×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
帰りの電車の中で音楽を聴こうとセットしたら、我が永井龍雲の歌が流れてきた。そういえば、朝聴きながら来たのだった。意外さも手伝ってそのまま聴いてしまった。最近は、マイケルのアナサジフルートの響きを朝晩聴いているので、てっきりそれが始まるのかと思ったのだった。
圧巻は、「流れよ」だったが、昔を思い出してしまいじんわりと涙が出てしまった。龍雲がこの歌をあのタイミングで出してくれたことは、大きなことだった。「道標ない旅」でヒットし、これから大ヒットするのかと思ったら、段々とジリ貧となってしまった。自分自身の心境をうたった歌であることには間違いないのだが、私にもピッタリとはまったのだった。
本当にこの歌があったからこそ、今、私はこうやって生きていられるのだ。1981年の3月頃だったと思うが、「龍雲のオールナイトニッポン」のエンディングで流してくれたのを聴いたのが最初だったように思う。「大陸を意識して作った」と当時、龍雲は言っていたのだが、実際にはもっともっと泥臭い現実の経験を通じて生まれたのだろう。
流れよ 流れよ 僕に教えてくれないか
流れの果てには 何が見えるというのか
このメッセージをさびに持ってきていて最後は、「何が見えるというのか」「流れの果てには」「僕に教えてくれないか」の順で節回しを変えて盛り上げてくれる。当時の私は、これは龍雲が「自分にもっと自信を持て」と言ってくれているようでうれしかった。今で言う「うつ」状態だった私は、生きる気力さえ失い欠けていた。まさに、そんな時にこの歌に出会ったので私は一挙に元気を吹き返したのだった。
もちろん、「流れよ」のシンプルなメロディーや当時のスタッフのオーケストラを使った編曲などもすばらしいものだったが、もっとも私を勇気づけたのは、龍雲の詞だった。
誰が悪いわけでもなく 間違っていたのでもない
谺するのは しゃがれた声 為す術無く老いてゆくのか
とは、まさに当時の私の思いだった。浪人しか経験の無い私がこれから社会に出て行けるのか、不安だらけだったのだ。龍雲の一点の曇りもない詞が私は好きだ。30年間つきあってきたのは、そのことに尽きる。
おかげで今日の帰りは、あっという間だった。仕事で疲れふらふらだったのだが、龍雲の声を聴くだけで元気になってしまうのだ。当時を思い出すとさらにパワーが生まれてくる。うつの音楽療法とかいうのがあるのだが、音楽というよりも「詞」にあるのではないかと私は思っている。
圧巻は、「流れよ」だったが、昔を思い出してしまいじんわりと涙が出てしまった。龍雲がこの歌をあのタイミングで出してくれたことは、大きなことだった。「道標ない旅」でヒットし、これから大ヒットするのかと思ったら、段々とジリ貧となってしまった。自分自身の心境をうたった歌であることには間違いないのだが、私にもピッタリとはまったのだった。
本当にこの歌があったからこそ、今、私はこうやって生きていられるのだ。1981年の3月頃だったと思うが、「龍雲のオールナイトニッポン」のエンディングで流してくれたのを聴いたのが最初だったように思う。「大陸を意識して作った」と当時、龍雲は言っていたのだが、実際にはもっともっと泥臭い現実の経験を通じて生まれたのだろう。
流れよ 流れよ 僕に教えてくれないか
流れの果てには 何が見えるというのか
このメッセージをさびに持ってきていて最後は、「何が見えるというのか」「流れの果てには」「僕に教えてくれないか」の順で節回しを変えて盛り上げてくれる。当時の私は、これは龍雲が「自分にもっと自信を持て」と言ってくれているようでうれしかった。今で言う「うつ」状態だった私は、生きる気力さえ失い欠けていた。まさに、そんな時にこの歌に出会ったので私は一挙に元気を吹き返したのだった。
もちろん、「流れよ」のシンプルなメロディーや当時のスタッフのオーケストラを使った編曲などもすばらしいものだったが、もっとも私を勇気づけたのは、龍雲の詞だった。
誰が悪いわけでもなく 間違っていたのでもない
谺するのは しゃがれた声 為す術無く老いてゆくのか
とは、まさに当時の私の思いだった。浪人しか経験の無い私がこれから社会に出て行けるのか、不安だらけだったのだ。龍雲の一点の曇りもない詞が私は好きだ。30年間つきあってきたのは、そのことに尽きる。
おかげで今日の帰りは、あっという間だった。仕事で疲れふらふらだったのだが、龍雲の声を聴くだけで元気になってしまうのだ。当時を思い出すとさらにパワーが生まれてくる。うつの音楽療法とかいうのがあるのだが、音楽というよりも「詞」にあるのではないかと私は思っている。
PR
Comment