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川田亜子の自殺は、お決まりのように週末のバラエティ番組などで取り上げられている。バラエティと言っても、お笑いではなく、まじめに議論をしている番組のことを言っているのだが、重複出演者も多く、私は警戒して見る必要があると思っている。大阪府知事の橋下なども、こういう番組の出身者だ。恵まれた立場にある人が、自分に有利になるような発言をする番組と思って見るのが正しい見方だと思う。
自殺について、かつて調べたことがあるのだが、意外にもそうとうに長い潜伏期間をかけて準備されるのだそうだ。実際に自殺が行われる前に、いろんな形でのメッセージが出されるという。今度の川田亜子の場合でもそうだと思うのだが、周りの人間は、所属事務所の人間も含めて自分のことでせいいっぱいだったのか、青天の霹靂だったそうだ。また、これは確かめる術も無いのだが、川田亜子が、なかなか本心を明かさないタイプの人間だったなら余計にそのメッセージを掴むことは難しかっただろう。彼女のブログも自殺直前のものを直後に読んだが、抽象的だった。
私もかつて自殺を考えたことがある人間として言うのだが、問題は、「仕事」にあるのだと思う。何もせずに食って行けるものならば、自殺など起こらないかもしれない。私にしても、やりたいのに仕事が無いということで、もうどうでもええわ、という気持ちになり、不眠になり、あわやというところまで行ったのであった。あの時は、たまたま、田舎に帰るという行動ができたから良かったのかもしれない。
この国では、薬の影響もそうとうあると思うが、年間を通じて3万人もの人が自殺で亡くなっているそうだ。2007年の統計も3万人を超えることが確実だという。厚労省が「脳死」状態なので打つ手が無いのはわかるのだが、企業や官僚組織の指導的な立場にある人間の責任は、ますます大きくなるのではないか。組織をうまく育てられない人間は、クビにすべきではないのか。そうなると私自身も真っ先にクビになるのだが。
今や企業が抱える「うつ」の社員は、全従業員の4パーセントだということを聞いたことがある。1000人の社員ならば、40人は、いる勘定だが驚くべき数字だ。つまり、これだけの人が何ら仕事もできない状態で「社員」だということだ。もちろん、本人の資質にも改めるべき点はあるかもしれないのだが、根本的には、人を育てることができない「組織」に病理があると私は思っている。
誰しも一人で生きているとは思っていないと思うが、会社という仕事場でも同じ事で、いろんな人の個性がブレンドされて最終的な一つの仕事になってお金を産むしくみとなっている。たった一人が産み出すお金など存在しないのだ。しかし、経験の長い者にとっては、納得できないだろうと思う。自分一人とまでは言わないものの、「割合」が違うだろう、と。もちろん、それはその通りだ。その評価は、会社がやればいいと思うのだが、問題は、その理念だ。自分の有能ぶりを主張する者に限って、自分一人で組織を支えていると思い込みがちなのだ。その結果、仕事場に重暗い雰囲気を醸し出しやすい。
私は、かつて今の仕事場で「あんたの存在意義は、1パーセントに過ぎない」と言われたことがある。しかも、現在は評価できないのであって、歴史的に見てそうだと言える、とそいつは言っていた。私は、洗脳されやすいのか、それを純粋に受け入れてしまい、大きく落ち込んだものだった。岡山に帰っても仕事は無いし、今後どうしたらいいだろうかと本気で悩んだものだった。
ある時、別会社の人間にその悩みを打ち明けると、意外な答えが返ってきた。「確かに、仕事ができる、できないの差はあるかもしれない。しかし、あんたがいなかったら仕事が完成しなかったことも事実。気にすることはない。今後、努力すればいい。」というものだった。今でもこの言葉は、私を支えている。今のこの国の企業や官僚組織にこういう発想ができる人間がいれば、仕事が原因の「うつ」は防げるのではないか。連動していると考えられている、自殺も相当数減らせるのではないか。
それにしてもこの国で生きて行くことは厳しい。ウータン福田は、無能であるにもかかわらず総理の職を辞めようともしない。自殺者が3万人出ようとも無関心のようだ。それよりも自分の人生の方が大事なようだ。一般の人ならそれもよしだが、彼は首相なのだ。一人一人の国民に思いをはせることができないならば、辞める他ないと思うのだが。私の好きな「理念」というものがウータン福田には無いのだ。少なくとも示したことが無い。むしろそれを示さないことで、攻撃を回避しているように思える。
体の病気でも、心の病気でも「解決不能」ということはない。加齢性の病気では、今すぐ治せないという種類のものもあるが、方針くらいはたてられている。できるだけ長く生きていれば助かる可能性は高い。確かに、小泉が強硬採決をしてウータン福田が廃止しようとしない「高齢者処罰法」の存在が足元を脅かしてきてはいるのだが。また、今、問題の心の病気では、あまりにもわからないことが多く、個人差も激しいのでいろんな説が飛び交っている。それ故に、「決定的なものは何も無い」という認識でいいのではないか。私の経験では、断定的に言う医者ほど信用できないことが多かった。そして、薬害かもしれない向精神薬、睡眠薬については一刻も早く自力で断つことをすすめる。そして、食事の改善と軽い運動をしつつ、解決の日を待つことだ。これも解決不能のことではないのだ。不可能を可能にしてきたのが人類の歴史であることを思い起こすべきだろう。
悩みがあれば、まず相談することだと思う。私のような人間嫌いがちゃっかり、相談はするくらいなのだから。いろんな意見を元に判断しても遅くはないと思う。厳しいこの世の中で、是が非でも生きなければならないということはないのだが、状況は変わる、ということを知っておいても損はしない。
自殺について、かつて調べたことがあるのだが、意外にもそうとうに長い潜伏期間をかけて準備されるのだそうだ。実際に自殺が行われる前に、いろんな形でのメッセージが出されるという。今度の川田亜子の場合でもそうだと思うのだが、周りの人間は、所属事務所の人間も含めて自分のことでせいいっぱいだったのか、青天の霹靂だったそうだ。また、これは確かめる術も無いのだが、川田亜子が、なかなか本心を明かさないタイプの人間だったなら余計にそのメッセージを掴むことは難しかっただろう。彼女のブログも自殺直前のものを直後に読んだが、抽象的だった。
私もかつて自殺を考えたことがある人間として言うのだが、問題は、「仕事」にあるのだと思う。何もせずに食って行けるものならば、自殺など起こらないかもしれない。私にしても、やりたいのに仕事が無いということで、もうどうでもええわ、という気持ちになり、不眠になり、あわやというところまで行ったのであった。あの時は、たまたま、田舎に帰るという行動ができたから良かったのかもしれない。
この国では、薬の影響もそうとうあると思うが、年間を通じて3万人もの人が自殺で亡くなっているそうだ。2007年の統計も3万人を超えることが確実だという。厚労省が「脳死」状態なので打つ手が無いのはわかるのだが、企業や官僚組織の指導的な立場にある人間の責任は、ますます大きくなるのではないか。組織をうまく育てられない人間は、クビにすべきではないのか。そうなると私自身も真っ先にクビになるのだが。
今や企業が抱える「うつ」の社員は、全従業員の4パーセントだということを聞いたことがある。1000人の社員ならば、40人は、いる勘定だが驚くべき数字だ。つまり、これだけの人が何ら仕事もできない状態で「社員」だということだ。もちろん、本人の資質にも改めるべき点はあるかもしれないのだが、根本的には、人を育てることができない「組織」に病理があると私は思っている。
誰しも一人で生きているとは思っていないと思うが、会社という仕事場でも同じ事で、いろんな人の個性がブレンドされて最終的な一つの仕事になってお金を産むしくみとなっている。たった一人が産み出すお金など存在しないのだ。しかし、経験の長い者にとっては、納得できないだろうと思う。自分一人とまでは言わないものの、「割合」が違うだろう、と。もちろん、それはその通りだ。その評価は、会社がやればいいと思うのだが、問題は、その理念だ。自分の有能ぶりを主張する者に限って、自分一人で組織を支えていると思い込みがちなのだ。その結果、仕事場に重暗い雰囲気を醸し出しやすい。
私は、かつて今の仕事場で「あんたの存在意義は、1パーセントに過ぎない」と言われたことがある。しかも、現在は評価できないのであって、歴史的に見てそうだと言える、とそいつは言っていた。私は、洗脳されやすいのか、それを純粋に受け入れてしまい、大きく落ち込んだものだった。岡山に帰っても仕事は無いし、今後どうしたらいいだろうかと本気で悩んだものだった。
ある時、別会社の人間にその悩みを打ち明けると、意外な答えが返ってきた。「確かに、仕事ができる、できないの差はあるかもしれない。しかし、あんたがいなかったら仕事が完成しなかったことも事実。気にすることはない。今後、努力すればいい。」というものだった。今でもこの言葉は、私を支えている。今のこの国の企業や官僚組織にこういう発想ができる人間がいれば、仕事が原因の「うつ」は防げるのではないか。連動していると考えられている、自殺も相当数減らせるのではないか。
それにしてもこの国で生きて行くことは厳しい。ウータン福田は、無能であるにもかかわらず総理の職を辞めようともしない。自殺者が3万人出ようとも無関心のようだ。それよりも自分の人生の方が大事なようだ。一般の人ならそれもよしだが、彼は首相なのだ。一人一人の国民に思いをはせることができないならば、辞める他ないと思うのだが。私の好きな「理念」というものがウータン福田には無いのだ。少なくとも示したことが無い。むしろそれを示さないことで、攻撃を回避しているように思える。
体の病気でも、心の病気でも「解決不能」ということはない。加齢性の病気では、今すぐ治せないという種類のものもあるが、方針くらいはたてられている。できるだけ長く生きていれば助かる可能性は高い。確かに、小泉が強硬採決をしてウータン福田が廃止しようとしない「高齢者処罰法」の存在が足元を脅かしてきてはいるのだが。また、今、問題の心の病気では、あまりにもわからないことが多く、個人差も激しいのでいろんな説が飛び交っている。それ故に、「決定的なものは何も無い」という認識でいいのではないか。私の経験では、断定的に言う医者ほど信用できないことが多かった。そして、薬害かもしれない向精神薬、睡眠薬については一刻も早く自力で断つことをすすめる。そして、食事の改善と軽い運動をしつつ、解決の日を待つことだ。これも解決不能のことではないのだ。不可能を可能にしてきたのが人類の歴史であることを思い起こすべきだろう。
悩みがあれば、まず相談することだと思う。私のような人間嫌いがちゃっかり、相談はするくらいなのだから。いろんな意見を元に判断しても遅くはないと思う。厳しいこの世の中で、是が非でも生きなければならないということはないのだが、状況は変わる、ということを知っておいても損はしない。
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