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私の語れることと言ったら、コンピュータのOSのごく浅い部分くらいのものだ。しかし、それでも重要なことではないかと思い直すようになっている。Ubuntuを入れてみて感動するのだが、こういう好奇心を他の人にも持って欲しいと思っている。
これまでコンピュータを扱う仕事をしてきていろんなことを自分でも学んできたつもりだが、少なくとも苦痛ではなかった。しかし、今、私が目の前にするのは、「自分は、興味が無いのにやらされる」的な姿勢だ。そもそも興味が無いという人がコンピュータを扱うというパラドックスだ。さすがの私もこれにはまいっている。
コンピュータを扱うということは、これからの時代、仕事のイロハに近い。それに興味が無いということは、仕事にも興味が無いと言われても仕方がない。その点をどう考えているのだろうか、と思う。もちろん、私とて最初から何でもわかるということは無かった。むしろ、何もできないところから始まったのだった。メーカー主導のOSやソフトを扱うよりもフリーソフトをやることが、より多くの人の幸福につながると確信し、私の勉強の方向は定まったと言える。
私の普段の姿勢は、興味が無いものに対して興味を持とうとするということがあげられる。この姿勢を、少なくとも持って欲しいと思う。多くの人が興味津々のことに自分が興味無い場合、なぜなのか調べるくらいの努力はして欲しいと思う。何をするにしても「興味」が無ければ、持続は不可能だからだ。
Ubuntuに今、私が興味を持っているのは、よくこれだけのものがフリーソフトでできるなあ、という素朴な感動からだ。FreeBSDも10年前からやっているが、これも同じだ。メーカーがしこたまお金をかけて作ったものではないのだが、メーカーのOSよりもはるかに、まともなのだ。感動するのは当然だろう。
これまでコンピュータを扱う仕事をしてきていろんなことを自分でも学んできたつもりだが、少なくとも苦痛ではなかった。しかし、今、私が目の前にするのは、「自分は、興味が無いのにやらされる」的な姿勢だ。そもそも興味が無いという人がコンピュータを扱うというパラドックスだ。さすがの私もこれにはまいっている。
コンピュータを扱うということは、これからの時代、仕事のイロハに近い。それに興味が無いということは、仕事にも興味が無いと言われても仕方がない。その点をどう考えているのだろうか、と思う。もちろん、私とて最初から何でもわかるということは無かった。むしろ、何もできないところから始まったのだった。メーカー主導のOSやソフトを扱うよりもフリーソフトをやることが、より多くの人の幸福につながると確信し、私の勉強の方向は定まったと言える。
私の普段の姿勢は、興味が無いものに対して興味を持とうとするということがあげられる。この姿勢を、少なくとも持って欲しいと思う。多くの人が興味津々のことに自分が興味無い場合、なぜなのか調べるくらいの努力はして欲しいと思う。何をするにしても「興味」が無ければ、持続は不可能だからだ。
Ubuntuに今、私が興味を持っているのは、よくこれだけのものがフリーソフトでできるなあ、という素朴な感動からだ。FreeBSDも10年前からやっているが、これも同じだ。メーカーがしこたまお金をかけて作ったものではないのだが、メーカーのOSよりもはるかに、まともなのだ。感動するのは当然だろう。
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