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『太陽と海の教室』というドラマを最近では珍しく、録画してまで見ている。視聴率は、1ケタに落ちそうなくらい不評なドラマだそうだ。
5話を見ていて、かつての『飛び出せ!青春』を思い出させるものがあると思った。担任が、男先生と女先生のかけあいというのも似ている。教頭(このドラマでは、理事長)が常に生徒に冷淡なのも似ている。校長が『飛び出せ!青春』の有島一郎校長先生のごとく、織田裕二扮する、櫻井朔太郎をかばうのも。もしかすると、『飛び出せ!青春』を見て育った世代が作っているのかもしれない。
『飛び出せ!青春』も、生徒の問題に教師が体当たりで考え悩み、問題解決して行き、固く閉ざされた生徒の心を開いて行くというストーリーであった。このドラマも、問題行動を起こした生徒の心の問題を櫻井が解決して行く。私も似た経験を持っているだけに生徒と教師の心を描くドラマは好きな方だ。もっとも、「金八先生」的なお説教臭さは受け入れられなかった。このドラマの櫻井のような、ちょっとひねった「熱さ」がうれしい。
浪人2年の頃、出会った教師が私のお気に入りの先生だった。ちょうど、このドラマの櫻井のように「熱い」先生だった。講義は、60分だったのだが、90分とか倍の120分やることがたびたびあるくらいだった。やる気のある人間にはめっぽう優しく、やる気の無い人間には、徹底的に怒り、怒号を浴びせた。もちろん、私には気味が悪いくらい優しかった。
志望大学に合格するのに基準点が20点も足らない私に、最後まで励ましを止めなかったのだった。やる気のある人間に「ああせい、こうせい」と言っても無駄だと心得ていたのだろうと思う。だから、点数がこうだから、こっちにすればとかという「指導」は一切無かった。
私は、この先生の接し方がうれしくて、今でも感謝しているくらいだ。高校を卒業して10年くらい経ってから年賀状を出して、以来、年賀状だけのお付き合いだが、今でも続いている。私のような人間に、何を言っても無駄だというのは、私自身がよく知っている。しかし、高校の教師で私が、認めるような人はいなかった。どいつもこいつも、こっちの大学にせいとか、願書を書かんぞとか、うるさいことを言いやがるのだ。
私の固く閉ざした心を開いたのは、この先生だけだった。ただ、私の努力では、大学には合格できず、先生に「合格」という恩返しをすることはできなかった。そのことがずっと心残りではある。しかし、今の私があるのは、この先生がいてくれたからだと今でも思っている。
進路志望の用紙に私はよく、「大学で本当の勉強をしたい」と書いていた。それに対して、先生は、「一刻も早く大学に行って、本物の勉強をやれ。」と常に言ってくれていた。面接の度に私はこの言葉を聞き、勇気づけられていた。高校にしてみれば、何浪もする生徒をキツク指導しない、やっかいな先生だったかもしれないが、いい人に出会ったという思いだ。
5話を見ていて、かつての『飛び出せ!青春』を思い出させるものがあると思った。担任が、男先生と女先生のかけあいというのも似ている。教頭(このドラマでは、理事長)が常に生徒に冷淡なのも似ている。校長が『飛び出せ!青春』の有島一郎校長先生のごとく、織田裕二扮する、櫻井朔太郎をかばうのも。もしかすると、『飛び出せ!青春』を見て育った世代が作っているのかもしれない。
『飛び出せ!青春』も、生徒の問題に教師が体当たりで考え悩み、問題解決して行き、固く閉ざされた生徒の心を開いて行くというストーリーであった。このドラマも、問題行動を起こした生徒の心の問題を櫻井が解決して行く。私も似た経験を持っているだけに生徒と教師の心を描くドラマは好きな方だ。もっとも、「金八先生」的なお説教臭さは受け入れられなかった。このドラマの櫻井のような、ちょっとひねった「熱さ」がうれしい。
浪人2年の頃、出会った教師が私のお気に入りの先生だった。ちょうど、このドラマの櫻井のように「熱い」先生だった。講義は、60分だったのだが、90分とか倍の120分やることがたびたびあるくらいだった。やる気のある人間にはめっぽう優しく、やる気の無い人間には、徹底的に怒り、怒号を浴びせた。もちろん、私には気味が悪いくらい優しかった。
志望大学に合格するのに基準点が20点も足らない私に、最後まで励ましを止めなかったのだった。やる気のある人間に「ああせい、こうせい」と言っても無駄だと心得ていたのだろうと思う。だから、点数がこうだから、こっちにすればとかという「指導」は一切無かった。
私は、この先生の接し方がうれしくて、今でも感謝しているくらいだ。高校を卒業して10年くらい経ってから年賀状を出して、以来、年賀状だけのお付き合いだが、今でも続いている。私のような人間に、何を言っても無駄だというのは、私自身がよく知っている。しかし、高校の教師で私が、認めるような人はいなかった。どいつもこいつも、こっちの大学にせいとか、願書を書かんぞとか、うるさいことを言いやがるのだ。
私の固く閉ざした心を開いたのは、この先生だけだった。ただ、私の努力では、大学には合格できず、先生に「合格」という恩返しをすることはできなかった。そのことがずっと心残りではある。しかし、今の私があるのは、この先生がいてくれたからだと今でも思っている。
進路志望の用紙に私はよく、「大学で本当の勉強をしたい」と書いていた。それに対して、先生は、「一刻も早く大学に行って、本物の勉強をやれ。」と常に言ってくれていた。面接の度に私はこの言葉を聞き、勇気づけられていた。高校にしてみれば、何浪もする生徒をキツク指導しない、やっかいな先生だったかもしれないが、いい人に出会ったという思いだ。
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