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このタイトルは、もちろん鎌田慧氏の『自動車絶望工場』に由来している。若い頃に少しかじっただけだが、仕事が、何か罰を受けているような気がして来る、というフレーズに共感したのだった。私が二十代の頃、大日本印刷京都工場でバイトをした時も同じ感想を持ったものだ。この「罰を受ける」という言葉を思い出して空港でもよく使った。先輩も気に入り、よく使った。
前に書いたように仕事を始めて2ヶ月を経過した頃、私はダウンした。過労と風邪がダブルで来たような感じだった。網走のみならばいいのだが、ターミナルの中は暑く外気との温度差が半端ではない。出入りで暑いと寒いを何度も繰り返すのでどうしても風邪を引きやすい環境だった。
都合3日くらい休んだろうか。さすがに病み上がりは不安でもあり出づらかった。しかも、いきなり早出だった。5時から出ている先輩がさっそく私を見つけ「回復したかな?」とニッコリ笑って一言。これはうれしかった。やはり、新しい職場でもあり全員が敵に思えるような環境の中で体調を気遣ってもらえるのは安心する。私は弱々しく「いまいちです。」と答えた気がする。
私と先輩が流行らせた「罰を受ける」とは早出残業のことだ。実際には、6時前から仕事は始まっておりそうしないと時間が無い。さすがに冬場はキツイ。しかし、遅くとも2時頃に帰ることができるならば、それは結構うれしいもんだ。現実はそうではなくその日の人員配置や飛行機の都合とかで早出した上に夕方5時まで残業ということも普通にあった。私はこの早出残業を2日続けてやってみたのだが体力的にしんどいものだった。文句を言うと「早出残業は2日続けない方がええです。」と主任もちゃんと認識しているのには驚いた。その上でやらせているというわけだ。これは当日に本人に意志確認することなく決められているので強制残業だ。空港というきれいな雰囲気の場所で似つかわしくないタコ部屋的な労働が強いられているのだ。「罰を受ける」という言葉がぴったりではないかと思った。この頃知ったのだがウルトラ・ブラック企業の東電では、夜勤明け残業も普通にあるという。下には下があるもんだ。
早出しても手当てがあるわけでもなく、日曜祭日出勤しても手当てがあるわけでもない。一月を終えてみると少なくとも5万は損しているように思える。これは体の疲れ方やこれまでの経験から言えることだ。この頃はまだ辞めることは具体的になっていなかったが金銭的には最初から答えは出ていたのだった。
早出時に見えるオリオン座が何とか仕事を続ける気分にしてくれていた。少年の頃に見た星空を思い出しつつ何とか現状を改善できないものか、考える日々が続いた。
つづく
前に書いたように仕事を始めて2ヶ月を経過した頃、私はダウンした。過労と風邪がダブルで来たような感じだった。網走のみならばいいのだが、ターミナルの中は暑く外気との温度差が半端ではない。出入りで暑いと寒いを何度も繰り返すのでどうしても風邪を引きやすい環境だった。
都合3日くらい休んだろうか。さすがに病み上がりは不安でもあり出づらかった。しかも、いきなり早出だった。5時から出ている先輩がさっそく私を見つけ「回復したかな?」とニッコリ笑って一言。これはうれしかった。やはり、新しい職場でもあり全員が敵に思えるような環境の中で体調を気遣ってもらえるのは安心する。私は弱々しく「いまいちです。」と答えた気がする。
私と先輩が流行らせた「罰を受ける」とは早出残業のことだ。実際には、6時前から仕事は始まっておりそうしないと時間が無い。さすがに冬場はキツイ。しかし、遅くとも2時頃に帰ることができるならば、それは結構うれしいもんだ。現実はそうではなくその日の人員配置や飛行機の都合とかで早出した上に夕方5時まで残業ということも普通にあった。私はこの早出残業を2日続けてやってみたのだが体力的にしんどいものだった。文句を言うと「早出残業は2日続けない方がええです。」と主任もちゃんと認識しているのには驚いた。その上でやらせているというわけだ。これは当日に本人に意志確認することなく決められているので強制残業だ。空港というきれいな雰囲気の場所で似つかわしくないタコ部屋的な労働が強いられているのだ。「罰を受ける」という言葉がぴったりではないかと思った。この頃知ったのだがウルトラ・ブラック企業の東電では、夜勤明け残業も普通にあるという。下には下があるもんだ。
早出しても手当てがあるわけでもなく、日曜祭日出勤しても手当てがあるわけでもない。一月を終えてみると少なくとも5万は損しているように思える。これは体の疲れ方やこれまでの経験から言えることだ。この頃はまだ辞めることは具体的になっていなかったが金銭的には最初から答えは出ていたのだった。
早出時に見えるオリオン座が何とか仕事を続ける気分にしてくれていた。少年の頃に見た星空を思い出しつつ何とか現状を改善できないものか、考える日々が続いた。
つづく
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