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私は、精神科医の「薬漬け攻撃」に出会って以来、医者を信用しなくなった。私自身は、それで良かったと思っているが、明らかに薬害、あるいは薬害に遭いそうな人々を救うのにどうしたらいいのか、そこに悩んでいる。

この国の人々は、古来、争いを好まず、何にでも従順だから、教師とか、医者とか、僧侶とかの「聖職」につく人に疑いの目を向けることをそもそも嫌がるのだ。もしかすると、私のように痛い目に遭っても、まだ、「あの先生は、特別だったのだ」とトンデモ医者にさえ同情的な態度を示すかもしれない。墓場までおまかせで連れて行かれても、文句を言わないならばそれでもいいと思うが、まさか、そんなことはないだろう。そうであるならば、医者を冷静に見る必要がある。

最近は、もう毎日のように妙な殺人事件が起きているので驚きもしないかもしれないが、事件の背後には、精神科医と薬があることを想像しなければならない。厚生労働省、あるいは、政治の側から圧力がかかるのか、報道ではどんな薬を使ったのかは、ほとんどわからない。SSRIは、脳を興奮させる薬だが、今のところ、覚醒剤並にあぶない薬だという認識が医者にも、患者(とされる)側にもないようだ。しかし、現実に目を向ければ、殺人か自殺に向かう場合もあり得ることがわかる。薬がいけないと言われたくないのは、これで儲けている製薬メーカー、医者だけだ。政治家との癒着があればそちらも言って欲しくないことだろう。国家としては、抗うつ薬や抗不安薬、睡眠薬が金のなる木に育てば、税収も見込めてうれしいことだろう。殺人事件や自殺は、「わずかな犠牲」だと考えてもおかしくはない。

考えてみれば、この国では、「人命」というのが異常なまでに軽く扱われてきた。国内でさえも守られないのだが、海外で事件に巻き込まれたら最後だ。外務省も政治もあてにならないと思わなければならない。これまで報道された事件の記憶だけでもそう、断言できる。北朝鮮に拉致られた人々の扱いにしてもひどすぎる。62年前の戦争はどうか?数万人の犠牲よりも、天皇制の安泰の方が優先されたのだった。天皇家が自己保身に走り、それを利用してきた国家権力が天皇にそった思考をするのはわかる。だが、それでは民主主義の国ではないではないか?どこかで変える必要があるのではないか。どこから変えるのかというと、名も無き一人一人の民草を守ることから始まるのが当然のことではないか。

今、目の前に不安に陥って、どうしていいかわからない人がいるとする。この人を幸福にするには、どうしたらいいのだろうか。精神科医に紹介して、薬をもらうことではないだろう。彼(あるいは彼女)に言わなければならないのは、日常で感じる不安や不眠に対して薬を使う必要はない、ということだろう。アホな医者から身を守るためには、そういう知識を持ってもらわなければならない。さらには、抗不安薬、あるいは、マイナートランキライザーと呼ばれる、ベンゾジアゼピン誘導体の薬は、連続して飲んではならないということを知識として知っておくべきだろう。まともな医者ならば、1回分しか出さないのだが、私が被害を受けた医者は、1月分出したのだった。連続して飲むと今度は、その薬をやめようとした時に、離脱症状が起きてより強い不安やふるえが起きたりする。どのくらい連続して飲めばそうなるのかは、個人差がありわかっていない。高齢の方だと、常用量の依存は起きにくいそうだが、それも個人差で変わってくるだろう。では、開き直って薬を続けてはどうかということになるのだが、今度は、薬剤耐性が起きて、それまでの量では効かなくなるのだ。こうなると非常にやっかいなことになる。当然、医者は、そのことを知らなければならないし、気がつかなければいけないのだが、「5分間診察」でそのことがわかるはずもなく、無意味な薬の増量を始める。かくして、薬漬け医療が完成する。

残念ながら、ここまで来ると薬から抜け出すのは簡単ではない。不思議なことかもしれないが、医者は一切、協力してくれない。「薬に依存性はない」の一点張りだ。それもそのはず、薬を減らすという治療は、精神科には無いからだ。そんな良心を持ち合わせている医者は、まずいないと考えていいのではないか。したがって、あえて薬からのがれ、自由になりたければ、決死の覚悟で断薬しなければならない。人それぞれ違うので、自己責任でやるしかないということになる。

ただ、考えようによってはこれはいいことかもしれない。「不安」や「不眠」でさえ今日では、薬で治す「病気」にされている。常識で考えよう。そんなわけがないではないか。人の気分や、睡眠が薬で簡単に治るようであれば、苦労しない。事実として、できないのに、できるとするところに現在の悲劇があるのだ。そんな中で、自分でなんとかしようという姿勢が、ものすごく有効的に働くことを私自身も経験した。激しい、不眠に対しては、運動で対抗した。不安感やふるえに対しては、漸減法で対抗した。これは、薬をわずかずつ減らして行くやり方だ。オーストラリアの教科書にも書いてある。現れる、離脱症状は、個人個人で異なるので、そこは自分の責任で対処すること。後は、少しずつ薬を減らすことでやめることは可能だ。医者の言うことは、それまで無視して、必要な分の薬を出させるだけでいい。むしろ、何も聞かない方がためになる。

私の結論としては、精神科医は、一度すべて医師免許を剥奪すべきだろう。そして、いかなる方針で不安や不眠の悩みを持つ人に対処するのかをテストして、上記のように考えない医者には、永久に医師免許を発行しないという判断をするべきだ。本当に患者の命を救ってきた医者と同列に扱っては、失礼だろう。医者ではなく、狂った文学者として扱うべきだろう。「文学者」というのは、いろいろと病名をつけるのが上手だからだ。文学としては、おもしろいかもしれないが、一人一人が、かけがえのない一生を背負っている人間であることを忘れてもらっては困るのだ。自分が、虫けらのように扱われてみて、よく味わって欲しいと思う。

(つづく)
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