×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
狛江に行ってきた。昨夜は、久しぶりにアキバ・ヨドバシへ行ったりと調子の良かった時のように飛び跳ねている私だ。狛江は、かねてから目をつけていた、尺八工房があるところだ。質問にも丁寧に答えてくれていたので、いつか行ってみたいと思っていた。
締め切り間近だからといって何も行動しないでいると本当に「うつ」っぽくなるので少しでも行動する気になれば、即、実行しようと思ったのだ。小田急は、平日でも超満員の電車だというのを聞いていたが、帰りがそうだった。成城学園前で急行に乗り換えようとすると、京成が事故った時のような混雑ぶりだった。田舎もんの私にはキツイので、「普通」にまた戻ってのんびり新宿まで帰った。
小田急に乗っていた時代というのは、仕事場でグループ交際のようなことをしていた時代だ。8年以上前のことだ。当時、その中に私としては一緒になってもええわ、という人もいたのだが、相手の彼女は完全にネコ人間だったので最終的には無視されて終わった。要するに、興味のある間は、付き合ってあげてもいい、という相手が私だったようだ。今時の「付き合い」とはそんなものなのかもしれない。しかし、あの時、もし、真に受けて結婚でもしていたらたちまち離婚だったろう。余裕の無い私の性格は、女から見て非常に「つまらない」というか、「小物」にしか見えないだろうから。
私としては、仕事も手に入れたしこれで自分もやっと一人前、後は、相手を見つけるだけだという段階だったのだと思う。そして、結婚するのが当たり前の時代だったら、すぐに式をあげて、子供を作って、子育てに追われてという人生だったのかもしれない。ある意味、「いきおい」が無いと結婚は難しいものだから。今、思い出しても「難しい」彼女だけに結婚生活は、冷え切ったものになっていただろう。昔ならば、どちらかが、あるいは双方が耐えていたから、そう簡単に離婚は無かったのだろうが。私としても女から電話をもらうなど久しぶりの経験だったので、「これは、もしかして」と感じたのだった。
仕事が安定しない、先行きが不安で子供も作れそうにない、そんな理由からか、今の時代、女が結婚したがらない。私のような妙な人間だから、相手がいないということもあるのだろうが、全般的に相手のいない男は確実に増えているのだという。私でも20代前半でしっかりした仕事を持っていたら、結婚はできていたのだろうかというとそれは、疑わしい。どうも、当時の私にとって好きになれる女がいなかった。
生協でイレアゲタ女はいたにはいたが、完全に無視されていたに過ぎない。コミュニケーションの無い相手にイレアゲたりするのが私の特徴だった。しかし、基本は、「なじみ添い」であり、気の合う相手が嫁さんというのが私の理想だった。20代前半に仕事を手にしていてもそういう相手と巡り会う幸運はとても望めなかったように思う。もちろん、私の性格のせいだと思っている。
あれから、さっぱりの私だったが、東京に進出してようやく相手が現れたか、という思いになった。それが、この小田急沿線に住む彼女だったのである。私の人生経験には無かった、クリスマスパーティーにも呼ばれた。こんな部屋で二人きりになっていい雰囲気になったらええなあ、とまで思ったことがあった。詳しくはわからないのだが、要するに最初から単に員数合わせ要員に過ぎなかったのだと思う。その私が、存在を主張したことから、一気に「切られた」ということではないか。大島に行った時に私が余裕の無い姿を見せたことが原因かと思っていたが、そういうことではなくて、そもそも最初から、男としては相手にされていなかったということなのだろう。男にはもっともこたえる女の姿勢だ。
私のような男にとって女はうまく付き合えないものなのだ。いろいろと計算していて行動は、本音と異なることがほとんどなので私には理解できないことが多すぎるわけだ。にもかかわらず、私は、難しい女が好きなので余計にうまくは行かないのだった。難しいと言えば、パートナーが最後のお相手かと思っていたら、これもダメだった。パートナーに言わせれば、「嫌い」ということでもなかったようだが、少なくとも「好き」でもなかったことは、ハッキリしている。これがショックだったが、これも好みということもあるし、どうしようもないことだ。
狛江は、「都会の田舎」とでも表現できるような場所だった。年寄りもいるのだろうが、そんなに目立たない。小ぎれいで必要なものがそろっているという感じだ。尺八工房は、なぜここにあるのかわからないが、「竹」であろうか。駅前にうっそうとした茂みがあったが、そこにも竹が生えていた。
工房は、それこそ小ぎれいでホームページで紹介されている彼たちが番をしていた。どちらもそんなに人慣れはしていない感じだった。尺八を志すという人はそんなに多くないはずだし、「変わり者」に違いないと思う。社交的な人がいるはずがないと思った方がいい。しかし、悪い印象ではなかった。
すぐに代表の人を呼んでくれて、「かぶれにくいやつを作って欲しい」という話になり、依頼した。契約的には成立しているのだが、職人気質としては、気に入ってもらい、リピータになってもらうのが理想なのか、「まず、作ってみて気に入るかどうか見て欲しい」という返事だった。Coyote Oldmanのマイケルも同じ心境かもしれない。マイケルの最近の写真が紹介されていたのを見たのだが、たまたま、この格好が好きだった場合もあるかもしれないが、この写真を素直に見ると、「儲かっている」ようには見えない。マイケルも職人気質でずっとやってきたのであることを想像させる写真だ。
7月にもできそうなことを言ってくれていたのだが、私はすぐにメールで時間的なことは気にしてないことを伝えておいた。「妥協無く」と書こうとしたが、他では妥協していると言いたいのかと判断されたくないので消した。私は、これが最初で最後の1本のような気持ちで買うのだが、ことによるともう1本となるのかもしれない。それは、完成したもの次第だ。工房をいろいろ経験した方がよりよくわかるような気がして今回、ここにしたのだった。
この工房では、CD制作をしたり、演奏活動をしたりしている点はマイケルと同じだが、そんなに儲かってはいない、むしろ、「厳しい」と感じた。それは、尺八の値段にも反映されていることからもわかる。しかし、これは、できたものを見て評価するしかない。先に買った4万弱のものよりも「鳴らない」ものならば、とんでもないぼったくりとなるだろう。尺八の場合は、マイケルのアナサジフルートほど「機械的」にはできないような気がした。塗りも漆や私の場合は、カシュー漆をぬったりして手間がかかりそうだ。ホームページで尺八を買うようにしていないのは、やはり、この商売の難しさを象徴しているようだ。
尺八は、その演奏もそうなのだが、自由度が高い。いろんなやり方がある。作りもそうだ。太いのから細いものがある。レッドシダー(アナサジフルートの原材料、北米杉ともいう。)のように均質にはできないことを想像させる。私としては、少しでも儲けに貢献したい気がする。尺八一本では、焼け石に水かもしれないが。しかし、アナサジフルートがもしかすると重要な鍵になるかもしれない。この国で廃れかかった尺八の文化が、遠い祖先でつながりのあるネイティブアメリカンによって創られたアナサジフルートを媒介にして再評価される日が来るかもしれない。尺八は、それにふさわしい魅力を持った、癒しの楽器なのだ。
PR
Comment