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私は、ずっとこれまで、電化製品やら光学機器やらにお金をかけることに集中してきたし、満足感も高かった。興奮もした。当面は、こうした動きは止まらないものと思っていたが、昨年末以来、ちょっとずつ変化が見えてきた。
今の仕事を始めてから、いろんなストレスと日々闘うはめになったのだが、最大のものは、身近な人の心配であった。自分一人のこともままならないのに、さらに無視できない身近な人々の困難にも目を向けなければならなかったことは、正直つらかった。嫌ということではなく、私の能力を上回っていたというだけのことだ。
悩んだ結果、私自身も少しは勉強したし、力にもなれたと思うが、客観的には、「大したことはしていない」かもしれない。経営者ならば、多くのことを知らなければならないし、人育てのスペシャリストでなければいけないのだ。むしろ、トラブルを好んで解決して行かなければならないのだ。私が、そうであったのかと言われると、大いに疑問だ。恥ずかしい限りだ。
私が知りたかったのは、「睡眠」について「うつ」について「喘息」についての詳しい知識だった。睡眠については、私なりに調べてある程度は解決に至っている。要するに、眠れないのは、「夜」にあるのではなく、眠れない時に「やることがない」自分の生き方に問題があるということ。
眠れなくとも死にはしないし、横になるだけで眠れない日々が続いたとしても、仕事は可能なことを経験した。もちろん、体調は悪いし、気分も良くない。しかし、そのさなかに自分でも「やれること」を着々と増やすことは可能だった。今でこそやらなくなったが、DSやPSPは結構、役立っているのだ。眠れないで体調を悪くするのとベンゾジアゼピン誘導体の抗不安薬、睡眠薬をときおり飲むことを続けるのとを比べると、やはり、前者の方がはるかに安全だと私は思っている。
問題は、その経験から得た知識を同じような悩みを抱えている人に伝えにくいことだ。母には、何とか伝えることはできたが、まだまだ先は長いと見ている。今年になってもまだ、「眠れないよりは、薬を飲んだ方がいい。」と言っていたくらいだから。しかし、夜中でも不安になれば電話してくるように、そして春になったら家庭菜園を作るように本を用意したら、「やることができて」次第に、不眠から解放されていった。
「うつ」も同じようなことなのだが、私もうつ経験者であり、今も大して変わらないと言っても信用してもらえない。自称、うつの人との違いは、SSRIを飲んだことがないというだけだ。しかし、私も医者を見限っていなければ、今でもSSRI患者だったと思う。飲まなかったのは、それよりも早く、私から医者を切ったからであった。
「うつ」についての私の見解は、これは、精神科医の作った「病気」だということだ。しかし、自称、「うつ」の人々には決して受け入れてもらえないことだろうと思う。会社に行けない状態であるとか、しんどい状態であることは共感するのだが、「だから、SSRIを飲まなければならない」という暴論には反対だ。SSRIがうつ状態を完全に治してくれるならば、その可能性くらいは考えたかもしれないが、治すことも、軽減することもできない人々は4割にも上る。これは、効かないという意味ではないのか。
精神科医は、それでもがんばったと思う。今や、厚労省は脳死状態だ。彼らの判断は、ほとんどは信用できない。必ず、裏をとらなければ「死」もあり得ると思わなければならない。厚労省がお墨付きを与えた薬を処方して悪いわけがない。しかし、彼ら精神科医は、あまりにも実態に無知だった。経済の悪化というこの国の社会情勢の中で、向精神薬はボロ儲けができる魔法の薬だったのだ。
抗不安薬が激しい依存を生じさせることをこの国の医者は、ほとんど知らない。こういう現実の中でSSRIが今、この瞬間も処方され、自殺や殺人を生んでいる。そこまで極端に至らずとも、多くの人の時間、幸せを奪っている。精神科医にとって都合がいいことに、向精神薬の多くは、依存性を生じる。それは、決められた容量を守っても生じることが最近わかってきたのだ。その結果、飲んでいる人が止めたいと思っても止められないという構図が出来上がるのだ。私は、薬を飲んでいる人に対して、むげに「やめろ」とは言えないのだが、助言を求められたら、まず、薬を止めることから始めるようにと言うことにしている。そして、栄養のバランスを再考して欲しいと付け加える。
うつが脳の病気で、薬を飲み続けることでいつか治ると信じて譲らない人には、残念ながら言うべき助言を持たない。知識を増やして、こういう人も救えるようになりたいと思うが、今のところ何もできていないのが現実だ。抗不安薬や睡眠薬も時々飲むという使い方が、もっとも悪いと思っている。常時、離脱症状が続くことになるからだ。急激に不安に陥ったりするのは、離脱症状以外に考えられない症状だ。
いろいろな薬があるが、向精神薬、血圧を下げる薬、コレステロールを下げる薬、かゆみを抑える薬(アトピーに使うステロイド)は慎重でなければならない。どれも医者から見た、医者が楽な薬だ。つまり、受診する側の情報は、生かされていないのだ。食生活において、精神衛生においてバランスを崩しているから、いろんな症状が出てくるのに、それには踏み込まない「処方」なのだ。これこそ、私が、「うつ」は医者が作ったと言う所以だ。時間のかかる、「患者」の事情は見ずに薬で表面の現象を押さえ込むという手法だ。目の前の患者を見て、どんなものを食っているのかを調べ出すと、「儲からない」ということになる。
喘息は、古くて新しい問題だ。母は、今から6、7年前にも発作を起こし、大変だった。猛暑の去年から今年にかけてもずっと調子が悪かった。医者に行っても良くならなかったのだ。ホトホト困った私は、「うつ」に対するのと同じようにゼロから調べることにした。すると、喘息で悩む本人が、対して喘息の病態について知らないことに愕然とした。これは、勉強不足とかという問題ではなくて、そんな余裕が無いという意味で深刻なのだ。
うつと違って、喘息は薬の管理もしっかりしている。ステロイドというアブナイ薬を使うのだが、医者もしっかりとコントロールする方法を学んでいる場合が多い。呼吸に関することだけに、精神科医のように結果を出さなくてもいいというアマちゃんではやって行けない世界だ。ネットを調べてみると、かなり詳しいサイトがあった。薬を飲んでいるのに効かないのはなぜかという問題にも答えてくれている。精神科医にもこんなまともな人がいてくれたらと思うが、そんなことはないようだ。
いくら私が喘息について理解しても、本人がそれを取り入れなければ問題は解決しない。長く時間はかかったが、正しい知識を少しずつ用意していく過程で納得してもらったというかたちだ。もともと喘息のように、死ぬほどシンドイ病気は、身近な人があれこれ調べて助言をしてあげなければいけない病気だと感じた。本人にのみ任せるのは、酷だと思った。
そんな中、目にしたのがタレントが吹くサンポーニャだった。南米の楽器なのだが、この国でも手に入る。実際に手にして思ったのは、「こりゃ、バッタもんだ」ということだ。もともとそんなに高級に作るものではないようなのだが、それにしてもボロい感じだった。CDを探す過程で、ネイティブ・アメリカンフルートというものに興味を持った。しかし、これはいいという感じのものは、非常に高価だ。5万以上もする。
本来は、そこまでで終わっていたのだが、ネットを調べていて、海外のものを買うのに「代行」という商売があるのを知った。アメリカで売っているものを代行料を払うことで国内感覚で買えるということ。諦めていた夢に一歩近づいたと思った。CDでしか聴いたことのない、ネイティブ・アメリカンフルートの本物が入手できそうなのだ。
5月の中旬にまず1本手に入った。ものがそこそこ良かったのですかさず、追加注文をした。4本も注文したが、合計しても尺八の金額の半分に過ぎない。性質が違うので単純な比較はできないのだが。7月にもできるかもしれない尺八と比べてみれば、違いはわかるだろう。
それにしても、そのネイティブ・アメリカンフルートの中の変種、アナサジフルートは、なかなかいい。中でもそのレプリカを作ったマイケルは、うまく伝えてくれたと思う。他のネイティブ・アメリカンフルートっぽくない、むしろ尺八のような演奏で聴かせてくれている。マイケルが私のアナサジフルートをなかなか作ってくれなかったので私は、一足先に尺八を学ぶことになった。これは私には途方もなく大きな贈り物だった。この癒しの音色を持つ2つの楽器のどちらにも興味を持てたのだ。
電気を使わなければ動かないものばかりに興味を持ち、価値を感じていた私が、ギター依頼約30年ぶりに楽器を手にしたこともまた、途方もなく大きな出来事だった。現実に尺八やアナサジフルートを吹くことは、大きな癒しとなる。できれば、これを現実に悩む人々に伝えたいと思う。これだけのことで大きく癒される、これば安いと言わなければならない。パートナーには、とりあえず一撃の下に撃沈されたのはショックだったが、聴かせてあげることはできると思うのでまたの機会を狙っている。
今の仕事を始めてから、いろんなストレスと日々闘うはめになったのだが、最大のものは、身近な人の心配であった。自分一人のこともままならないのに、さらに無視できない身近な人々の困難にも目を向けなければならなかったことは、正直つらかった。嫌ということではなく、私の能力を上回っていたというだけのことだ。
悩んだ結果、私自身も少しは勉強したし、力にもなれたと思うが、客観的には、「大したことはしていない」かもしれない。経営者ならば、多くのことを知らなければならないし、人育てのスペシャリストでなければいけないのだ。むしろ、トラブルを好んで解決して行かなければならないのだ。私が、そうであったのかと言われると、大いに疑問だ。恥ずかしい限りだ。
私が知りたかったのは、「睡眠」について「うつ」について「喘息」についての詳しい知識だった。睡眠については、私なりに調べてある程度は解決に至っている。要するに、眠れないのは、「夜」にあるのではなく、眠れない時に「やることがない」自分の生き方に問題があるということ。
眠れなくとも死にはしないし、横になるだけで眠れない日々が続いたとしても、仕事は可能なことを経験した。もちろん、体調は悪いし、気分も良くない。しかし、そのさなかに自分でも「やれること」を着々と増やすことは可能だった。今でこそやらなくなったが、DSやPSPは結構、役立っているのだ。眠れないで体調を悪くするのとベンゾジアゼピン誘導体の抗不安薬、睡眠薬をときおり飲むことを続けるのとを比べると、やはり、前者の方がはるかに安全だと私は思っている。
問題は、その経験から得た知識を同じような悩みを抱えている人に伝えにくいことだ。母には、何とか伝えることはできたが、まだまだ先は長いと見ている。今年になってもまだ、「眠れないよりは、薬を飲んだ方がいい。」と言っていたくらいだから。しかし、夜中でも不安になれば電話してくるように、そして春になったら家庭菜園を作るように本を用意したら、「やることができて」次第に、不眠から解放されていった。
「うつ」も同じようなことなのだが、私もうつ経験者であり、今も大して変わらないと言っても信用してもらえない。自称、うつの人との違いは、SSRIを飲んだことがないというだけだ。しかし、私も医者を見限っていなければ、今でもSSRI患者だったと思う。飲まなかったのは、それよりも早く、私から医者を切ったからであった。
「うつ」についての私の見解は、これは、精神科医の作った「病気」だということだ。しかし、自称、「うつ」の人々には決して受け入れてもらえないことだろうと思う。会社に行けない状態であるとか、しんどい状態であることは共感するのだが、「だから、SSRIを飲まなければならない」という暴論には反対だ。SSRIがうつ状態を完全に治してくれるならば、その可能性くらいは考えたかもしれないが、治すことも、軽減することもできない人々は4割にも上る。これは、効かないという意味ではないのか。
精神科医は、それでもがんばったと思う。今や、厚労省は脳死状態だ。彼らの判断は、ほとんどは信用できない。必ず、裏をとらなければ「死」もあり得ると思わなければならない。厚労省がお墨付きを与えた薬を処方して悪いわけがない。しかし、彼ら精神科医は、あまりにも実態に無知だった。経済の悪化というこの国の社会情勢の中で、向精神薬はボロ儲けができる魔法の薬だったのだ。
抗不安薬が激しい依存を生じさせることをこの国の医者は、ほとんど知らない。こういう現実の中でSSRIが今、この瞬間も処方され、自殺や殺人を生んでいる。そこまで極端に至らずとも、多くの人の時間、幸せを奪っている。精神科医にとって都合がいいことに、向精神薬の多くは、依存性を生じる。それは、決められた容量を守っても生じることが最近わかってきたのだ。その結果、飲んでいる人が止めたいと思っても止められないという構図が出来上がるのだ。私は、薬を飲んでいる人に対して、むげに「やめろ」とは言えないのだが、助言を求められたら、まず、薬を止めることから始めるようにと言うことにしている。そして、栄養のバランスを再考して欲しいと付け加える。
うつが脳の病気で、薬を飲み続けることでいつか治ると信じて譲らない人には、残念ながら言うべき助言を持たない。知識を増やして、こういう人も救えるようになりたいと思うが、今のところ何もできていないのが現実だ。抗不安薬や睡眠薬も時々飲むという使い方が、もっとも悪いと思っている。常時、離脱症状が続くことになるからだ。急激に不安に陥ったりするのは、離脱症状以外に考えられない症状だ。
いろいろな薬があるが、向精神薬、血圧を下げる薬、コレステロールを下げる薬、かゆみを抑える薬(アトピーに使うステロイド)は慎重でなければならない。どれも医者から見た、医者が楽な薬だ。つまり、受診する側の情報は、生かされていないのだ。食生活において、精神衛生においてバランスを崩しているから、いろんな症状が出てくるのに、それには踏み込まない「処方」なのだ。これこそ、私が、「うつ」は医者が作ったと言う所以だ。時間のかかる、「患者」の事情は見ずに薬で表面の現象を押さえ込むという手法だ。目の前の患者を見て、どんなものを食っているのかを調べ出すと、「儲からない」ということになる。
喘息は、古くて新しい問題だ。母は、今から6、7年前にも発作を起こし、大変だった。猛暑の去年から今年にかけてもずっと調子が悪かった。医者に行っても良くならなかったのだ。ホトホト困った私は、「うつ」に対するのと同じようにゼロから調べることにした。すると、喘息で悩む本人が、対して喘息の病態について知らないことに愕然とした。これは、勉強不足とかという問題ではなくて、そんな余裕が無いという意味で深刻なのだ。
うつと違って、喘息は薬の管理もしっかりしている。ステロイドというアブナイ薬を使うのだが、医者もしっかりとコントロールする方法を学んでいる場合が多い。呼吸に関することだけに、精神科医のように結果を出さなくてもいいというアマちゃんではやって行けない世界だ。ネットを調べてみると、かなり詳しいサイトがあった。薬を飲んでいるのに効かないのはなぜかという問題にも答えてくれている。精神科医にもこんなまともな人がいてくれたらと思うが、そんなことはないようだ。
いくら私が喘息について理解しても、本人がそれを取り入れなければ問題は解決しない。長く時間はかかったが、正しい知識を少しずつ用意していく過程で納得してもらったというかたちだ。もともと喘息のように、死ぬほどシンドイ病気は、身近な人があれこれ調べて助言をしてあげなければいけない病気だと感じた。本人にのみ任せるのは、酷だと思った。
そんな中、目にしたのがタレントが吹くサンポーニャだった。南米の楽器なのだが、この国でも手に入る。実際に手にして思ったのは、「こりゃ、バッタもんだ」ということだ。もともとそんなに高級に作るものではないようなのだが、それにしてもボロい感じだった。CDを探す過程で、ネイティブ・アメリカンフルートというものに興味を持った。しかし、これはいいという感じのものは、非常に高価だ。5万以上もする。
本来は、そこまでで終わっていたのだが、ネットを調べていて、海外のものを買うのに「代行」という商売があるのを知った。アメリカで売っているものを代行料を払うことで国内感覚で買えるということ。諦めていた夢に一歩近づいたと思った。CDでしか聴いたことのない、ネイティブ・アメリカンフルートの本物が入手できそうなのだ。
5月の中旬にまず1本手に入った。ものがそこそこ良かったのですかさず、追加注文をした。4本も注文したが、合計しても尺八の金額の半分に過ぎない。性質が違うので単純な比較はできないのだが。7月にもできるかもしれない尺八と比べてみれば、違いはわかるだろう。
それにしても、そのネイティブ・アメリカンフルートの中の変種、アナサジフルートは、なかなかいい。中でもそのレプリカを作ったマイケルは、うまく伝えてくれたと思う。他のネイティブ・アメリカンフルートっぽくない、むしろ尺八のような演奏で聴かせてくれている。マイケルが私のアナサジフルートをなかなか作ってくれなかったので私は、一足先に尺八を学ぶことになった。これは私には途方もなく大きな贈り物だった。この癒しの音色を持つ2つの楽器のどちらにも興味を持てたのだ。
電気を使わなければ動かないものばかりに興味を持ち、価値を感じていた私が、ギター依頼約30年ぶりに楽器を手にしたこともまた、途方もなく大きな出来事だった。現実に尺八やアナサジフルートを吹くことは、大きな癒しとなる。できれば、これを現実に悩む人々に伝えたいと思う。これだけのことで大きく癒される、これば安いと言わなければならない。パートナーには、とりあえず一撃の下に撃沈されたのはショックだったが、聴かせてあげることはできると思うのでまたの機会を狙っている。
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