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平日は、普通に仕事をして土日には自分の趣味に生きて、という毎日を過ごしていると忘れてしまいがちだが、今のルーツは30年前にあると思っている。あの頃、私は自分の将来をこうしたいと思いつつ受験と闘っていた。
特にしたいという仕事は無く、大学に行き研究を続けたいという風に漠然としか考えていなかった。この国で大学とはどういうところで、大学に残るということはどんなことなのか、まったく予断無く、とにかく自分はこうしたいということだけはあったのだ。
しかし、愚かな私は、受験というものがよくわかっていなかった。高校の担任が言っていたように、現在の自分の点数がこれだから、この「範囲内で」大学、学部を選ぶというのが、当時も今も正しい受験の作法のようだった。間違っても、受験の意味を問うたり、試験問題を本気で熟考したりしてはいけない。
私は、こういう現実に対して、ケタ外れに浮き世離れした「戦法」で臨んでいた。私にとって、「行きたい大学、学部、学科」が正しい選択なのであり、受験の成績はおまけ的なものだった。大学受験が、ふるいにかける試験であることは理解していたのだが、興味の無い人が行こうと思うとは夢にも思わなかった。
つまり、私は「天文学科」を希望したのだが、普通の人はこんな学科は選ばないだろうという判断だ。そもそも競争が無いのだから、やる気さえあれば、多少の成績の悪さは問題では無いという発想だ。だが、実際には天文学科はそもそも珍しい学科でもあり、「定員割れ」ということは無かったようだ。(本当のところは、わからないのだが。)大学側も、仮に「定員割れ」が生じても大学の基準に達していない場合は、不合格なのだということだった。
要するに、大学は入学辞退を考慮して「水増し」で合格者をとるだろうから、私もその水増しに入ると最後まで思っていたということだ。しかし、浪人時代に出会った恩師のすすめで私立大学も受験した私だったが、一度も「水増し」の恩恵にあずかることは無かった。競争も厳しかったのだろうが、試験の成績も見ていたということなのだろう。
そんなに試験の成績が悪かったのかというと、確かに悪かった。当時の共通一次の数学などでは、クラスメートがほとんど満点に近いのに私は半分とれればいい方だったのだ。もっとも成績のいい、国語でも8割程度の出来だった。物理と化学、日本史と世界史となるとボロボロであった。共通一次で800点とれば合格すると言われていた時代だが、600点が関の山の私だった。
二次試験で逆転できるのかといえば、そんなこともなかった。確かに、複雑な問題を考えることは、当時から得意だったのだが、受験は得点をとらなければ合格できないのであった。しかし、愚かな私は浪人を4年もしなければ、そのことの意味が理解できなかったのであった。自分は、考えることが得意なのだから、自分こそ大学へ行って勉強すべき人間だと最後まで思っていたのだった。
今にして思えば、当時の私の発想も必ずしも異常ではないと思うものの、当時の現実を生き抜くには少しも役には立たなかったと思う。大学は、研究機関だと思うのだが、今でもその通り研究している者は、限られた数しかいない。「大学卒」の意味は、文字通りの「大学を卒業した」であり、「大学で勉強したではない」ことを今、思い知らされている。なぜなら、大学を卒業しているのだから、私よりもすべてにおいて優秀でなければならないのではないのか。まさか、「大学卒」でありながら、考える力さえ無い人間がいるとは、思いもよらないことだった。
社会に出て仕事を始めると「大卒」というのはむしろ仇になってしまう。足かせと言ってもいい。就職には、この肩書きが必要であっても就職してしまうと、実力を持たない限り、まず、相手にされない。にもかかわらず、「大卒」なので優秀なはずということになる。実力を試される世界では、すぐにわかることなのに、「大卒」という免罪符を持っていると本人さえも自分がバカであることを認めたがらないのだ。大学受験で求められている能力とは、要領のよさであって、企業もそこを買っている。大学で求めているのは、本当は、「能力不足」として落第にした私のような人間なのではないか。
結局、学問は興味の無い人間にできるほど甘いものではない、という当たり前のことが示されている。大学側が要領のいい学生を入学させるようになったのは、「学習能力」が高いからだそうだ。独自な発想を持つ者は、つまらない学習行動は苦手であり、自己の好奇心で動く。これでは、大学の管理が難しくなるということなのだそうだ。大学もグルで研究機関としての大学から学習機関としての大学になって行ったようだ。
今の世の中をつぶさに見れば、その害悪がいろんなところに見られると思う。学問を研究すべき人間が研究していないと、やはり社会は壊れてしまう。難しいことは、難しいことを考えることが好きな人間にしかできないのだ。この10年の間に、こういう社会を変えることができるだろうか。特に私の関わる仕事から可能だろうか。しかし、私にはその道しか無いのだ。私のような受験生が、希望の大学、学部、学科に行って勉強できるシステムくらいは整ったのを見て逝きたいと思う。
特にしたいという仕事は無く、大学に行き研究を続けたいという風に漠然としか考えていなかった。この国で大学とはどういうところで、大学に残るということはどんなことなのか、まったく予断無く、とにかく自分はこうしたいということだけはあったのだ。
しかし、愚かな私は、受験というものがよくわかっていなかった。高校の担任が言っていたように、現在の自分の点数がこれだから、この「範囲内で」大学、学部を選ぶというのが、当時も今も正しい受験の作法のようだった。間違っても、受験の意味を問うたり、試験問題を本気で熟考したりしてはいけない。
私は、こういう現実に対して、ケタ外れに浮き世離れした「戦法」で臨んでいた。私にとって、「行きたい大学、学部、学科」が正しい選択なのであり、受験の成績はおまけ的なものだった。大学受験が、ふるいにかける試験であることは理解していたのだが、興味の無い人が行こうと思うとは夢にも思わなかった。
つまり、私は「天文学科」を希望したのだが、普通の人はこんな学科は選ばないだろうという判断だ。そもそも競争が無いのだから、やる気さえあれば、多少の成績の悪さは問題では無いという発想だ。だが、実際には天文学科はそもそも珍しい学科でもあり、「定員割れ」ということは無かったようだ。(本当のところは、わからないのだが。)大学側も、仮に「定員割れ」が生じても大学の基準に達していない場合は、不合格なのだということだった。
要するに、大学は入学辞退を考慮して「水増し」で合格者をとるだろうから、私もその水増しに入ると最後まで思っていたということだ。しかし、浪人時代に出会った恩師のすすめで私立大学も受験した私だったが、一度も「水増し」の恩恵にあずかることは無かった。競争も厳しかったのだろうが、試験の成績も見ていたということなのだろう。
そんなに試験の成績が悪かったのかというと、確かに悪かった。当時の共通一次の数学などでは、クラスメートがほとんど満点に近いのに私は半分とれればいい方だったのだ。もっとも成績のいい、国語でも8割程度の出来だった。物理と化学、日本史と世界史となるとボロボロであった。共通一次で800点とれば合格すると言われていた時代だが、600点が関の山の私だった。
二次試験で逆転できるのかといえば、そんなこともなかった。確かに、複雑な問題を考えることは、当時から得意だったのだが、受験は得点をとらなければ合格できないのであった。しかし、愚かな私は浪人を4年もしなければ、そのことの意味が理解できなかったのであった。自分は、考えることが得意なのだから、自分こそ大学へ行って勉強すべき人間だと最後まで思っていたのだった。
今にして思えば、当時の私の発想も必ずしも異常ではないと思うものの、当時の現実を生き抜くには少しも役には立たなかったと思う。大学は、研究機関だと思うのだが、今でもその通り研究している者は、限られた数しかいない。「大学卒」の意味は、文字通りの「大学を卒業した」であり、「大学で勉強したではない」ことを今、思い知らされている。なぜなら、大学を卒業しているのだから、私よりもすべてにおいて優秀でなければならないのではないのか。まさか、「大学卒」でありながら、考える力さえ無い人間がいるとは、思いもよらないことだった。
社会に出て仕事を始めると「大卒」というのはむしろ仇になってしまう。足かせと言ってもいい。就職には、この肩書きが必要であっても就職してしまうと、実力を持たない限り、まず、相手にされない。にもかかわらず、「大卒」なので優秀なはずということになる。実力を試される世界では、すぐにわかることなのに、「大卒」という免罪符を持っていると本人さえも自分がバカであることを認めたがらないのだ。大学受験で求められている能力とは、要領のよさであって、企業もそこを買っている。大学で求めているのは、本当は、「能力不足」として落第にした私のような人間なのではないか。
結局、学問は興味の無い人間にできるほど甘いものではない、という当たり前のことが示されている。大学側が要領のいい学生を入学させるようになったのは、「学習能力」が高いからだそうだ。独自な発想を持つ者は、つまらない学習行動は苦手であり、自己の好奇心で動く。これでは、大学の管理が難しくなるということなのだそうだ。大学もグルで研究機関としての大学から学習機関としての大学になって行ったようだ。
今の世の中をつぶさに見れば、その害悪がいろんなところに見られると思う。学問を研究すべき人間が研究していないと、やはり社会は壊れてしまう。難しいことは、難しいことを考えることが好きな人間にしかできないのだ。この10年の間に、こういう社会を変えることができるだろうか。特に私の関わる仕事から可能だろうか。しかし、私にはその道しか無いのだ。私のような受験生が、希望の大学、学部、学科に行って勉強できるシステムくらいは整ったのを見て逝きたいと思う。
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