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私にとって忘れることのできないもう一人の癒しのカリスマは、スマナサーラ長老だ。調子の悪いときに出会い、多くの本も買い、タイの友人にもすすめた。通常、こういうものは、自分で首を突っ込むならともかく、人にすすめられてすんなり受け入れられるものではないのだが、友人はすんなりと受け入れていた。同じように、心が疲れている人々にもすすめたが、案の定、強い拒絶にあった。

ジャンル分けをすれば、仏教なのだろうが、別に出家するわけでもないし、そこまで狂信的に信仰するわけでもない。ただ、こんな本を出している、こんなことを説いている、ちょっとかじってみないかという思いだ。本当ならば、私が理解したことを教えてあげるといいのだろうが、とてもそこまでには至らなかった。だから友人には本を送った。知り合いには、URLを送った。しかし、こういう方法で癒される人はほとんどいないのだろう。

私が知る限り、スマナサーラ長老は、「心」を癒す説法のカリスマだ。「怒らないこと」についての説法には実に明快なものがある。私は、長老の本を読んで、怒らないこと、慈悲の瞑想について学んだ。最悪の体調の頃、ある朝、目が覚めた時に、「自分の近しい人が幸せでありますように」と思っただけですがすがしい気分になれたのだった。以来、瞑想というのもアリだなと思うようになった。これも、私の中での先入観念打破であった。瞑想とは、宗教に狂った人間がするようなことだと思いこんでいたのだ。

心が元気でない人々は、宗教とか哲学とかといったことにこだわらず、役に立つと思ったことをどんどん取り入れて欲しいと思うのだが、そうもいかない。この点が簡単ではないからこそ、心の不調が長引くわけだ。かつての自分を考えてもよくわかる。要するに頑なで、ほとんど何も受け入れない傾向があるのだ。受け入れることができるとしたら、自分を認める人だけだ。私は、最初から認めているのだが、そうは思ってくれない。

結局、そういうことが重なり自閉に陥る。自ら孤独の殻に閉じこもってしまう。私もまさに同じことだったのだが、前にも書いたように、必要な時に、けっこう重要な人物と出会い、救われている。決して、私が「開かれた」人間だったわけでも、広く相手を受け入れる人間だったわけでもない。私もまた、ただの頑なな、狭い了見の人間なのだ。だが、同じにおいを感じる仲間を救うことができないのだ。

この先、医者にも一杯食わされていたことがわかった時、どうなるのかと思う。今こそ、精神科医を切って、自分を取り戻す時ではないのかと思う。私の持論ではあるが、「医者は保護者ではない。」ということを肝に銘じておくべきではないだろうか。これまで医者は、ある程度は面倒をみてくれたのだが、向精神薬については、面倒見切れない場合がほとんどだ。個々人の効き具合に付き合えるほど時間は無い。したがって、重要な管理が無視されることになる。医者への幻想と、薬への依存を止めることしかないのだ。

そこまで思いが到達した時には、スマナサーラ長老の説法も意外にすんなりと入るかもしれない。これまでの自分の常識を変えるには何らかの措置が必要なはずだから。ぜひ、積極的に何かを主張している人の言葉に耳を傾けて、利用できるものについては、どん欲に利用して欲しいというのが私の願いだ。
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