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毎日、忙しく仕事をしている。体調は、イマイチだが仕事への興味を持ち続けていられる、という意味では良好だ。残業などせず、6時過ぎには帰るようにしているのもいいようだ。昔は、11時頃までやっていたのだが、生産性が上がっていたかどうかは疑問なのだ。
むしろ、「時間が来たら帰らなければならない」という決まりを作っているのがいいのかもしれない。午後の何ともいえない睡魔に襲われる時間帯も、帰る時間が迫っていると思えば、ちょっとした息抜きと称して外の空気を吸えば、また回復できる。昼間に、興味をくすぐる本や雑誌を買った日は、気分も高揚している。
普通に仕事ができる、というのは、こちらに来て、13年選手としては、当たり前の姿だろう。本当ならば、もっともっと多くの人と仕事をやっているべきはずなのだが、私の会社は、むしろ縮んでいる。このことをもっと深刻に考えなければならないはずなのだが、忙しさに追われている。ただ、これまでの失敗の歴史を振り返り、今度、人を集めることができたならこうやろうとか、こうやってみたいということは考えることもある。
私は、大きな会社に勤めたことはないので、大人数での仕事のやり方というのに疎い。面倒なので一人でやってしまいがちだ。その方が生産性も上がるのだろうが、それでは未来が無い。自分が倒れたらそれまでだ。仕事の世界は、生物で言う、「遺伝子」は受け継がれないのだ。「経験」を伝えて行かなければ何も生まれないわけだ。また、「経験」を伝えるということが仕事の大部分と思ってもいい。
仕事をするつもりが無い人は、どこまで行っても他人任せだ。自分で考えようとしなければ、覚えようともしない、勉強もしない、できない。これでは、当然のことながら、いつまでたっても素人のままだ。大きな会社は、この種の「穀潰し」もある程度の割合で抱えている。私に言わせれば、そこにこそ、人材を活用して「人を育てる」ということをしなければならないのに、しようとしない。むしろ、現場に置いてOJT(On The Job Training)で鍛えようとするのだが、そもそも学ぶつもりが無いので「いるだけ」となり、悲しいことに「腐ったリンゴ」の役割になってしまう。
OJTと言っても、そこには、やる気が前提となっている。やる気も無いのに現場では学べないのだ。人を育てるという意味でここが最も難しいところなのだが、企業は、なぜかやる気が無い。コストがかかるからなのだろうと思うが、コストをかけるべきところなので驚く。現場で働く人は、必ずしも人を育てることが得意ではない。忙しくて、やる気の無い人のお相手をする時間が無いのだ。定年後の元社員を再雇用して、教育係にするというのが、最もいいと思うのだが、何か障害があるのだろうか、思い至らないだけなのだろうか。
「仕事をやる気がしない」という状態を私は想像できないのだが、仕事に「おもしろみ」を見いだせないという状態ならばわかる。お金をかければいい。参考書を買うとか学習用の何かを買うとかだ。それが、「惜しい」ということならば、たぶん、仕事は向いていない。普通ならば、生きることもできないのだが、企業内に隠れていると、それができてしまうのだから不思議だ。もちろん、企業にとってボディーブローになることは間違いない。
厚労省でも思うのだが、食いっぱぐれを心配しなくて良くなった状態から、仕事をすることは難しい。その状態になることに全精力を使い果たしているのでそれ以上は、もう動けないのだ。状況は、営利企業でも同じ事だ。むしろ、労働組合の方が元気が良くてどうにもならないだろう。
企業は、人を育てることにコストをかけなければならない。仕事をしない、しようとしない社員がいれば、育てなければならない。現場に押しつけるのは筋違いだ。大きく生産性を落とすだけのことだ。いや、現実には、押しつけざるを得ないだろう。それならば、もう少し、人材を増やすべきなのだ。かつかつの中で、「腐ったリンゴ」では、結局、全部腐ることにつながらないか。
むしろ、「時間が来たら帰らなければならない」という決まりを作っているのがいいのかもしれない。午後の何ともいえない睡魔に襲われる時間帯も、帰る時間が迫っていると思えば、ちょっとした息抜きと称して外の空気を吸えば、また回復できる。昼間に、興味をくすぐる本や雑誌を買った日は、気分も高揚している。
普通に仕事ができる、というのは、こちらに来て、13年選手としては、当たり前の姿だろう。本当ならば、もっともっと多くの人と仕事をやっているべきはずなのだが、私の会社は、むしろ縮んでいる。このことをもっと深刻に考えなければならないはずなのだが、忙しさに追われている。ただ、これまでの失敗の歴史を振り返り、今度、人を集めることができたならこうやろうとか、こうやってみたいということは考えることもある。
私は、大きな会社に勤めたことはないので、大人数での仕事のやり方というのに疎い。面倒なので一人でやってしまいがちだ。その方が生産性も上がるのだろうが、それでは未来が無い。自分が倒れたらそれまでだ。仕事の世界は、生物で言う、「遺伝子」は受け継がれないのだ。「経験」を伝えて行かなければ何も生まれないわけだ。また、「経験」を伝えるということが仕事の大部分と思ってもいい。
仕事をするつもりが無い人は、どこまで行っても他人任せだ。自分で考えようとしなければ、覚えようともしない、勉強もしない、できない。これでは、当然のことながら、いつまでたっても素人のままだ。大きな会社は、この種の「穀潰し」もある程度の割合で抱えている。私に言わせれば、そこにこそ、人材を活用して「人を育てる」ということをしなければならないのに、しようとしない。むしろ、現場に置いてOJT(On The Job Training)で鍛えようとするのだが、そもそも学ぶつもりが無いので「いるだけ」となり、悲しいことに「腐ったリンゴ」の役割になってしまう。
OJTと言っても、そこには、やる気が前提となっている。やる気も無いのに現場では学べないのだ。人を育てるという意味でここが最も難しいところなのだが、企業は、なぜかやる気が無い。コストがかかるからなのだろうと思うが、コストをかけるべきところなので驚く。現場で働く人は、必ずしも人を育てることが得意ではない。忙しくて、やる気の無い人のお相手をする時間が無いのだ。定年後の元社員を再雇用して、教育係にするというのが、最もいいと思うのだが、何か障害があるのだろうか、思い至らないだけなのだろうか。
「仕事をやる気がしない」という状態を私は想像できないのだが、仕事に「おもしろみ」を見いだせないという状態ならばわかる。お金をかければいい。参考書を買うとか学習用の何かを買うとかだ。それが、「惜しい」ということならば、たぶん、仕事は向いていない。普通ならば、生きることもできないのだが、企業内に隠れていると、それができてしまうのだから不思議だ。もちろん、企業にとってボディーブローになることは間違いない。
厚労省でも思うのだが、食いっぱぐれを心配しなくて良くなった状態から、仕事をすることは難しい。その状態になることに全精力を使い果たしているのでそれ以上は、もう動けないのだ。状況は、営利企業でも同じ事だ。むしろ、労働組合の方が元気が良くてどうにもならないだろう。
企業は、人を育てることにコストをかけなければならない。仕事をしない、しようとしない社員がいれば、育てなければならない。現場に押しつけるのは筋違いだ。大きく生産性を落とすだけのことだ。いや、現実には、押しつけざるを得ないだろう。それならば、もう少し、人材を増やすべきなのだ。かつかつの中で、「腐ったリンゴ」では、結局、全部腐ることにつながらないか。
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