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3年前、私は精神科に通っていた。1月おきに通院してコンスタンを処方されていた。診察は、5分もかからなかった。私が、自分の体の異変に気がつき、「この薬は、依存が生ずるのではないか」という疑問を投げかけたことから、関係が悪化して最後には私がこの医者を切り捨てた。もう、役に立たないと思ったのだ。
私としては、主治医に減薬の指導をして欲しかったのだが、この医者はそういう発想が無く、どんどん向精神薬を処方するつもりだったようだ。この時点で既に私の薬漬けが成功していたので、この医者は自信たっぷりの言い方だった。「これからどんどん薬を出すつもりでいるのに、どうして薬を止めるという結論になるのか、こちらが教えて欲しいくらいだ。」とぬかしていた。しかも、ニヤニヤしながら言うのが不気味に思えた。
この医者は、精神科の責任ある立場であったのだが、コンスタンを処方するにあたって、常用量でも依存が生じることを私に伝えていなかった。言ったことといえば、「依存は無いって!」という冷静さを欠いた下品な言葉だけだった。私は、今でもこの医者を腹立たしく思っている。ベンゾジアゼピン誘導体の薬が常用量依存を起こすことを知らないはずはないと思うからだ。
本当に知らないならば、単なる無知だし、知って行動しているならば犯罪だ。少なくとも医者ではない。頓服としてレキソタンも処方されたし、ドグマチールも処方された。後者は、胃薬としても二流品だそうだ。この医者の勤務する病院の精神科は、倍々ゲームで「患者」を増やしていった。私が通っていた頃でもどんどん増えていたのだった。彼は、病院の儲け頭だったのだと思う。儲かるので勉強する必要も無かったのだろうか。
私の経験のようにある時点まで医者は頼っていいと思うが、少しでも疑問があれば、臆することなくぶつけてみて、ふざけた返事しか返ってこないようであれば、直ちに切ることをすすめる。向精神薬を処方されていた場合は、覚悟を決めて、減薬を断行することをすすめる。基本的に薬を減らすなどという「治療」は、この国に存在しないのだ。
いつかは、精神科医を中心に薬害を引き起こした張本人としてつるし上げられると思うのだが、なにしろ国家が精神科医を援護しているので手強い。まだまだ被害は大きくなると思う。『精神科医の犯罪を問う』で誰かの発言に近い表現があったのだが、自分を病気として自覚するよりも、調子が悪いだけだと思って行動する方がずっと前向きに生きられないか、ということを私は言っておきたい。
向精神薬のように中枢神経を刺激する薬は、そうでない薬とは次元が違うのだ。合わないから止めるという選択が難しい薬なのだ。それでも、絶対に回復できないということではない。今では、離脱症状に立ち向かう人々のサイトもある。基本は、自己責任の行動になるが、薬と戦うことは可能だ。自信を持って欲しい。
「病気」だと思える不安感やイライラ感、頭痛などは離脱症状が出ていると見ていい。この離脱症状は、意外に長く続くことを覚悟すべきだ。個人差が激しいのでだいたいこのくらいだと言えないところが難しいところだ。渦中にある時は、完全に薬から解放された自分を想像することができないものだが、必ずその時は来る。あせらず、その時が来るのを待つことだ。汗をかくまで運動することや、趣味に没頭することは離脱への第一歩だ。
最終的に決め手になるのは、医者を切れるかどうかだと思う。せっかく薬から解放されようとしても、その悪魔の薬を処方した医者をどこまでも信用するようであれば、まだまだ呪縛は残っていると思わなければならない。その異常なまでの医者への「信頼」が薬害を引き起こすのだ。医者が薬を処方するのは、生きるための手段であり、患者を救済するためではない。
私としては、主治医に減薬の指導をして欲しかったのだが、この医者はそういう発想が無く、どんどん向精神薬を処方するつもりだったようだ。この時点で既に私の薬漬けが成功していたので、この医者は自信たっぷりの言い方だった。「これからどんどん薬を出すつもりでいるのに、どうして薬を止めるという結論になるのか、こちらが教えて欲しいくらいだ。」とぬかしていた。しかも、ニヤニヤしながら言うのが不気味に思えた。
この医者は、精神科の責任ある立場であったのだが、コンスタンを処方するにあたって、常用量でも依存が生じることを私に伝えていなかった。言ったことといえば、「依存は無いって!」という冷静さを欠いた下品な言葉だけだった。私は、今でもこの医者を腹立たしく思っている。ベンゾジアゼピン誘導体の薬が常用量依存を起こすことを知らないはずはないと思うからだ。
本当に知らないならば、単なる無知だし、知って行動しているならば犯罪だ。少なくとも医者ではない。頓服としてレキソタンも処方されたし、ドグマチールも処方された。後者は、胃薬としても二流品だそうだ。この医者の勤務する病院の精神科は、倍々ゲームで「患者」を増やしていった。私が通っていた頃でもどんどん増えていたのだった。彼は、病院の儲け頭だったのだと思う。儲かるので勉強する必要も無かったのだろうか。
私の経験のようにある時点まで医者は頼っていいと思うが、少しでも疑問があれば、臆することなくぶつけてみて、ふざけた返事しか返ってこないようであれば、直ちに切ることをすすめる。向精神薬を処方されていた場合は、覚悟を決めて、減薬を断行することをすすめる。基本的に薬を減らすなどという「治療」は、この国に存在しないのだ。
いつかは、精神科医を中心に薬害を引き起こした張本人としてつるし上げられると思うのだが、なにしろ国家が精神科医を援護しているので手強い。まだまだ被害は大きくなると思う。『精神科医の犯罪を問う』で誰かの発言に近い表現があったのだが、自分を病気として自覚するよりも、調子が悪いだけだと思って行動する方がずっと前向きに生きられないか、ということを私は言っておきたい。
向精神薬のように中枢神経を刺激する薬は、そうでない薬とは次元が違うのだ。合わないから止めるという選択が難しい薬なのだ。それでも、絶対に回復できないということではない。今では、離脱症状に立ち向かう人々のサイトもある。基本は、自己責任の行動になるが、薬と戦うことは可能だ。自信を持って欲しい。
「病気」だと思える不安感やイライラ感、頭痛などは離脱症状が出ていると見ていい。この離脱症状は、意外に長く続くことを覚悟すべきだ。個人差が激しいのでだいたいこのくらいだと言えないところが難しいところだ。渦中にある時は、完全に薬から解放された自分を想像することができないものだが、必ずその時は来る。あせらず、その時が来るのを待つことだ。汗をかくまで運動することや、趣味に没頭することは離脱への第一歩だ。
最終的に決め手になるのは、医者を切れるかどうかだと思う。せっかく薬から解放されようとしても、その悪魔の薬を処方した医者をどこまでも信用するようであれば、まだまだ呪縛は残っていると思わなければならない。その異常なまでの医者への「信頼」が薬害を引き起こすのだ。医者が薬を処方するのは、生きるための手段であり、患者を救済するためではない。
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