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クラスメートと会って思ったのは、公務員が意外に多いということ。浪人仲間でも自衛隊にいる者もいる。東京でたまに会う仲間にも自衛隊員がいる。そこそこいい暮らしをしているようだ。だから、警察や自衛隊に鋭い言葉を浴びせるのは苦しいのだが、甘い発言をするわけにも行かない。

私は、ほとんど絶望的だと思いつつもこの国を変えたいと思っている。変わるにしても良く変えたいと思っている。戦前のように、国際協調することが人間ではないように言われた時代をふまえて新しい時代を築きたいと思う。大半は、世界の平和に向かう方向であっても一部には、戦争を望む声がある。そういう勢力にとっては、「平和」は苦痛なのではないか?私は、そういう意見が無くなるよう、ものの考え方を修正するようがんばりたいと思っている。戦前もそうだったが、他人の自由を奪っても自分の自由は奪われたくないというのが、平和を望まない連中の基本的な思考方法だ。

それにしても、戦後すぐは平和を望む声が高かったが国際情勢の変化により、あっという間にこの国も「普通の国」となりつつある。他国に向けて軍隊を送ったりする事実があるということだ。自衛隊がかつての関東軍のように、政治のコントロールを無視するような行動に出たり、発言をしたりしても誰も手を出せないという状況がある。

これからの世の中は、そんなことも自衛隊の病気としてとらえ治療して行かなければならない。自衛隊や警察の不祥事は、相手が実力(暴力に変化しうるという意味の)を持つ組織だけに本気で隠そうとされるとなかなか表面化しない。これも組織的な「制度疲労」ととらえて行かなければならないのだが、その根本的な病因は、「仕事が無い」の一語に尽きると私は思っている。

警察が、大小様々の暴力行為やストーカー行為、詐欺に消極的なのは自分の利益にならないからだ。本来ならば、市民を日々悩ますそういった犯罪を解決することこそが、仕事のように思うが勤務評定につながらないようで、できるだけ関わらないように行動しているようだ。

私の世直しでは、こういう警察のあり方も根本的な変革が必要だと思っている。今後、警察官は「予備警察官」しか採用しないことにする。市民に非協力的な態度を示した者は、即、懲戒免職とする。仕事は、ありとあらゆる犯罪の調査とその撲滅だ。少なくとも20年以上の市民に貢献した者のみが、「予備」がとれた警察官になれる。しかし、反市民的な態度をとればいつでも予備に落とされる。

その昔、この国では「おいこら警察」というのが流行った。戦前の警察は、何でも市民の生活に食い込んで来たという。新しい世の中では、その逆で、警察の暴力装置をいかに市民の手でコントロールするかに重点を置くようにすることだ。いつでも警察を「おいこら」と押さえられるようにするおkとが重要なのだ。

誰の目にも明らかであるとは思うのだが、通報が無ければ仕事をしないという警察は、不要だ。普段から動いているべきなのだ。むしろ、普通の日常生活の中にこそ犯罪はあるのだ。警察の職が厳しすぎて、人員不足が深刻になるほどになる方が健全な姿ではないだろうか。自身の生活の安定を求めて警察を目指すなど本末転倒もはなはだしい。

そして、自衛隊だが、自衛隊の本来の役割だが、この国の防衛だ。実際には、アメリカ軍ではなく自衛隊がよく、この国を防衛しているのだという。戦闘機の装備なども意外に充実しているという。クラスメートはレーダーの仕事をしているそうだ。、私たちが寝ている間も仕事をしてくれていて、よくこの国を守ってくれていると納得したものだった。

しかし、イージス艦「あたご」衝突事件のようなことが現実に起きてしまうのはなぜかと言うと、そもそも自分たちの存在が市民を守ることが前提ではないからではないかと思わせる。なるほど、事故なのだからこういうことは絶対に起きないと言うことはできないだろう。しかし、私が問題だと思うのは、事故が起こった後の対応だ。ここでも組織的な隠蔽工作が始まり、ニュースとしてはうやむやにされてしまう。

正しい事故後の処置は、関係者の懲戒免職しかない。これをもっとも恐れているのが自衛隊員自身だからだ。市民を殺すという事故を起こしてしまった以上は、懲戒免職しか考えられないだろうと思う。私が職業軍人は必要無いと思う所以だ。「防衛」という行いを職業でやると戦前の日本軍がそうであったように、職業を優先してしまい、市民が目に入らなくなるのだ。その結果、市民が自国を守る軍隊に殺されるというパラドックスが起こるのだ。実際、このパラドックスは先の沖縄戦で大規模に展開されてしまった。

警察や自衛隊でまるで社会主義の閉鎖的な社会のような組織的な隠蔽が起きているにもかかわらず、政治は何の動きもしない。私が、もはやこの国は限界だと思う理由だ。官僚が「安定的な職業」ととらえられるような社会はろくでもない社会だ。戦後すぐは、確かに給料も安く、公務員など選択する人は少なかったはずだ。しかし、世の中が全体として固定的になると、公務員に「確かなもの」を感じる者が多くなるようだ。

安定は、確かに必要だろうが、反市民的な行為の監視機関、それに対する厳しい処罰を施す組織も持たなければならない。究極的には、全市民が賢くなる他ないのは確かだが、それではあまりに市民の犠牲が大きすぎる。検察が犯罪を犯すと取り締まる組織が無いというこの国の限界も改める必要があるだろう。実際に検察は、裏金作りという犯罪を犯している。関係者は、懲戒免職では済まないはずなのだが。

自衛隊の私なりの変革案は、仕事を災害救助に変更することだ。現状程度のこの国の防衛に加えて、ありとあらゆる災害救助に命をかけることが仕事になる。そして、実績は人を何人助けたかで決まる。地震多発国のこの国では、毎年とまでは行かないが、何年かおきに相当大きな仕事をやることになる。市民を助ける災害救助が補助的な仕事に扱われてはたまらない。大地震の無い今でもやるべきことはいっぱいあるのだ。

世直しと言ってもそんなに難しいことではない。一人一人がやるべきことをやれば、それが、結局いい世の中を作ることにつながる。この国でいい時代があったとしたら、それを目標にすればいいのだが、そんなものはまだ無い。これは、どこの国とて同じことだろうと思う。大切なことは、良くない社会は、すぐにでも変えなければならないということだけだ。

封建の世の中にもいいところはあった。法律はあったものの、基本は、人知主義というか親分支配の世の中なので親分がだめだと判断すれば、即、死刑だった。死刑の是非はともかく決断が速い。新しい世の中は、それぞれの時代のいい所を採用して行く他ないだろうと思う。官僚をコントロールするには、「予備」の導入しかないと私は考えている。
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