き続き興味の対象だが、新製品を買うためにも仕事をがんばろうということになる。趣味のために仕事をがんばるという傾向を強くしたこの1年であったと思う。仕事そのものにああでもない、こうでもないと思い悩んでいたら、とてももたなかったと思う。
そろそろ私がやらないといけないと思っていることは、「松明の引き継ぎ」だ。パートナーが私のことを心底嫌い、仕事などゴメンだと考えるならば、私もこれ以上は何も言えないと思う。「仕事」という言葉を思い浮かべた時、今までやってきたことをもう少しどうかしたい、こうすれば良かったという思いがあるのであれば、ぜひ、復帰してもらいたいと思っている。
仕事は、やる気のある人のためにあるものだと思う。少し前に会ったパートナーはやる気に満ちていたように思う。ほんの少し、不安な所があったようだが、私が余計なことを言ったためにおじゃんになったことは既に書いた。私の発言にも「ズレ」があったと指摘されてしまった。
仕事は、目の前にある。しかし、それをいかに受け入れて仕上げるかを誤ると自分自身がダメージを受けてしまう。今までは、それがなぜなのかわからなかった。今では、それがほぼわかっていると思っている。冒頭にも書いたように、そのほとんどの原因は、私にあった。(と思う。)楽しむために仕事をしてみる、変わったかどうか自分の目で確認してみる、それでいいのではないだろうか。
これは、特に何かが変わったということではない。私の会社では、パートナーがいなくなったということが大きい変化だったのだが。私にはパートナーがあの時、訴えていたことがよくわかっていたので、引き留めることもできなかった。何とか手はあるのではないかと思いつつ、当時は思いつかなかった。
今はどうかというと、ある。やはり、問題は私にあると思える。私がもう少し修行を積み、人が嫌がる仕事をも積極的にやるようにすることだ。パートナーを含む女性にやってもらうべき仕事は多い。彼女たちに一番やって欲しい仕事は、「わかりやすさ」の追求だ。複雑な本をわかりやすく説明できる方法を常に探して欲しいと思う。書籍のデジタル化で最も大事なことは、わかりやすさだからだ。
データベースやプログラミングは、お好みに応じて勉強してもらうとして、まずは、わかりやすさを極めることだ。年内に立ち上がるプロジェクトでは、ぜひパートナーにも加わってもらいたいのだが、タイミングとか条件とかが整うかどうかだ。もちろん、私に迷いは無い。これまでの、「しんどさ」は、私のせいだと思う。ここを改善できれば、私が原因の問題は無くなると思っている。
今日、苦しい仕事をしていてふと思ったのだ。パートナーがいたら、当然、やってもらっていたと思う。まじめなパートナーは、不満を言わずやってくれたと思うが、そのダメージは大きいものだったと思う。仕事は楽しくあるべきだと日頃よく言う私なのに、おもしろくない仕事をパートナーにやらせてしまう矛盾。これが、これまでの失敗の最大のものではないかと悟った。自分が面倒なことをいつも、他人にやってもらうようであれば、確かに仕事場の雰囲気は悪くなるだけだ。
やはり、経験者として、私は私よりも長く生きる人、経験の浅い人に必要な知識や経験を伝授することに専念することを考えた方がいいと思う。私の仕事は、それと、「嫌な仕事」をいかにやるかを考えることだ。もちろん、自分でできることはするし、外注できることは外注することにする。楽しい仕事場の雰囲気を作るのも私の大きな仕事の一つだ。これが無かったから、うまく行かなかったのだと今では思っている。
あと、仕事というものをどうとらえるかという問題も大きい。今の私は、何のために仕事をしているのかというと、特に深い考えは無いように感じる。目の前に仕事があるからとでも言うべきだろうか。といって惰性でもない。目標は、今よりも高い所にあって、書籍のデジタル化ということを大々的に推進して行きたいと思っている。
問題は、目標がハッキリしているにもかかわらず、この仕事のしんどさが共有できていないことにある。それは、仕事の評価につながる。もっとはっきり言うと、もらうお金のことだ。私たちが感じるしんどさに見合う収入は、未だもらっていないということだ。さらに、そのしんどさを分散して実行する体制もできていないことだ。
お金を出す側には、そんなに儲かるアテも無いものに出せるか、ということのようだが、それはメーカーが新製品を出すことと同じと考えてもらう他ない。出版社でも、儲かるかどうかわからないのだが、毎月、本を出している。出さなければ、そもそも「売れない」わけだ。デジタルでも同じで、これまでは売れないと思われていたものでも「形」にしてみれば、「売れた」ということもあり得ると私は思っている。
ただ、そういう状況に移行するためにもこの仕事にあたるスタッフの充実、理念の共有、仕事のやり方の検討・改善が急務だと思っている。この1年に限っても私の頭の中では、いろんな考えが渦巻いている。「どうすれば、皆がおもしろおかしく仕事ができるようになるのか。」についての自問自答だ。
私自身について言えば、仕事そのものから離れ、毎日のように興味ある本を漁っては買い、時折読むことで曲がりなりにも仕事への興味を失わないようにしている。また、趣味を積極的に増やして行き、今でもいろんなことをたくらんでいる。今年に入って、「笛」の趣味は大きく前進したが、笛を買うためにも仕事をがんばろう、ということにつながるのだ。
また、カメラも引き続き興味の対象だが、新製品を買うためにも仕事をがんばろうということになる。趣味のために仕事をがんばるという傾向を強くしたこの1年であったと思う。仕事そのものにああでもない、こうでもないと思い悩んでいたら、とてももたなかったと思う。
そろそろ私がやらないといけないと思っていることは、「松明の引き継ぎ」だ。パートナーが私のことを心底嫌い、仕事などゴメンだと考えるならば、私もこれ以上は何も言えないと思う。「仕事」という言葉を思い浮かべた時、今までやってきたことをもう少しどうかしたい、こうすれば良かったという思いがあるのであれば、ぜひ、復帰してもらいたいと思っている。
仕事は、やる気のある人のためにあるものだと思う。少し前に会ったパートナーはやる気に満ちていたように思う。ほんの少し、不安な所があったようだが、私が余計なことを言ったためにおじゃんになったことは既に書いた。私の発言にも「ズレ」があったと指摘されてしまった。
仕事は、目の前にある。しかし、それをいかに受け入れて仕上げるかを誤ると自分自身がダメージを受けてしまう。今までは、それがなぜなのかわからなかった。今では、それがほぼわかっていると思っている。冒頭にも書いたように、そのほとんどの原因は、私にあった。(と思う。)楽しむために仕事をしてみる、変わったかどうか自分の目で確認してみる、それでいいのではないだろうか。
PR
Comment