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夕方の精霊流しを済ませると、今回のお盆の行事がすべて終わる。これが終われば次の行事は、我が龍雲のライブを残すのみだ。これをもって私の夏の行事はすべて終了する。また、秋の陣に向けていろいろと計画が練られることとなる。
夕べは、親友と少し飲み、歌ってきた。親友は元気だったが、私は途中で眠たくなってしまった。調子に乗って、チューハイを飲んだらそれが、効いてしまったのだった。やはり、アルコールは少しでもやめておいた方がいいのかもしれない。この暑さも手伝って具合が悪くなりやすい季節だけに、外でのアルコールは控えるようにしたい。
カラオケに行ったのだが、なんと2時間は何も歌わずにしゃべりまくった。その後、今まで歌ったこともない歌を中心に歌った。りりぃの「オレンジ村から春へ」は、非常に懐かしいものがあった。りりぃにしては、陽気で楽しい歌だった。親友にマイケルの笛をすすめたのだが、音も出なかった。やはり、これが現実なのかもしれない。気に入れば、取り寄せるつもりだったのだが。
私も今年の初め、親父の形見の尺八を鳴らしてみたのだが、1時間くらいは、「ひゅーひゅー」とだけしか鳴らず、特別な訓練がいる楽器なのかと思っていた。しかし、しつこくやっていると鳴り始めた。歌口に一定の角度をつけて息を吹きかければそれで鳴るのだが、どうも初めて接する人は、それが非常に難解に思うようだ。
マイケルのアナサジフルートもホピの笛も角度さえいろいろ試せば、すぐに鳴らせることはできる。1時間ばかりしつこく吹けば鳴るのだ。その時間内に、「難しい」と感じるか「何がなんでも鳴らしたる!」と思うかどうかの違いで笛を吹くようになるのか、ならないのかが決まるようだ。
これまでのところ、パートナーも親友も敬遠気味なのだが、いつか不意をついてマイケルの笛を吹かせてみたいと思っている。純粋に楽しいと思うからだ。呼吸がどうこうというのは二の次で、まずは「楽しい」と感じられることが大切だ。親友も「うるし」に弱いたちだった。高校時代、かなりかぶれていたことを思い出した。私が今持っている、「かぶれる尺八」では無理なので、年末には「かぶれない尺八」を持って帰り、吹かせてみたい。楽器としては、尺八の方が洗練されているので、抵抗が無ければ入りやすいかもしれない。
何かマイケルの笛を「元気づけ」に利用しているような私だが、実は、その通りなのだ。京都でお世話になった人にも吹いてもらいたいと思っている。毎日がつまらないと語っていただけになおさらだ。私も浪人時代、毎日がつまらなかった。その私が、いろんな人の支えがあって、曲がりなりにも今を生きている。今度は、私が支える番なのだ。もっとも、単純に笛を吹けば元気になれるかどうかは疑問なのだが。
私があと10年をめどに生きていることをクラスメートの前で話したことは、ちょっと波紋を広げていた。小学校からのクラスメートは、「わしら、糖尿病でインシュリンを打ちょんで。」と私の抱えていることなどたいしたことではないように話してくれていた。50ともなると、自分の死期も含めていろんなことを考える。むろん、私とてやけっぱちになっているわけではない。
親父もそうだった。まさか、自分が60でこの世を去ることになろうとは夢想だにしなかったのではないか。それだけに残された私たちには衝撃的だった。母は、その後、3年間は立ち直れなかった。私もどこか、この世の中というものを投げやりに考えていたと思う。
私自身、50を前にして様々なことを体験してきた。そのほとんどは、自らの愚かさが招いた結果だった。だから、今後は少なくとも今までの経験をふまえて生きたいと願うようになった。同じ失敗は繰り返さないという意味だ。当たり前のことなのだが、改めて決意しなければ実行できないところに私の愚かさが象徴されているようだ。
今後は、私が若い頃に感じたような疎外感や絶望感、不安感を若い人に抱かせないような生き方をしてみたい。私よりもずっと長く生きる人々に経験を伝えたり、いまだ仕事にめぐまれない人々に仕事を始められるべく紹介したり、自分でも雇ったりしてみたい。異なる個性を統合してプラスのエネルギーに進化させてみたい。すべては私の知力が試される。
そうしたことを、「いつか」やろうでは、まず、実現は無理だ。今後、10年でやり遂げたいと思う。精霊流しの日に誓った私の決意だ。
夕べは、親友と少し飲み、歌ってきた。親友は元気だったが、私は途中で眠たくなってしまった。調子に乗って、チューハイを飲んだらそれが、効いてしまったのだった。やはり、アルコールは少しでもやめておいた方がいいのかもしれない。この暑さも手伝って具合が悪くなりやすい季節だけに、外でのアルコールは控えるようにしたい。
カラオケに行ったのだが、なんと2時間は何も歌わずにしゃべりまくった。その後、今まで歌ったこともない歌を中心に歌った。りりぃの「オレンジ村から春へ」は、非常に懐かしいものがあった。りりぃにしては、陽気で楽しい歌だった。親友にマイケルの笛をすすめたのだが、音も出なかった。やはり、これが現実なのかもしれない。気に入れば、取り寄せるつもりだったのだが。
私も今年の初め、親父の形見の尺八を鳴らしてみたのだが、1時間くらいは、「ひゅーひゅー」とだけしか鳴らず、特別な訓練がいる楽器なのかと思っていた。しかし、しつこくやっていると鳴り始めた。歌口に一定の角度をつけて息を吹きかければそれで鳴るのだが、どうも初めて接する人は、それが非常に難解に思うようだ。
マイケルのアナサジフルートもホピの笛も角度さえいろいろ試せば、すぐに鳴らせることはできる。1時間ばかりしつこく吹けば鳴るのだ。その時間内に、「難しい」と感じるか「何がなんでも鳴らしたる!」と思うかどうかの違いで笛を吹くようになるのか、ならないのかが決まるようだ。
これまでのところ、パートナーも親友も敬遠気味なのだが、いつか不意をついてマイケルの笛を吹かせてみたいと思っている。純粋に楽しいと思うからだ。呼吸がどうこうというのは二の次で、まずは「楽しい」と感じられることが大切だ。親友も「うるし」に弱いたちだった。高校時代、かなりかぶれていたことを思い出した。私が今持っている、「かぶれる尺八」では無理なので、年末には「かぶれない尺八」を持って帰り、吹かせてみたい。楽器としては、尺八の方が洗練されているので、抵抗が無ければ入りやすいかもしれない。
何かマイケルの笛を「元気づけ」に利用しているような私だが、実は、その通りなのだ。京都でお世話になった人にも吹いてもらいたいと思っている。毎日がつまらないと語っていただけになおさらだ。私も浪人時代、毎日がつまらなかった。その私が、いろんな人の支えがあって、曲がりなりにも今を生きている。今度は、私が支える番なのだ。もっとも、単純に笛を吹けば元気になれるかどうかは疑問なのだが。
私があと10年をめどに生きていることをクラスメートの前で話したことは、ちょっと波紋を広げていた。小学校からのクラスメートは、「わしら、糖尿病でインシュリンを打ちょんで。」と私の抱えていることなどたいしたことではないように話してくれていた。50ともなると、自分の死期も含めていろんなことを考える。むろん、私とてやけっぱちになっているわけではない。
親父もそうだった。まさか、自分が60でこの世を去ることになろうとは夢想だにしなかったのではないか。それだけに残された私たちには衝撃的だった。母は、その後、3年間は立ち直れなかった。私もどこか、この世の中というものを投げやりに考えていたと思う。
私自身、50を前にして様々なことを体験してきた。そのほとんどは、自らの愚かさが招いた結果だった。だから、今後は少なくとも今までの経験をふまえて生きたいと願うようになった。同じ失敗は繰り返さないという意味だ。当たり前のことなのだが、改めて決意しなければ実行できないところに私の愚かさが象徴されているようだ。
今後は、私が若い頃に感じたような疎外感や絶望感、不安感を若い人に抱かせないような生き方をしてみたい。私よりもずっと長く生きる人々に経験を伝えたり、いまだ仕事にめぐまれない人々に仕事を始められるべく紹介したり、自分でも雇ったりしてみたい。異なる個性を統合してプラスのエネルギーに進化させてみたい。すべては私の知力が試される。
そうしたことを、「いつか」やろうでは、まず、実現は無理だ。今後、10年でやり遂げたいと思う。精霊流しの日に誓った私の決意だ。
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