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『精神科医の犯罪を問う』の論争が収束に向かいつつある。論争を巻き起こした張本人が「丸い」主張をし始めた。疲れたか、反論のネタが切れたか。
そもそもこの論争には無理があった。前に書いたように、脳のことはよくわかっていない。薬を使いたいという人と、それは危険だという人の論争なので決着はつかない。薬を飲みたい人というのはすさまじい執念があるみたいで、かつて私は「必要悪と思っていますけど。」と言われたことがある。
以来、私は自分のブログで「つぶやく」だけになった。私とて経験があるだけで、なぜ薬がいけないのかは明確ではないのだ。本で読んでそれなりの知識はあるのだが、薬を当然だと思っている人を説得できるものではない。母や近しい人の薬物依存を食い止めることができたならば、それ以上は無理をしても仕方ないという心境なのだ。大きな目標としては、薬害として関係者を告発したいのだが。
今でも本が出れば買って研究はしている。どちらかというと精神科医の「薬は当然」という意見が優勢な状況だ。それ故に、対抗してがんばっている個人のブログは凄いと思う。私が渦中にあった時にはここまで参考になる情報は無かったように思う。にもかかわらず、薬を必要だと思う人は多いようだ。しかも、良くなっているようにないのが深刻なのだ。
『たまごのブログ』さんも真摯に薬害を追求している。ここまで自らの経験を昇華できると立派な社会貢献だと思う。私は、ただ単に経験上、薬は良くない、と言い続けてきただけだ。これでは、あまり説得力は無かったように思う。薬を飲むきっかけということを深く掘り下げる必要があったようだ。
病院の創立記念日だとかで「救急窓口」しか開いていなかった時に私は「死にそうだ」とわめいて病院に駆け込んだ。しかも、緊急を要するということで早めに診てもらうという工作もしたのだ。年若い看護師は、素早く応対してくれて私を寝かせて血圧を測った。「少し血圧が高い程度です。」と言い、その時点でそんなに重症のように思わなかったようだ。対応が良くなかったのは、むしろ医者の方だった。
「症状は何ですか。」「症状を言ってください。」を何度繰り返したことか。私は、胸が苦しいとか言ったのだろうが、より近い表現は、「死にそうだ」という感じなのだ。これは今にして思うと「パニック障害」というやつらしいのだが、当時は、医者も私もそれを思いつかなかった。しかし、医者はデパスを一錠処方した。一錠というと慎重な感じがするのだが、必ず後日、診察を受けてくれという条件付きだ。
私は、デパス一錠で劇的に良くなったのでこれでおしまいにしておけばその後の地獄の苦しみは味あわなくて済んだのだが、ご丁寧にも「精神科」を初受診した。意外なことだが、初診の際、精神科医は「気にしすぎだ」とか言ってむしろ、薬を出したがらないのだ。私がかつて内科でセルシンを処方されたことがあると言うと「あれは古い」と言って恐怖のコンスタンを処方したのだった。この時の間違った処方がその後の私の運命を決定した。2週間分も出してはいけない薬だったのだ。
セルシンは、私には効かなくなっていたのだが、その後の知見では「いい薬」だと知った。それでもネットの情報ではセルシンでも離脱症状が出る人もいるそうだ。私は、セルシンでは何も出ず、飲まなくても大丈夫だったのだ。
私がピンチの時に素早い対応をしてくれたというのですっかり信用してしまい、この病院を選んだのだが、これが浅はかだった。今の時代、「信用」という言葉ほど軽い言葉はないとさえいえる。コンスタンを飲んでも良くなるはずもなく、正月休み明けでさらに不調を訴える私に対して医者が処方したのは、コンスタンの連続使用だ。初診時は、確かに頓服的な処方だったように思うが思い出せない。しかし、この時には、毎日、朝晩飲むように言われた。去年までこの時のコンスタンが残っていたくらいなのだ。
私が、やらなければならなかったことは、コンスタンでもデパスでもセルシンでもない。要するに仕事場でかかえていた人間関係の改善だった。これを避けていくら強力な薬を飲んでも問題解決につながらなかったのだ。世の中の多くの薬信奉者も同じ事が言えると思う。問題は薬ではないのだ。自分の身の処し方が問題なのだ。私は、結果的にそうなったに過ぎないのだが、自分は変えることはできるが、他人は無理だということに気がつくことで落ち着いた。
薬と離脱症状との闘いは、それからのことだが、多くのブロガーが記述している通り、それは想像を絶する苦しみに他ならない。こちらが、薬のおかしさに気がついた後の医者の豹変ぶりも記述しておかなければならない。彼らは、薬漬けが終わったとみると急に「依存は無いって!」と声を荒げるようになるのだ。私のように問題を抱えているから精神的に不安定になり、不眠に陥っているという事実を見なければ、真の問題解決にはつながらない。しかし、精神科医のほとんどは、目の前の「症状」だけを見る。初診時の「聞き取り」は、その後の薬漬けに対する「言い訳」というか「アリバイ工作」にすぎない。
私がそれでも幸運だったのは、近しい人に同じような薬を飲んでいる人がいたという事実だった。自分が率先して止めなければ、その人も決して止めることはないだろうと思った。だから、不安ではあったが、医者を切って自分でプログラムを作り減薬から断薬に持って行くことができた。ひたすら歩き、不安を解消するように努めたが、やはり、自分のためというよりも、大事な人のために自分の経験を伝えたいという思いが断薬まで持って行くための強力な原動力になった。
近しい人は、その後も調子の悪い時には睡眠薬を飲んでいると少し前に聞いたのだが、刺激するのを避けたくてあえて反論はしなかった。しかし、完全に薬を止めるようにして欲しいことは言うまでもない。それに先立つ数ヶ月の「異変」は、まさに離脱症状なのだから。もちろん、真実は本人にしかわからないことだ。本人がうつだと言えばそうなのだと思う。ただ、そうなった「きっかけ」を思い出して欲しいと思う。他に対処すべき事があったのではないか、ということ。
それが確定すれば、過去はどうあれ問題解決は可能だと思う。もちろん、薬物依存や宗教依存など経ないでの問題解決という意味だ。そしてその理由は、私にもできることなのだからということを付け加えておきたい。私というのは、愚かな人間の代表という意味だ。ちょっとしたことで付和雷同して病院に行き、医者の指示を仰ぐという意味での愚かさを持った人間という意味だ。そのような私でも最終的には医者と訣別した。やはり、真実を優先させなければ問題解決にはつながらないのだ。
まず薬を止めること。これが私が断言するうつの治し方の第一歩だ。医者も薬物依存の被害者であることも付け加えておきたい。
そもそもこの論争には無理があった。前に書いたように、脳のことはよくわかっていない。薬を使いたいという人と、それは危険だという人の論争なので決着はつかない。薬を飲みたい人というのはすさまじい執念があるみたいで、かつて私は「必要悪と思っていますけど。」と言われたことがある。
以来、私は自分のブログで「つぶやく」だけになった。私とて経験があるだけで、なぜ薬がいけないのかは明確ではないのだ。本で読んでそれなりの知識はあるのだが、薬を当然だと思っている人を説得できるものではない。母や近しい人の薬物依存を食い止めることができたならば、それ以上は無理をしても仕方ないという心境なのだ。大きな目標としては、薬害として関係者を告発したいのだが。
今でも本が出れば買って研究はしている。どちらかというと精神科医の「薬は当然」という意見が優勢な状況だ。それ故に、対抗してがんばっている個人のブログは凄いと思う。私が渦中にあった時にはここまで参考になる情報は無かったように思う。にもかかわらず、薬を必要だと思う人は多いようだ。しかも、良くなっているようにないのが深刻なのだ。
『たまごのブログ』さんも真摯に薬害を追求している。ここまで自らの経験を昇華できると立派な社会貢献だと思う。私は、ただ単に経験上、薬は良くない、と言い続けてきただけだ。これでは、あまり説得力は無かったように思う。薬を飲むきっかけということを深く掘り下げる必要があったようだ。
病院の創立記念日だとかで「救急窓口」しか開いていなかった時に私は「死にそうだ」とわめいて病院に駆け込んだ。しかも、緊急を要するということで早めに診てもらうという工作もしたのだ。年若い看護師は、素早く応対してくれて私を寝かせて血圧を測った。「少し血圧が高い程度です。」と言い、その時点でそんなに重症のように思わなかったようだ。対応が良くなかったのは、むしろ医者の方だった。
「症状は何ですか。」「症状を言ってください。」を何度繰り返したことか。私は、胸が苦しいとか言ったのだろうが、より近い表現は、「死にそうだ」という感じなのだ。これは今にして思うと「パニック障害」というやつらしいのだが、当時は、医者も私もそれを思いつかなかった。しかし、医者はデパスを一錠処方した。一錠というと慎重な感じがするのだが、必ず後日、診察を受けてくれという条件付きだ。
私は、デパス一錠で劇的に良くなったのでこれでおしまいにしておけばその後の地獄の苦しみは味あわなくて済んだのだが、ご丁寧にも「精神科」を初受診した。意外なことだが、初診の際、精神科医は「気にしすぎだ」とか言ってむしろ、薬を出したがらないのだ。私がかつて内科でセルシンを処方されたことがあると言うと「あれは古い」と言って恐怖のコンスタンを処方したのだった。この時の間違った処方がその後の私の運命を決定した。2週間分も出してはいけない薬だったのだ。
セルシンは、私には効かなくなっていたのだが、その後の知見では「いい薬」だと知った。それでもネットの情報ではセルシンでも離脱症状が出る人もいるそうだ。私は、セルシンでは何も出ず、飲まなくても大丈夫だったのだ。
私がピンチの時に素早い対応をしてくれたというのですっかり信用してしまい、この病院を選んだのだが、これが浅はかだった。今の時代、「信用」という言葉ほど軽い言葉はないとさえいえる。コンスタンを飲んでも良くなるはずもなく、正月休み明けでさらに不調を訴える私に対して医者が処方したのは、コンスタンの連続使用だ。初診時は、確かに頓服的な処方だったように思うが思い出せない。しかし、この時には、毎日、朝晩飲むように言われた。去年までこの時のコンスタンが残っていたくらいなのだ。
私が、やらなければならなかったことは、コンスタンでもデパスでもセルシンでもない。要するに仕事場でかかえていた人間関係の改善だった。これを避けていくら強力な薬を飲んでも問題解決につながらなかったのだ。世の中の多くの薬信奉者も同じ事が言えると思う。問題は薬ではないのだ。自分の身の処し方が問題なのだ。私は、結果的にそうなったに過ぎないのだが、自分は変えることはできるが、他人は無理だということに気がつくことで落ち着いた。
薬と離脱症状との闘いは、それからのことだが、多くのブロガーが記述している通り、それは想像を絶する苦しみに他ならない。こちらが、薬のおかしさに気がついた後の医者の豹変ぶりも記述しておかなければならない。彼らは、薬漬けが終わったとみると急に「依存は無いって!」と声を荒げるようになるのだ。私のように問題を抱えているから精神的に不安定になり、不眠に陥っているという事実を見なければ、真の問題解決にはつながらない。しかし、精神科医のほとんどは、目の前の「症状」だけを見る。初診時の「聞き取り」は、その後の薬漬けに対する「言い訳」というか「アリバイ工作」にすぎない。
私がそれでも幸運だったのは、近しい人に同じような薬を飲んでいる人がいたという事実だった。自分が率先して止めなければ、その人も決して止めることはないだろうと思った。だから、不安ではあったが、医者を切って自分でプログラムを作り減薬から断薬に持って行くことができた。ひたすら歩き、不安を解消するように努めたが、やはり、自分のためというよりも、大事な人のために自分の経験を伝えたいという思いが断薬まで持って行くための強力な原動力になった。
近しい人は、その後も調子の悪い時には睡眠薬を飲んでいると少し前に聞いたのだが、刺激するのを避けたくてあえて反論はしなかった。しかし、完全に薬を止めるようにして欲しいことは言うまでもない。それに先立つ数ヶ月の「異変」は、まさに離脱症状なのだから。もちろん、真実は本人にしかわからないことだ。本人がうつだと言えばそうなのだと思う。ただ、そうなった「きっかけ」を思い出して欲しいと思う。他に対処すべき事があったのではないか、ということ。
それが確定すれば、過去はどうあれ問題解決は可能だと思う。もちろん、薬物依存や宗教依存など経ないでの問題解決という意味だ。そしてその理由は、私にもできることなのだからということを付け加えておきたい。私というのは、愚かな人間の代表という意味だ。ちょっとしたことで付和雷同して病院に行き、医者の指示を仰ぐという意味での愚かさを持った人間という意味だ。そのような私でも最終的には医者と訣別した。やはり、真実を優先させなければ問題解決にはつながらないのだ。
まず薬を止めること。これが私が断言するうつの治し方の第一歩だ。医者も薬物依存の被害者であることも付け加えておきたい。
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